純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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紀元前2世紀、秦の始皇帝の下、徐福という山師を中心に、三千人もの東方大探索集団が組まれた。その到来伝説が日本各地にある。しかし、この移民は、680年、外洋ダウ船によってこそ大規模に可能になった。その船に乗っていたのが、西王母信仰の巫女、カグヤ姫。そして、彼女は天武天皇との間に男の子を産んだ。


第二次徐福移民団

もちろん中国系移民は、紀元前からいただろう。それ以上にものすごかったのが、六世紀、七世紀の半島系移民だ。仏教からなにから、いろいろ日本に教えてやった、などというが、実際は、数百年にも渡って連中は半島内でぐっちゃぐちゃな内戦をやらかし続け、その難民として、あっちからもこっちからも、なんどもかってに大挙して日本に逃げ込んでくる。そのせいで、日本の中枢も親百済派と親新羅派に分裂してしまい、聖徳太子から天智天皇の時代まで、がったがた。

とくにひどい目に遭ったのが663年の白村江の戦い。滅亡した百済の連中に唆され、その復興に協力しようとしたら、ボロ負け。大国の唐からいらぬ恨みを買ってしまい、日本まで攻めてくるかもしれない、ということで、天智天皇は、都を近江に逃げ遷すようなありさま。そのくせ、勝ち目も無いのに、九州ほかに軍を置き、唐の侵攻を迎え撃つ気でいる。

672年の壬申の乱は、天智の弟の天武天皇によるクーデタ。生まれ育った大垣直轄領を拠点に、一気に主戦論の天智天皇と近江朝廷を叩き潰した。その背後には、伊勢湾沿岸ほかに住み着いていた古い中国系移民諸族の秦氏美濃王がいた。天武天皇も親唐政策を取り、「大王(おおきみ)」を止めて、みずから初めて「天皇」を称し、飛鳥浄御原令を発して、従来の豪族連合の和議から中国式の天皇絶対の親政へと政体を切り替えていく。

だが、この時代、おり悪しく日本列島は地震活動期に。679年1月(新暦)に筑紫大地震。太宰府から博多港まで壊滅。にもかかわらず、翌680年秋、中国の寧波港から九州熊本の八代に「亀蛇」に乗った連中がやってくる。この「亀蛇」は、アラブのダウ船。それまで、半島も、日本も、船と言えば、平底の箱船を使っていた。しかし、これは、もともと内水(河や湖)用で、ひどく風に弱く、沿岸づたいにしか進めない。おまけに、波をくらうと、ばらばらになってしまう。ところが、ダウ船は、船首から船尾まで底に巨大な竜骨を張り出し、船上にはヨット式の巨大三角帆を持っており、これらをうまく使うことで、逆風でさえ、その風を利用して風上へ登れるという画期的な外洋船だった。

日本史も世界史から見ないとわからない。7世紀初め、アラビア半島でイスラム教が創始され、瞬く間にアフリカ西岸からアジア沿岸にまで普及。この統一言語、統一商法の下で、長大な貿易圏「海のシルクロード」ができた。それを支えたのが、外洋船ダウだったのだ。そして、それが7世紀後半には中国に至り、半島を経ずに、中国から日本への直行を可能にした。

それまで、中国系移民の秦氏諸族は、日本の海部(あま)氏、安曇(あずみ)氏などを巻き込みながら、九州の「豊」国、いまの大分あたりから、瀬戸内海を経て、御坊や熊野と紀伊半島沿いに伊勢湾岸、熱田神宮あたりにまで、ゆっくりと勢力を拡大していた。それが、八代に発着するダウ船との連携すれば、揉めてばかりの面倒な半島など通さず、直接に中国と日本の貿易が可能になる。その日本側の窓口として、かれらは、松橋(まつばせ、熊本と八代の間、高千穂経由で延岡と繋がる交通の要衝)に拠点となる屋敷を構えた。

だが、その後も筑紫大地震の余震はひどく、その阿蘇山麓から水俣にまで至る巨大な日奈久断層も動き、きわめて不安定な状況が続いた。くわえて、南海トラフを震源として684年に起きた南海・東南海・東海三連動の白鳳巨大地震で、鹿児島の串木野・宮崎の青島・高知の佐川・和歌山の御坊や熊野などの植民港が、のきなみ壊滅的な被害をこうむってしまった。

しかし、ダウ船は、もとより外洋用であり、波が荒く風も強い太平洋をに沿って伊勢湾まで直行が可能。かれらは、伊勢と渥美半島の間の神島に八代神社を築き、690年に日本側に伊勢神宮を作らせ、さらに、対岸の三河の「豊川」周辺に到達、698年に豊橋(豊秦)に羽田(秦)八幡宮、702年には奥三河の鳳来寺(蓬莱)山に鳳来寺を開く。


カグヤ姫と垂仁・天武

日本最古の物語文学『竹取物語』は奈良時代に書かれたものだが、カグヤ姫に言い寄る貴族たちのうちの何人かは、なんと、実名なのだ。三人目が右大臣の阿倍御主人(みむらじ、635〜703)、四人目が大納言の大伴御行(みゆき、646〜701)、五人目が中納言の石上(物部)麻呂(640〜717)。

この同時代となると、一人目の石作皇子は不明だが、二人目の車持皇子は、藤原不比等(ふひと、659〜720、中臣鎌足の子、一説には天智の隠し子、母が車持氏の出)にまちがいない。また、かぐや姫に言い寄る六人目の貴族、帝。また、701年に大伴御行が死んで、石上麻呂が大納言になっているので、話は701年より前。持統女天皇(645〜703)が685年から697年までいたので、男は、その前の天武天皇(?〜686)か、その後の文武天皇(683〜即位697年(14歳)〜707)のどちらか。

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ところで、カグヤ(迦具夜)姫は、『古事記』によれば、もともと第11代垂仁天皇の多くの妃の中の一人。それも、垂仁の記録は、ちょっとおかしい。というのは、正史の『日本書紀』に、この垂仁妃カグヤ姫の名は無く、垂仁本人も事歴が即位39年の後、48年も飛んで即位87年になっている。どのみち140歳まで生きたことになっているから、数字が合わないのは当然なのだが、古墳の殉死を埴輪に代えた、と言われることからすると、事実かどうかはともかく、人物埴輪の登場する400年代半ばと想定されていたのだろう。

もう一つ、垂仁で注目すべきは、即位25年に娘のヤマト(倭)姫にアマテラスを祭らせ、遠く美濃・尾張まで巡った後、伊勢に据えた、としていること。しかし、記紀で次にアマテラスが登場するのは天武の時代で、672年の壬申の乱のとき、自分は関ヶ原に向かう一方、ササラ姫つまり後の持統女天皇を桑名に留めており、即位2年、つまり、673年に、自分の娘、オオク皇女(ひめみこ)を斎宮として伊勢に送っており、また、持統女上皇(譲位後)は、701年にヤマト姫と同じく美濃・尾張まで旅をしている。

くわえて、垂仁の次の第12代景行天皇は、九州征伐で八代を訪れ、その皇子ヤマトタケルは、伊勢でヤマト姫から草薙剣を受け取り、房総半島に渡る荒れた海上で妻のオトタチバナ姫を失い、帰路、尾張でミヤズ(美夜受、宮簀)姫を娶るも、近江伊吹山で大蛇に祟られ死去。それで、ミヤズ姫は草薙剣を熱田神宮に祭った、という。ところが、壬申の乱の前の668年、ある僧がこの草薙剣を熱田神宮から盗み、新羅に逃げようとした。その後、行方不明になっていたが、686年、応神天皇が病に伏せり、これを占ったところ、宮中にある草薙剣が祟っているとされ、慌てて熱田神宮に返した。

このように、垂仁・ヤマト姫の時代と天武・持統の時代は、エピソードとして重複直結している。これは、両時代が同一ではないにしても、記紀編集時に、障りを憚り、天武・持統のエピソードを、あえて古い垂仁・ヤマト姫に混ぜ込んだからだろう。『古事記』にあって『日本書紀』に無いような中途半端な垂仁妃カグヤ姫も、ほんとうは、680年から684年のわずか3年の間だけの、天武最愛の人だったと考えられる。


秦氏美濃王と西王母巫女

壬申の乱、そして天武朝において、妻のササラ姫(後の持統女天皇)や娘の大来皇女を亀山や伊勢に置いたのは、それが伊勢湾岸を支配し、天武朝を支援する中国系移民の秦氏美濃王に対する人質だったと考えられる。そして、逆に同様に秦氏美濃王側からも人質の巫女が天武朝に預けられただろう。それが、カグヤ姫。おそらくヤマトタケルが娶った尾張のミヤズ姫と同一人物。ヤマトタケルはミヤズ姫を口説くのに、奈良のカグ山の月の歌を贈っている。

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つまり、伊勢神宮と対に、尾張(現名古屋城?)に中国の月女神(西王母)の祭殿が作られ、ここに中国系移民のカグヤ姫が巫女として天武朝の人質となった。しかし、巫女では、貴族たちが言い寄っても、そうそう簡単になびくまい。だが、もとより天武天皇は、秦氏美濃王領に接する大垣直轄領に生まれ育ち、『日本書紀』に書かれているように、幼少から中国の天文遁甲学を得意としていた。月女神(西王母)信仰にも関心と理解があっただろう。『竹取物語』によれば、天皇は、内侍の中臣房子に、多くの男を迷わせている美女と噂の高いカグヤ姫を見に行かせた。この中臣房子の実名は、後に中臣(藤原)鎌足の息子、藤原不比等の後妻となった犬飼三千代。

ところが、カグヤ姫は、あくまで飛鳥浄御原宮への出仕を拒む。それで、天皇の方がわざわざ出向き、偶然を装って姫に会い、以後、天皇はカグヤ姫の元に足繁く通って、逢瀬を重ねる。しかし、三年目、八月十五日には月の国に帰らなければならない、と言い出し、天皇が二千名の兵を送って守るも、なすすべもないまま、百人ばかりの天人とともに天へ昇っていってしまった。天皇には形見として不老不死の霊薬が残されたが、天皇は、カグヤ姫に会えないなら不老不死の霊薬も意味が無い、とし、いずれの山が天に近いか、と問うて、駿河の富士山にこれを持って行かせ、その山頂でこれを焼かせた、という。

実際、天武天皇は、『日本書紀』によれば、壬申の乱勝利のすぐ後、675年から、中国系移民秦氏の多い奥三河の新城(にいき、しんしろ)に都を遷すことを考えていた。そして、679年の筑紫大地震の後、682年にも再び、秦氏美濃王を新城に派遣して、調査させている。ササラ姫(後の持統女天皇)を捨て、中国系のカグヤ姫と新しい都で暮らすことを夢見たのか。そして、684年2月28日(旧暦)には、去ったカグヤ姫を探したのか、美濃王に信濃探索を命じている。同年10月14日(旧暦)、白鳳大地震。この前後、伊勢沿岸に住んでいた中国系移民の秦氏諸族や海部氏、安曇氏の一部は、実際に山中の信濃安曇野に移住。それは、一つには、津波や地震の被害を避けるためであり、また、もう一つには養蚕のための桑を育てるためだろう。


カグヤ姫と浦島太郎と津波とみかん

浦島太郎は、カグヤ姫の物語と表裏一体になっている。この話も、きちんと『日本書紀』にある。第21代雄略天皇22年、京都府北岸の現与謝野町浦島の青年が、大亀を釣った。すると、これが女になったので、妻にして海に入り、蓬莱山に行き、仙人たちに会った、というそれだけの条文。しかし、これは、7世紀後半に、知多半島武「豊」町浦之嶋の漁師が、これまで見たこともない巨大な外洋ダウ船に衝突し、秦氏に救われ、その女と結婚して、新城の奥の鳳来山に行った、という方が状況に合っている。ダウ船は、八代でも「亀蛇」と見立てられていたのだ。丸い船底、高い帆柱に絡みつく真っ白い帆布、これが亀と蛇に見えたのだろう。

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一方、二千名の兵さえもなすすべもないまま、五尺の高さに浮く百人ばかりの「天人」と車に連れ去られたというカグヤ姫。それは、684年10月14日(旧暦)の白鳳大地震で伊勢湾を襲った大津波だったのかもしれない。8月と10月で月は違うものの、この災害があった14日は、月齢暦として、まさに満月なのだ。カグヤ姫を失った天武天皇は、浦島太郎のように、新城ないし信濃に行って、カグヤ姫に再会し、末永く共に暮らすことを願ったのだろうか。

いや、さらに大きな問題は、『古事記』の垂仁天皇の話だと、天皇とカグヤ姫との間に男子、オサベ王がいた、と書かれていること。これが、ほんとうは天武天皇のことだったとすると、大ごとだ。ただでさえ持統女天皇との息子、草壁皇子が689年、27歳で亡くなってしまって、697年、まだ14歳の孫を文武天皇としてむりに即位させたのに、ほかに、それも中国系移民とのハーフで、より正統な直近皇位継承権者がいる、ということになってしまう。持統女上皇が701年に三河から尾張、美濃へ旅しているのは、このカグヤ姫とオサベ王の噂を確かめるためか。

結局、津波に掠われたカグヤ姫やオサベ王の行方はわからなかったのだろう。まして、文武天皇、その子の聖武天皇がいるのに、そのことを公式の史書に書くわけにもいくまい。だから、こうして、現実と虚構をないまぜにして、日本最古の物語『竹取物語』が実名入りで作られた。

ついでながら、カグヤ姫が形見として天武天皇に残した不老不死の霊薬というのは、680年に八代にやってきた中国の「橘」、マンダリンオレンジ。移民団は、蚕とともに日本に持ってきて、温暖な日本太平洋岸で規模プランテーションを考えていた。それは、日本の「橘」とはまったく違って、大きく、甘く、ビタミンなど、とても滋養に富んだ薬果。だが、それはもともとインド・アッサム地方のトロピカルフルーツで、気候的に中国本土での栽培には適さなかったのだ。中国で西王母神と言えば桃だが、日本の太平洋岸では、これが同じく満月のように丸い中国橘、マンダリンオレンジに代えられた。

津波の後、カグヤ姫の橘畑だけが山に残った。天武は、その実を富士山頂で焼き捨てさせた、と言うが、当時、富士山は白鳳大地震に連動して大噴火し、人が寄れるはずもない。だから、天武天皇は、これをカグヤ姫との仲介役の中臣房子こと犬飼三千代にやってしまったらしい。そして、彼女は後に「橘」姓を賜り、これを京都南部の山崎で栽培。万葉集七十余首に歌われるほどの大人気の果物となる。だが、その後、九州八代でも、東海地方でも、京都山崎でも、この中国橘は、日本固有の神樹蚕(シンジュサン)という蛾に葉を喰い荒らされて全滅。かろうじて別種の小みかんだけが残った。この苗が戦国時代に九州八代から紀州有田に植えられ、江戸時代に爆発的に人気を得るようになる。

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by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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