目先の売上や利益の追求に流されると、後々大問題となって浮上してくる自社のブランド毀損。吉野家ホールディングスの安部修仁会長に、吉野家のブランドへの考え方を語ってもらった。(構成/フリージャーナリスト 室谷明津子)

牛丼一筋を貫いた創業者
「最優先事項を磨き上げる」

 1958年に吉野家が株式会社となり、チェーン化を始めたとき、創業者の松田瑞穂はもちろん、当時の日本の経営者はまだ「ブランディング」という言葉を知りませんでした。経営学者のデイヴィッド・アーカーが「ブランドは貴重な無形資産である」と説き、欧米の経営者を中心にブランドへの関心が急速に高まったのは1990年代に入ってから。ブランディングというのは、比較的新しい概念なのです。

 しかし、言葉を知らなくても、松田は「吉野家固有の商品・サービスの価値を作り出す」という意識がすごく強かった。これはすなわち、ブランディングの本質です。

 よく言っていて印象に残っているのが、「あったほうが良いという程度のものなら、ないほうが良い」というセリフです。他社ではなくうちがやるべきことは何かを考え、最優先事項を磨き上げることで、突き抜けたバリューが生まれると、松田は信じていました。

 ですから、松田が吉野家の築地1号店を始めたとき、手間がかかる牛丼以外のメニューはすべて廃止。具材も牛肉と玉ねぎだけに絞り込み、「うまい、はやい、やすい」を独自の価値として打ち出すことで、飛躍的に客数を増やしました。

 築地市場から外に出ていくとき、関西に進出するとき、そして海外に出ていくとき。いずれも「メニューを増やすほうがいい」「現地の味を加えるほうがいい」と周囲から言われていましたが、余計なことは一切しませんでした。「時間がかかっても、本当に価値あるものは理解される」という信念を持ち、吉野家らしさを徹底して追求することで、コアなファンを増やしていったのです。

 細かいことをいうと、吉野家を最初に始めたのは、松田瑞穂の父である栄吉です。彼が個人商店として、牛丼・吉野家を開いたのが1899年。栄吉は非常に凝り性で、職人肌だったと聞いています。会社を大きくすることに生きがいを感じた瑞穂とは正反対のタイプですが、味にこだわり、ひとすじに何かを追求するというDNAは、ここから来ているのだと思います。

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