娼婦、楽園、植民地:空族が描くアジアの裏経済『バンコクナイツ』

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映像制作集団・空族の富田克也と相澤虎之助が、構想10年をかけて完成させた野心作『バンコクナイツ』。

構想10年、空族が満を持して完成させた最新作『バンコクナイツ』。前作『サウダーヂ』では地方都市のリアルを赤裸々に、本作ではタイを舞台にゾ婦・楽園・植民地イ箸いΕ董璽泙鮗瓦法⊃祐屬陵瀚召渦巻く世界を描き出す。

物語はタイ・バンコクの日本人専門歓楽街、「カラオケ」と呼ばれるホステスクラブがひしめくタニヤ通りで幕を開ける。ゥ織縫箴鋺イ離薀奪と元自衛隊員のオザワが、バンコクから北部のイサーン地方、そしてラオスへと向かうロードムービーをベースに、さまざまな人々の思惑が交錯する群像劇となっている。

カメラが入り込むことは困難と思われていた歓楽街タニヤをはじめ、総距離4000kmを超える長期間撮影に挑んだ空族。『国道20号線』『サウダーヂ』に続く三部作の最終章で、空族が捉えたアジアの現在とは?

-ついに三部作の最終章となりました。まずは、空族の成り立ちからお話しいただけますか?

富田:空族は、結成して15年くらい経ちます。当時は今みたいにデジタルビデオで撮って映画館ですぐかけられるというような状況ではなかったですからね。まずは映画を作りたかったんでしょうね。

劇場でかけてもらえる可能性なんか期待もしていなかったし。とにかく作りたいものを作ろうと。そしたら人に見せたくなって、誰もやってくれないし自分たちで配給し始めたんですよ。そうこうしているうちに上映もデジタル中心になり、僕たちもやりやすくなってきたんです。

相澤とは20代前半に出会いました。お互い自主制作で映画を作っていたんですが、初対面は相澤の『花物語バビロン』の自主上映会でしたね。相澤のライフワークとも言える、ゥ▲献⇔経済三部作イ任后

相澤:僕は90年代、バックパッカーでアジア中を旅していたんです。当時はゥ札ンド・サマー・オブ・ラブァ80年代後半にイギリスで起きたダンスミュージックのムーブメント。その名称は60年代後半のヒッピー・ムーブメント「サマー・オブ・ラブ」に由来する)なんて言われていた時期で、パンガン島(毎月満月の夜に開かれるビーチパーティー「フルムーンパーティー」で有名)のレイヴパーティとか、世界中で流行ってたんですよ。


(C) Bangkok Nites Partners 2016

アジアを旅していると、街のトゥクトゥク(三輪タクシー)運転手に、必ず聞かれる質問が三つあるんです。女はいるか、ドラッグをやるか、極めつけは銃を撃つか。どの街に行っても、この三つの質問をやたら聞かれるんですよ。欧米人たちが派手にパーティーやっている傍ら、アジアにはこういう裏経済があるんだなと知ったわけです。そこで8ミリフィルムを持って、ロードムービー風に作った映画が『花物語バビロン』。タイトルの花は、ケシの花の意味です。

富田:ケシの花はアヘンの原料です。ケシの花を生成するとモルヒネになり、さらに生成するとヘロインになる。東南アジアのタイ、ラオス、ミャンマー北部の山岳地帯がゥ粥璽襯妊鵝Ε肇薀ぅ▲鵐哀譛イ辰童討个譴討い董△つてのアヘン生成地として世界的に有名ですね。

相澤:その地域に潜入するため、まずはチェンマイに行ったんですよ。そこには少数民族のモン族という人々が暮らしてるんです。モン族はベトナム戦争にも大きく関わった民族。クリント・イーストウッドの映画『グラン・トリノ』にも出てきますね。実は主にそのモン族などの山岳少数民族が、アヘンを生産してたんです。歴史を遡ると、満州では日本軍も中国の人にアヘンを作らせてそれが軍事費に使われていたという史実もあります。そういう話を実験映画の形で作ったのが、『花物語バビロン』でした。

富田:女はいるか、ヤクをやるか、銃を撃つか。アジア裏経済三部作の第1作は麻薬を扱った『花物語バビロン』で、第2作がベトナム戦争と武器(銃)を題材にした『バビロン2 -THE OZAWA-』。そして三部作の最後がこの『バンコクナイツ』に結実していったというわけです。


(C) Bangkok Nites Partners 2016

『国道20号線』で相澤と初めて共作するんですけど、それ以降は、相澤の監督作品と僕の監督作が互いのものを補い合う形になっていくわけです。一作で全部やろうとしないでいい。アジア裏経済三部作は空族のベースになっていったんです。『国道20号線』『サウダーヂ』、これらも同時進行で進んでいった。

実は『サウダーヂ』より前から『バンコクナイツ』の構想はずっと頭にあったんです。ただ、『サウダーヂ』はあの時期、あの瞬間に撮らなくてはいけなかった。それで『サウダーヂ』を撮り終えた後、じっくりと5年をかけて完成したというわけです。

-『国道20号線』『サウダーヂ』とともに、アジア裏経済三部作も同時に進んでいて、その二つの水脈が『バンコクナイツ』で合流するんですね。

富田:オールスター総出演にしようと気合い入れましたね、今回は(笑)。空族映画は、全作品間を行ったり来たりしながら観てもらうと更にマニアックに楽しんでもらえるようにと作ってきたつもりなんです。なのでこの機会にと、ザ族サーガイ般誕任辰董3月4日から新宿Ksシネマさんで全作品特集をしていただけることになりました。

-『バンコクナイツ』は空族史上最大規模で製作されていますよね。これまでの実績が蓄積されてクラウドファンディングなども成功したのかと思います。一貫してソフト化しないという空族のスタイルはどこから?

富田:フィルムは完全に消えて、デジタルの違和感も過去のものになりつつあり、なんでもかんでもすぐダウンロードで見れちゃう時代だから、いよいよ映画を観ることのノスタルジーは残すところ劇場で観るということだけかなと思いますね。拡散に次ぐ拡散に過ぎるし、とにかく今どきは速すぎるんで何事も。丁寧に時間をかけて作ったものを出し惜しみするくらいでちょうどいいと思ってるんです。

拡散度は低いけど、その方が伝わり方の濃密さは増します。急激なのものは脆いですよ。より着実に足場を固めつつ、やはりゲリラ戦しかないでしょうね。

-国内マーケットでの展開を前提とした大作、国際的評価の獲得を目指す低予算のインディーズ。映画業界の二極化が著しい時代ですが、空族は独自のスタイルでうまく製作システムを機能させている稀有な存在ですよね。

富田:『サウダーヂ』までは、スタッフも他の仕事を抱えながらボランティア状態だったんで。「作りたいものを勝手に作った」という美談ではありますけど。とにかく時間をかけたの一語に尽きます。徐々に積み重ねていくしかなかった。クラウドファンディングの成功は、いままで空族を観てきてくれた人々に支えられていたし、もちろん僕らもそれを意識してました。チョッケツというのはそういうことです。

-『バンコクナイツ』が東南アジアシリーズ第1弾となり、今後もシリーズとして続いていくことを期待したいです。アジア裏経済や労働者たちの実像など、空族がそういった社会派のコンセプトやテーマに惹かれる理由とは?

富田:相澤と一緒に脚本を書くことで、『国道20号線』の中に「タイ」というキーワードが紛れ込んできた。『国道20号線』を撮り終えた後、「東南アジア行ってみる?」って相澤に連れられ、初めて行ったのがカンボジアでした。僕は三十半ばまで外国に出たことがなかったので、そこでぶっとんでしまったというわけです。

相澤:最初は身近な友達に起こる出来事を撮っていましたけど、見回すと隣でブラジル人が働いていたり、タイの女の子たちが働いていたり。思った以上に人間って国境を越えているんだなと。

富田:自分たちの身近な人物の視点で、周りの世界をたどっていったら、背景が広がっていったんです。

相澤:どこの街でも今はコンビニに行けば中国人が働いている。当たり前の現実を新しい視点で全く違うものに描けると思ったんですよ。


(C) Bangkok Nites Partners 2016

-その現実が、日本を超えてタイまで地続きというのが面白いですよね。地元の人たちからの厚い信頼を得られたからこそ、完成した映画ですよね。

富田:本当にその通りです。地元の人との信頼を築くには長い時間がかかりました。それは『サウダーヂ』の時も同じで、ブラジル人コミュニティにカメラを持って行った時、「マスコミの人間が俺たちの粗探しに来たんだろ」ってかなり警戒されたんです。だから僕らは、「あなたたちの存在を世間に知ってもらいたい」と何度も足を運び、一年かけて仲間になったんですよ。

『バンコクナイツ』の舞台はタイの日本人歓楽街タニヤというストリートで、カメラを向けるのは憚られる場所です。でも、ロケセットじゃなくて「必ずここの場所で撮る」と決めて挑みました。やっぱり大変でしたね。最初は誰も信じてくれませんでした。「どんな映画なの?」って聞かれてもうまく説明できなかったんですよね。まず僕らの映画の作り方を説明するのが難しいわけです。「プレーン・プア・チーウィット」(タイの社会派流行歌。日本語ではダ犬るための歌イ般される。米国のジョーン・バエズやボブ・ディランなどのプロテストソングから影響を受けて1970年代に生まれた)という一言にヒントを得たんです。僕たちはこの言葉の一部を借りて、「プレーン(歌)・プア・チーウィット」を、「ナン(映画)・プア・チーウィット」に変えて説明したんです。「人生のための映画」を作りたいと。

-なるほど。それにしても、タニヤ街に群がる日本人男性客の“ちょっとでも安く女を買おう”という発想が、本当に卑しいですよね(笑)。

富田:企業が海外進出とかって、つまり安い労働力を求めてってことなわけで、そもそもそれがタニヤができた原因でもあるし、そのままですよね。タイの性産業が現在のように巨大市場化した背景には、ベトナム戦争時にタイ政府がアメリカと結んだレスト&レクリエーション条約というものがあったんです。つまりベトナム戦争に従軍する兵士たちの休暇と保養のための施設を近隣の同盟国に無理強いしたということです。

相澤:東京に生きていると、今のこの日本社会が普通の世界になるけど、そうじゃない世界も昔から連綿と続いているんですよね。逆に、戻って来て「日本もアジアだったんだな」という発見もありました。そういう意味でのゥ汽Ε澄璽凧ァザ申イ箸いΔ發里魎兇犬拭1撚茲鮖ることで、「この都会の生き方の方が実はまやかしなのかも」って思ったり。


(C) Bangkok Nites Partners 2016

富田:山中貞雄監督の『河内山宗俊』という映画があります。江戸時代の話で、幼い原節子演じる町娘が家庭の事情を抱えて困っていると、そこにヤクザの親分と浪人風情がやってきて、当たり前のように手を貸しはじめ、その問題が割と深刻なことだったので状況は追い詰められちゃって、しかし乗りかかった船だと最終的に彼らは、割とあっさり命を賭けてその娘を守って死ぬ、みたいな話です。命をかけて赤の他人を助けるなんて、今の時代では考えられない話ですよね。

相澤:命を賭けるとか聞くとやたらとマッチョな話に聞こえますけど、中国にもそういう話は多いんですよ。実はアジアって仁義のサ像イ良分が非常に強くて、それはアジア特有の義侠心だと思うんです。

富田:タイには敬虔な仏教徒が多いから、バンコクなんて大都会ですけど、下町なんかだと、近所で産まれた親なしの子供を引き取って育てちゃいますからね。それが割と普通な社会なんですよ。それがいい人間の証なんです。日本は役所に電話するくらいしか思いつかない社会になっちゃった。

相澤:旅先でぼったくられて金が無くなり困っていると、気付けば異国の見ず知らずの人が助けてくれる(笑)。そういう価値観が日本にないとは言わないけど、薄れてきている気はします。自分の取り分に必死になってるというか。

富田:僕自身、のほほんと生きてきたんですよ。何の苦労もせず、金に困ることもなく育った。そんな生半可な人間が生まれて初めてカンボジアに行って、それまでの価値観が全部崩れた。で、原発が爆発してすべてはひっくり返った。

-ずっと前から構想されていたテーマがこの『バンコクナイツ』で結実しました。今後、空族はどこに向かうのですか?

富田:行きたいところに行って撮りたいものを撮る、というスタンスは今後も変わらないと思います。しばらくはアジアでしょうね。もちろん、日本も含めてのアジアです。

KUZOKU
空族 富田克也と相澤虎之助による映像制作集団。2004年、“作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する”をモットーに発足。常識にとらわれない、長期間に及ぶ独特の映画制作スタイルで話題を集めてきた。作品ごとに合わせた配給、宣伝も自ら行ない、作品はすべて未ソフト化という独自路線を貫く。


KATSUYA TOMITA
富田克也 1972年山梨県生まれ。2003年に発表した処女作、『雲の上』が「映画美学校映画祭2004」にてスカラシップを獲得。これをもとに制作した『国道20号線』を2007年に発表。『サウダーヂ』(11)ではナント三大陸映画祭グランプリ、ロカルノ国際映画祭独立批評家連盟特別賞を受賞。国内では、高崎映画祭最優秀作品賞、毎日映画コンクール優秀作品賞&監督賞をW受賞。その後、フランスでも全国公開された。最新作はオムニバス作品、 『チェンライの娘 (『同じ星下、それぞれ夜より』)』(12)。


TORANOSUKE AIZAWA
相澤虎之助 1974年埼玉県生まれ。早稲田大学シネマ研究会を経て空族に参加。監督作、『花物語バビロン』(97) が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて上映。『かたびら街』(03)は富田監督作品『雲の上』と共に7ヶ月間にわたり公開。空族結成以来、『国道20号線』(07)、『サウダーヂ』(11) 『チェンライの娘』(12)と、富田監督作品の共同脚本を務めている。自身監督最新作はライフワークである東南アジア三部作の第2弾、『バビロン2 THE OZAWA』(12)。

『バンコクナイツ』
監督・脚本:富田克也
共同脚本:相澤虎之助
出演:スベンジャ・ポンコン、スナン・プーウィセット、チュティパー・ポンピアン、富田克也、伊藤仁、長瀬伸輔、川瀬陽太ほか
2月25日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開。
http://www.bangkok-nites.asia/