東急「変革」の起爆剤、「社内外2本立て」イノベーションの舞台裏

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「社内外二本立て」のイノベーション、すなわち社内起業家育成制度と東急アクセラレートプログラム(TAP)を展開する東京急行電鉄。従来の新規事業提案制度とは大きな違いがあるという。現場責任者に、その詳細と狙いを訊いた。

2022年に創立100周年、27年には「本拠地・渋谷」再開発の完了─。東京急行電鉄(東急電鉄)は今後、次々と企業としての重要な節目を迎える。

その局面に向け、同社は「東急沿線が『選ばれる沿線』であり続ける。日本一住みたい沿線東急沿線、日本一訪れたい街 渋谷、日本一働きたい街 二子玉川」という長期ビジョンを掲げ、長期経営戦略として「沿線のバリューアップ」「お客さまを軸とした東急シェアの拡大」「沿線外展開・新規事業展開」の3つの全体戦略を描く。さらに野本弘文社長の肝いりで、2つのイノベーション施策も始めている。

「現在の評価は70点から80点の合格点。1つ生まれると、次々と卵が続いていく。私どもがいま手掛けている事業も、最初はすべて小さいところからスタートしましたから、ここから大きな事業が生まれてきてほしい」

そう野本社長が期待をよせ、すでに成果が出始めている2つの施策が、社員によるイノベーション創出を支援する「社内起業家育成制度」と、ベンチャー企業との事業共創プログラム「東急アクセラレートプログラム(TAP)」だ。

15年4月開始以降、約120件の応募があり、2つの事業化案件が出ている「社内起業家育成制度」。15年、16年と2回のプログラム運営を行い、200社を超えるベンチャー企業からの応募、業務提携に至ったケースも3件出ている「TAP」。それぞれ開始から2年以内に成果が出ている点が特徴だ。

なぜ、これら2つのイノベーション施策は順調に動き始めたのか─。

挑戦心をくすぐり、呼び覚ます

「新規事業を提案する制度は従来から存在していました。しかし、制度はあっても、形骸化していました。野本の問題意識としましては、『提案したらそれでおしまいだからダメなんだ』と」

「社内起業家育成制度」の立ち上げに至る背景と経緯を、経営企画室イノベーション推進課の常見直明課長はそう話す。「提案した人間が最後まで事業をやり遂げる仕組みをつくろうという考えのもと、新たに制度を見直し、つくり直しました」

従来の新規事業提案制度との大きな違いは、事業を生み出すことよりも人材育成を狙いにした点だ。事業がもたらすインパクトよりも、新規事業を次々と創出できる人材を社内で育成し、起業家マインド溢れる組織へと変えていくことに重点が置かれている。

一般的には年に1度ないしは2度、イベント的にアイデアを募集するのが多いが、東急電鉄では、このような「コンテスト形式」を採用していない。同社の従業員(連結子会社を含む)であれば随時応募できる。年齢や役職を問わず、チームでの応募も可能だ。

「A4シート一枚程度に事業内容や着想のきっかけなどを書いて提出してもらいます。この時点では、市場規模や収支計画なども不要です。お風呂に入っていたら思いついたでもなんでもいい。事業アイデアをポンと投げていただければ、それを事務局が受け付け、翌月にはフィードバックします」

事務局はイノベーション推進課内に置かれ、常見課長を含めてスタッフは4人。「選考を通過しない場合でも、希望者には面談し、その理由を伝えています。落選したままの状態で終わらせず、次の提案へとつなげてほしいので、フィードバックは重要です。なぜ通らないのか、どこを改善すれば通りそうかなどを直接会ってお話しすると、お互いに気づきも多くなります」

なかには制度に応募することを自らに課し、2カ月に1度くらいのペースで応募してくる社員もいる。鉄道の現場で働く社員が、育児や農業をテーマに事業提案してくることもあるそうだ。

「こんなサービスがあったらいい」「あんなことにも取り組んでみたい」と夢を膨らませた経験は、誰にでもあるだろう。しかし、日常業務に忙殺されるうちに、いつの間にかそうした純粋な思いを忘れてしまう。そんな夢を思い起こさせ、社員が本来持っている挑戦心をくすぐって呼び覚ますところに、この制度の真の狙いがある。

「2次選考の最終審査は野本へのプレゼンです。社長直下のプロジェクトですから、野本が『やろう』と言えば通ります」(常見課長)

2次選考を通過すると、提案者は既存事業を離れてイノベーション推進課の所属となり、提案事業の実施に向けて、専任で検討を続けることになる。

実は、提案者にとって最もきついのは、1次選考通過後、2次選考を通過するまでの間だ。2次選考では当然、説得力のある収支計画も求められる。事務局側のサポートを受けられるとはいえ、本来の業務と事業計画案の作成を並行して行わなければならないからである。

制度を通じてこれまで事業化された案件は2件。1件目は会員制サテライトシェアオフィス事業「NewWork」で、これはテレワーク等を導入する企業に対し、社員向けの執務空間を提供するサービスだ。会員に配られるICカードを使えば、ワークスペースとしてNewWorkのネットワークをどこでも利用できる。現在、東急沿線を中心に5つの直営店がオープンしており、東急ホテルズのラウンジや、提携するシェアオフィスなど全国30カ所で利用可能だ。

2件目はアジア言語を中心に直接翻訳のサービスを提供する「YaQcel(ヤクセル)」。これはグループ企業、イッツ・コミュニケーションズの社員が、オフショア開発を通じて意思疎通の難しさを実感したことから思いついた。現在、タイ、ベトナム、インドネシアなど東南アジアを中心とした11カ国の言語を対象に、サービスを展開している。

東急電鉄のもう1つのイノベーション施策は、社内起業家育成制度と同時期の15年7月に立ち上げた、社外ベンチャー企業との事業共創プログラム「TAP」である。

創業5年以内のベンチャー企業を対象に、東急グループ各事業との共創ビジネスプランの募集をかけ、審査を通過し選ばれた企業には賞金の授与ならびに表彰を行っている。また、受賞企業には、東急線沿線に集積する東急グループの広告媒体や施設、顧客基盤、営業網などを利用したテストマーケティングを行う機会が与えられ、条件がすり合えば、東急電鉄との業務提携だけでなく出資の機会もある。

TAPを担当しているのは、都市創造本部都市政策担当の加藤由将課長補佐だ。「イメージしているのはオープンイノベーションのプラットフォームとエコシステム(生態系)をつくることだ」という。「東急グループとベンチャー企業がお互いの持っているものを持ち寄り、組み合わせることで、イノベーションが起こしやすくなる」と考えるからだ。

グループ事業には鉄道をはじめ、不動産・都市開発、ホテル・百貨店とたいがいの事業は揃っている。一方で、圧倒的に欠けていたのは「クリエイティビティ(創造性)」だという。

「社内の人材だけで新しいサービスを立ち上げようとしても、データサイエンティストがいない、AI・プログラミングのわかる人材がいない、魅力的なユーザー・インターフェイスを作り出せるデザイナーがいない、などの課題がありました。であれば、それを持っているベンチャー企業の方々と組めばいい。幸いにして、我々は既存事業を通じて多くの顧客接点やリソースを持っていますから、ベンチャー企業にはそれを使って、全国展開あるいは世界展開への足がかりにしてもらえたら、と思いました」

15年度に開催した第1期ビジネスプランの応募は117社、16年度の第2期にも95社がエントリーした。最終選考に残ったのは第1期が8社、第2期が6社。15年度の最優秀「東急賞」には人工知能(AI)を活用したデータ解析を行うABEJAが、16年度は観光サービスを手掛けるHuber(ハバー)が受賞した。



ABEJAは現在、東京・渋谷のスクランブル交差点の前で、同社の強みであるカメラに映った人の性別や年齢、滞在時間の分析技術を生かした実証実験を行っている。

それに加え、わずか2回のTAP開催にもかかわらず、すでに参加ベンチャー企業と業務提携に至ったケースも3件出ている。

16年3月には、第1期に最終選考に残った、リノベーションを行うベンチャー企業・リノべると資本業務提携した。一棟リノベーションマンション事業にて提携し、17年度にも東急沿線で東急が取得した中古マンションをリノべるがリノベーションし、販売するプロジェクトが進む。手頃な価格で魅力あるマンションを購入したいという沿線住民の需要に応える計画だ。

また、16年7月には東急電鉄、東急百貨店がアパレルECベンチャー企業のIROYAと業務提携した。17年度から東急百貨店の実店舗とインターネット販売の在庫を一元管理できるようにし、沿線顧客が多い東急百貨店の競争優位性を創出していく。

さらに、東急エージェンシーが16年10月、ビーコンシステムを開発するベンチャー企業のタンジェリンに出資を行うなど、TAPをきっかけとしたベンチャー企業との協業の成果が出始めている。

ベンチャー企業との接点が増えることについて、常見課長は「大変刺激になっている」と語る。「これまで2件の事業化を伴走しましたが、共通点は提案者の事業化にかける熱意が凄かったということです。正直、ここまで1つの事業に熱くなれる人が社内にいたということに、驚かされています」。

制度も事業も、立ち上げる際に必要なのは”勢い”だが、持続していくためには信念がいる。重要なのは、動きを止めないこと。そして、失敗した社員を、決してマイナス評価しないことだという。

「チャレンジしたということはそれだけで経験値としてプラスなんだから、決してマイナス評価してはいけない、という点がこの制度のベースとなっています。一方、東急の名前を聞いた時に、今ならばみなさん、電車や不動産、百貨店などの既存事業を思い浮かべると思います。5年後なのか10年後なのかわかりませんけれども、将来的には今ここにない事業をイメージしてもらえるようになれば。おそらく、それが目指すべきゴールでしょう」

加藤由将 かとう・よしまさ◎東京急行電鉄・都市創造本部・開発事業部・課長補佐。1982年千葉県生まれ。2004年法政大学社会学部卒業、同年、東急電鉄入社。09年「東急電鉄住まいと暮らしのコンシェルジュ」立ち上げ、14年青山ビジネススクール卒業、15年「東急アクセラレートプログラム」立ち上げ。

常見直明 つねみ・なおあき◎東京急行電鉄・経営企画室・企画部・イノベーション推進課・課長。1969年神奈川県生まれ。94年東急電鉄入社。財務戦略室で経理、財務、IRなどの業務を行う。2015年4月から現職。