持論を展開する歴史社会学者の小熊英二氏(慶応義塾大学教授)

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“戦後と解放後”を生き抜いた52人の在日一世の証言集『在日一世の記憶』の刊行から9年、その続編として、 在日一世の子に生まれ、その後の時代を生き抜いた在日二世たち50人の生き様を描いた『在日二世の記憶』が発売された。

前作にも劣らない768ページという、一般的な新書なら3、4冊分に相当する圧巻のボリュームで描かれているのは、プロ野球で3千本以上のヒットを量産した安打製造機、哲学者、社会運動家、実業家、医師、ミュージシャン、僧侶、伝統工芸家、劇団員、マジシャン、映画人etc…といった「在日二世」たちの逞しい生き様である。

その刊行イベントで足掛け13年のプロジェクトに携わる3氏――歴史社会学者の小熊英二氏、ノンフィクション作家の木村元彦氏、在日朝鮮人の記録を残す仕事に携わるライター・編集者の高秀美氏による記念トークショーがジュンク堂書店池袋本店で催された。

前編記事に続き、そのトークショーの一部を紹介しよう。

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本書に登場する、日本で生まれ、喋る言語は日本語の方が得意な50人は職業も生育環境も千差万別である。戦後生まれの彼らが青春時代を過ごしたのが高度経済成長期を挟んだ50年代から80年代。戦後復興という御旗の下、日本が大きな変革を遂げた頃だ。

学校生活、就職、結婚などにおいて多様性を認めない日本社会の閉鎖性を前にしながらも、日本社会で生きてきた彼らの生き方や悩み、その行動について「在日二世は日本社会を映す鏡でもある」と小熊は持論を展開する。

「在日一世、在日二世の記録はどちらかというと日本の周辺に位置した人たちの歴史です。その記録を文字で書き残す人は少なく、その姿が見えるという意味において『日本社会の鏡』になっています。例えば、東京大学を出て官僚になった、大会社に入ったといった人生を歩んだ人たちとは対局に位置する日本社会の姿がよく見えてきます。日本社会の中のいろんな部分との関係の中で過ごしてこられた方々の歴史ですから。

それに在日一世は朝鮮人ですから、鏡として映っても日本社会ではなく朝鮮人としての特性が見えてしまう。もちろん、“日本社会の鏡”という表現が、言われる側からは違和感を覚えるのは理解しています。ただ、そういう立場は在日と呼ばれる人たちだけではなく、たとえばLGBTと呼ばれる人たちであったり、難病の人たちだったり、リストラに遭った人たちだったり、非正規雇用の人たちだったり、それこそ女性であったり。特定の立場に立てば“社会の鏡”にされてしまうし、いつでも誰でもそうなる可能性はあります」

在日一世がほぼ同時代を生きる人たちであったのに対し、在日二世の年齢層は幅広い。そのため1932年生まれから1960年生まれの50人のインタビューは、巻頭から年齢順に並ぶ。年代ごとに読んでいくことで、二世たちの置かれた1950年〜1980年代にかけての社会的、国家、教育などの状況を通して、歴史の側面を知ることができる。

「在日一世というのは、どの人に話を聞いても過酷な経験をされていて、それなりに読めてしまうんです。半面、その経験はある程度共通している。でも、在日二世の場合、最初の出発点が飲んだくれの親を持っているところから始まっても、その先は成功した人もいれば、そうではない人もいる。だからこそ、どういう人に話しを聞くかは気を配りました。

日本社会の、あるいは東アジア社会の戦後の証人としての証言集という色彩も兼ねたものにならないようにと。あくまでも、いち在日二世への聞き取りという証言集なので芸能やスポーツ、科学といった分野で成功した人だけではなく、民族団体で活動する人や実業の成功者など、いろいろな人を意識的に入れるようにしました」

そう小熊は意図を明かすが、『在日一世』、『在日二世』ともにタイトルは“記録”ではない。“記憶”である。人の記憶というものには、多かれ少なかれ主観が入るものだ。また、ライターとの初対面時と2度3度、取材回数を重ねる中で関係性は変化し、証言が変わる可能性もある。しかし、本書の取材方針は「まず相手の言ったことをちゃんと全部書き残す。明らかなねつ造でないものは全部載せる」(木村)ものだったという。

つまり、同じ歴史的事象について語っていても、取材対象者のスタンスによって、記憶の立ち位置が変わることを意味している。

「これは言ったことの記録ではあるけれど、記憶なんですよね。文書資料というものを使い、ものを書いてきたからわかるのですが、文書が全部当てになるかと言ったら、そんなことは全くない。特に旧日本軍の文書なんて、かなり嘘が多い。嘘とまでは言わないまでも、辻褄さえ合っていればという程度のものがある。

結局、歴史というのは広い意味で全部が記憶なので、明らかに間違っているものは訂正するにしても、明確な間違いと言えない記憶については、可能性が開かれる形で残すことにしました。そうすることで、証言をしてくださる方の存在を生かす側面と、あえて言葉を使いますが、“鏡”となって、その時の空間や社会を映し出すことができれば、それが人のため世のためにもなると考えているからです」(小熊)

2015年は戦後70年の節目だった。70年という歳月は人間ひとりの一生に相当する長さだ。しかしながら、これだけの時を経てもなお、日本、韓国、中国の東アジアは歴史認識など様々な問題を抱え、いまだ“戦後の終わり”が訪れたとは言えない。

在日朝鮮人の歴史は植民地支配と強制連行、戦争、差別の歴史でもある。そうした時の流れの中で国家や民族、差別に惑わされながら、戦後の日本社会で自らのアイデンティティを問い続けてきた50人の、しなやかで屈強な精神がただここには在る。

(構成/津金一郎 撮影/江木俊彦)

■『在日二世の記憶』(集英社新書) 定価:本体1600円+税

「一世」以上に劇的な運命とアイデンティティをめぐる困難な問いに翻弄された「二世」たちは、「戦後/解放後」の時空を各分野のパイオニアとして、逞しく生き抜いてきた。3千本以上のヒットを量産した天才打者、哲学者、実業家、医師、社会運動家、ミュージシャン、僧侶、伝統工芸職人、格闘家、劇団員、マジシャン、映画人ーー「在日コリアンの声を記録する会」がまとめ上げた50人のライフ・ヒストリーは、いずれも深い感動を呼び起こす。足掛け13年にわたって完成した、近現代史の第一級史料。