赤字ですが何か?社会貢献を主張する田園調布の妻も、結局ただ前に出たいだけ。
結婚は、女の幸せ。
そう考える種類の女にとっても、結婚は必要条件に過ぎない。
結婚しただけでは満たされない。女たちの欲望は、もっと根深いものだ。
ポーセラーツおうちサロンをオープンした由美は、よりにもよって同じマンションの最上階に越してきたポーセラーツ・カリスマサロネーゼ・マリに対抗すべく策を講じる。
読者モデルとして知名度のあるミカが設立したアロマライフスタイル協会に入会し雑誌掲載のチャンスを掴むなどして、徐々に頭角を表す由美。
わたしは、私利私欲に走る女とは違う。
田園調布3丁目にある、アロマセラピスト・サヤの実家リビング。
猫足のアンティークチェアに腰かけ、大きな格子窓から差し込む穏やかな光と、イランイランのアロマの香りに包まれながら、サヤは今日も優雅な午後を過ごしている。
サヤの仕事は相変わらず、両親が所有する不動産管理の手伝いである。本当はアロマセラピストとしての活動を本格化させたいのだが、現状は1年前と変わっていない。知人から依頼されて、ごくたまにアロマレッスンを開催する程度。
ふと、スマホを手に取るサヤ。無意識にインスタグラムを開いてしまうのは、もう癖のようなものだ。
そして、これも無意識の行動。
由美とミカのタイムラインをチェックしては、胸のつかえをとるように溜息をつく。正体不明のもやもやとしたものが胸を締め付け、息苦しくなるのだ。
よりにもよって今日は、2人揃って掲載されたらしい雑誌の該当ページがアップされていた。
「私のお気に入りアイテム」として、ミカが代表を務めるアロマライフスタイル協会の商品、アロマお掃除スプレーやアロマディフューザーを手に持って決め顔を作っている。
―まったく、あさましいったらないわ。
私利私欲のために前に出る女たちに辟易し、サヤはスマホをテーブルに戻した。
由美やミカをライバル視するサヤに、千載一遇のチャンスが舞い込む?
人の役に立ちたいサヤ。しかしその本音は…?
ある日の夕刻。二子玉川ライズに買い物にきていたサヤが、そろそろ帰ろうと駅の改札に向かっていた時、見覚えのないアドレスから一通のメールが届いた。
―何だろう?
不審に思いつつ差出人を確認すると、横浜にある某ショッピングモールの事務局からだった。
もしかして、仕事の依頼だろうか。期待で高鳴る鼓動を押さえつつ本文に目を走らせる。そこには、ショッピングモール内イベントスペースで、親子連れをターゲットにしたアロマレッスンを開催して欲しい、という内容が書かれていた。
子育て中のママを応援する社会貢献活動の一環として、母親の息抜きにもなり、子どもたちの情操教育にも役立つワークショップを、定期的に開催しているのだそうだ。
メールを一読し、サヤはもう1度最初からメールを読み返す。
間違いじゃない。正真正銘、アロマ講師の依頼である。アロマセラピストとして活動していきたいサヤにとって、願ってもないチャンス。
―私は、こういう世の中の役に立つ仕事を求めていたの…!
田園調布生まれ田園調布育ち、幼稚園から高校までカトリック系のお嬢様学校で学び日本女子大を卒業したサヤは、ボランティアこそ気高い行為だと考えている。
人の役に立つことは当然で、お金儲けを悪いことのように捉えている節があり、よって私益のために前に出る、由美やミカのような女たちを下品だと見下しているのだ。
自分が恵まれた環境で生活できているのは、父方の祖父が飲食事業で成功を納めて財を成したからなのだが、その矛盾にはまったく気付いていない。
そんなサヤの耳に、“子育て中のママを応援する社会貢献活動の一環”という言葉はとても心地よく響いた。
ちなみに、ショッピングモール側がサヤに提示した、金銭的な依頼条件はこのようなものであった。
親子連れが対象であるため参加費は材料費含め2,000円。サヤに講師代として支払われるのは、内半分のみで、交通費の支給もない。
…どう考えても、赤字にしかならない条件である。
宣伝だと割り切るにしても、当日まで参加人数が確定しない中で準備しなければならない材料費と集客リスク、当日の労力などを考え合わせると、サヤの負担が大きすぎる。
しかし「人の役に立ちたい」と主張するサヤには、そういった不都合な文字は映らないようだった。
サヤは、社会貢献という大義名分のもと、人前に立ちたいだけなのだ。
一度味わうともっともっと欲しくなる。それが羨望の味。
知ってしまった、羨望という名の麻薬
アロマレッスンは盛況だった。
ショッピングモールの集客力はさすがで、月曜の真っ昼間にも関わらず、特段知名度もないサヤのレッスンに10組を超える親子が集まった。
その様子に、サヤは不覚にも目頭が熱くなってしまう。こんなにたくさん、自分のレッスンを受講するために集まってくれた、と。
それは決して、サヤ自身の集客力によるものではないのだが…。
本物志向のサヤには、親子相手の参加費2,000円のワークショップとはいえ、材料を妥協するという選択肢はなかった。
当然のように天然由来のエッセンシャルオイルのみを20種類近く取り揃え、自由に選んで使ってもらえるよう準備した。
子どもたちは悪意なく机にこぼしたり、必要以上にたくさん使ったりする。当然の結果として、このイベントはサヤに想像以上の赤字をもたらしたが、収支計算すらしていない彼女にとっては大きな問題ではなかった。
アロマレッスン開催から約1か月後のこと。
サヤは奥沢の『THE TOKYO FRUITS パーラー』で、母親とともに今が旬のいちごパフェに舌鼓を打っている。…発売されたばかりの、ママ向け雑誌を手にしながら。
そう、実はショッピングモールでのアロマレッスンにママ向け雑誌の取材が入っており、その時の様子が掲載された雑誌が、今日発売されたのだ。
「サヤちゃん、雑誌に載るなんてすごいじゃない!それに、とってもよく撮れているわよ。」
普段はサヤと一緒になって、読者モデル活動をするような女は下品だ、等と批判しているはずの母が、手放しでサヤを褒める。
「嫌だわ、お母さん。私は別に、雑誌に載りたくて仕事を受けたわけじゃないのよ。」
ママ向け雑誌の取材が入ることは、実はショッピングモールから届いた最初のメールに記載されており、当初からサヤも知っていた。
しかしサヤがこの仕事を受けたのはあくまでも、子育て中のママを応援する社会貢献活動の一環、という開催目的に強く共感したから。
そう主張するサヤではあるが、この店に来る前に立ち寄ったコンビニで、待ちきれずその場で立ち読みをし、掲載ページを確認した。それにもう何度も何度も、母親と一緒に自分が掲載されているページを眺めている。
サヤはおもむろにスマホを取り出し、自身が掲載されている部分を写真に撮ってインスタグラムに投稿した。#雑誌掲載のハッシュタグをつけて…。
普段からは想像もつかないスピードで「いいね」が増えていく様を見ながら、サヤは心に爽快な風が吹き抜けるような感覚を味わった。
その快感は、さながら麻薬のようにサヤを興奮させるのだった―。
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「二子玉川?遠くて無理。」やはり、白金マダムは最強だった…。