イスラム過激派組織ボコ・ハラムに追われた国内避難民(IDP)が暮らすナイジェリア・ボルノ州ディクワのキャンプ(2014年2月14日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】ナイジェリア北東部ボルノ(Borno)州ディクワ(Dikwa)には車が1台も残っていない。電話回線はすべて爆破されたために外部との通信手段も皆無だ。

 しかし、ここで複数の人道支援団体が、イスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」によって家を追われた約5万7000人に援助を届けようとしている。2009年以来のボコ・ハラムによる反乱は、この辺境の地に壊滅的な打撃を与えている。

「1日に平均200〜300人が到着する」と、この街に駐留する兵士は言う。「保護も食糧もなく、農業もできないために、彼らは自分たちの村を去ってきたんだ」

 国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)が運営するクリニックのコンサルタント、アブバカル・ガンボ・アダム(Abubakar Gambo Adam)氏は、ここにやって来る人たちは往々にして状態が悪いと言う。深刻な脱水症状に陥っている人や、負傷した人、銃撃された人もいる。

「私がディクワに来た2016年7月以降、多くの変化があった」と、ガンボ氏は言う。「私たちは街の郊外の避難キャンプを拠点としていた。街には入れなかったからだ。衛生的な問題、下痢、マラリアがとても多かった。私たちは深刻な栄養不良の子どもを毎日、少なくとも10人は受け入れていた」

 昨年4月以降、ボコ・ハラムから解放されたディクワの中に援助機関が徐々に入れるようになり、ようやく人道危機の深刻さが明らかになった。

 国連(UN)サヘル(Sahel)地域担当人道調整官を務めるトビー・ランザー(Toby Lanzer)氏は7月、ディクワやモングノ(Monguno)などボルノ州の町の食糧難は、スーダンのダルフール(Darfur)や南スーダンにおける最悪の危機に匹敵するとAFPに語った。

 世界食糧計画(WFP)の倉庫には、ボルノ州全域の約130万人に配給するためのコメや豆、砂糖、トウモロコシなど1万700トンが保管されている。この人数は5か月前と比べてすでに3.5倍で、間もなく200万人に達するとみられる。

■孤立する援助活動

 ノルウェーの首都オスロ(Oslo)で今週23、24日に開催される支援国会合では、国連がナイジェリアと周辺国のカメルーン、チャド、ニジェールへの援助として、総額10億ドル(約1130億円)の拠出を呼び掛ける見込みだ。この巨額は援助の提供手段に大きな課題があることを物語っている。

 安全上の理由から、どの援助機関もディクワに1日以上滞在することができない。緊急時でも2日が限度だ。ボルノ州の州都マイドゥグリ(Maiduguri)から現地へ向かうには、道路はいまだ危険過ぎるためにヘリコプターを使うしかない。

 規模の大きい非政府組織(NGO)から委託されてディクワで活動している人道支援団体も複数あるが、委託元のNGOによる訪問

がない間は実質、孤立している。

 車が不足しているために町を回るには誰もが軍に頼っている状態で、避難民の1か月分の食糧をトラック50台で運ぶのさえ、軍の助けが必要だ。だが適切な監督がないために、食糧が全員に行き渡らないことがよくある。

「ここでの活動で私たちは、人道支援機関としての原則に反することを数多く強いられている」と、ある援助隊員はAFPに語った。「だが単純に、現時点で私たちには選択肢がない。状況は危機的過ぎる」

 過密状態にあるディクワの避難キャンプの一つで、国際移住機関(IOM)の委託を受けて援助活動を行っているアミナ・モハメドさんは、衛生管理の啓発に努めている。「この場所をきれいに保って、体を洗いなさいと言っている。でも彼らがこの1か月、石けんを見てもいないことは分かっているし、飲み水さえ十分にない」と、モハメドさんは言う。

 穴の開いた汚れた服を着た大勢の子どもたちに向かって、モハメドさんは「蚊を殺そう、殺そう」という歌を教え、楽しませている。彼女がおどけて自分の腕をたたいてみせると、子どもたちは笑い転げた。「私たちはここにあるものの範囲でどうにかしようとしている」と彼女は笑顔で語った。だが、ディクワにあるものは限られている。
【翻訳編集】AFPBB News