旧正月連休中、中国の高度1万メートル上空で、外出する人々のために黙々とサービスを続ける一組の母娘の姿があった。

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2017年「春運(旧正月前後の帰省・Uターンラッシュに伴う特別輸送体制)」が終わった。連休中、中国の高度1万メートル上空で、外出する人々のために黙々とサービスを続ける一組の母娘の姿があった。魏芳さんは、中国国内航空会社の山西支社でチーフパーサーを務めている。1987年7月に入社してから丸30年間、客室業務員(CA)を続けてきた。魏さんの娘の牛嘉[王路]さんは今年25歳。彼女も3年前、CAの道に入り、母と娘2人揃って大空の夢を描き、それを実現させている。

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魏さんは山西の「CA第一号」のひとり。当時(1987年)、工業航空公司が初めてCAを公募、魏さんを含む5人が採用試験に合格した。顧客へのサービス精神に満ちた彼女たちは、仕事の実践を踏む中で、試行錯誤を続け、成長してきた。

魏さんは、工業航空公司から通用航空公司、さらには他の航空会社との合併再編に至るまで、山西民用航空の移り変わりを30年間肌身で感じてきた。各航空会社山西支社のあらゆる機体に乗務し、各航空会社山西支社の各種デザインの制服を身に着けてきた。彼女は、「30年間仕事を続けてきたことで、家族にはかなりの負担をかけてきた。娘と一緒に過ごせる時間はわずかしかなく、幼稚園に入園させるときも、全寮制の幼稚園を選んだので、会えるのは週に1度だけだった」と話した。

娘が小学校に上がると、魏さんは娘を教師の家に預け、衣食住すべての世話を教師に託した。中学校以後は、宿舎での生活が始まった。魏さんは、「私は母親として果たすべき責任を十分に果たせなかった。今は、CAを続けるために、身体を鍛え、コンディションを万全にするよう心がけている。子供の足手まといには絶対になりたくない。私が健康でいることが、子供に与えられる最高のプレゼントだと思っている」と述べた。

娘の牛さんは、「子供のころは、大きくなったらCAになろうなどと思ったことはなかった。でも、実際に大人になったら、母と同じ仕事についていた」と笑いながら話した。CAの仕事をして初めて、母がどれだけ苦労してきたのかが身に染みて分かったという。

「CAは、その仕事の性質上、自分の時間を完全にコントロールすることはできない。だから、小さい頃、母が私の各種行事に参加できることはほぼ皆無だった。私はそのことが良く理解できず、なぜ来てくれないのかと悲しい思いをしたこともあった。でも、自分でCAの仕事を実際にやってみて初めて、この仕事の素晴らしさを十分に理解できるようになった。一日だけ働くことは簡単だが、一生続けることはなかなか容易ではない」と牛さんは続けた。

この点で、牛さんは母親を尊敬している。母親は、根気よく続け、仕事をライフスタイルの一部とし、仕事に面白みを見出しながら続けてきた。たゆまぬ努力で空を飛び続けてきたことが、何よりも肝心な点だ。牛さんは、「25歳の私が、母が30年間もの間、ただひたすら持ち続けてきた仕事への愛情を心から理解することは難しい。歳月の積み重ねによって積み重ねられた経験と鍛練を通じて、自分がもっと成長できるかもしれない。あるいは、『素晴らしいCA』に近づけるのかもしれない」と語った。(提供/人民網日本語版・編集/KM)