ディーリアスが人生の後半に住んだグレ・シュル・ロワンの風景

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日本列島は各地で春一番が吹き、南からの暖かい風が入ってくるようになりましたが、春一番の後は必ず寒の戻りがあり、まさに「三寒四温」な毎日が続いています。

今日は、そんな早春に聞くのにふさわしい、春を感じられる小管弦楽のための作品、ディーリアスの「春、初めてのカッコウを聴いて」を取り上げましょう。

フロリダでプランテーション経営

ディーリアスは1862年、イギリス中部の街ブラッドフォードに生まれます。出生地からすると、彼は「イギリス近代の作曲家」と定義されるべきなのですが、彼は波乱にとんだ生涯を送ることになり、必ずしもイギリス人とは言い切れません。彼のファミリーはドイツ系移民で裕福な商人の家系でした。音楽家の物語としてよくあるパターンですが、父親は、その息子に音楽などという「食えない」商売を目指すのではなく、家業を継ぐようにプレッシャーをかける・・・フリッツ・ディーリアスの場合も、同じでした。ただ、裕福な実家にはたびたび著名な音楽家が訪れており、幼いディーリアスはその音楽を聴いて影響された可能性があります。少年期からヴァイオリンやピアノを習いましたが、それはあくまで「趣味の範疇」という扱いでした。地元のグラマー・スクールを卒業後、ロンドンのコレッジに進んだディーリアス青年は、ロンドンで音楽や演劇三昧の生活を満喫します。実家に呼び戻されて、家業を継ぐべく、イギリスやドイツ、そしてスウェーデンにフランスと取引先のある支社などに派遣されますが、ドイツでは音楽の本場とばかりヴァイオリンのレッスンに足しげく通い、スウェーデンでは隣国ノルウェーのイプセン作品に心酔したり、フランスではパリのオフィスをほったらかしにして南仏に遊びに行ったり、典型的な「裕福な会社のダメな跡取り息子」を実践しました。

父親はそれでもあきらめず、商売の道に進ませるために、ディーリアスを遠いアメリカはフロリダに送ります。そこで今度はオレンジのプランテーション経営をするように命じるのですが、彼は、そこでもオルガニストに作曲を熱心に習い、地元の黒人たちが歌う黒人霊歌やフォークソングに魅了されたのです。それまでずっと音楽が好きだったものの、プロの音楽家、それも作曲家になろうと思ったのは、このフロリダ時代だったと後に回想しています。

フロリダでの生活を聞いて、父親はついに音楽の道を歩ませることにしぶしぶ同意し、学費を出してもらったディーリアスはニューヨーク経由ドイツのライプツィヒに向かい、名門ライプツィヒ音楽院に入学します。しかし、ここでもアカデミックな学風にはなじめず、また放浪することになり、叔父を頼ってフランスのパリに行くことになります。

ライプツィヒでは、学ぶことがなかったかのように見えますが、当時のライプツィヒにはドイツや他国から綺羅星のごとく音楽家が訪れており、ブラームス、マーラー、チャイコフスキーといった歴史に名を遺す音楽家たちの演奏を直接聴くことができました。中でも北欧ノルウェーからやってきていたグリーグには才能を認められ、作品を演奏してもらっただけでなく、父親を説得までしてもらっています。

40代になってから注目あびる

ともあれ、ディーリアスは、自分の中の音楽・・つまり自分の好みがドイツ的なものではなく、北欧やフランスといった他の国の音楽に近いものであることに徐々に気づき始めていました。しかし、パリでは作家や画家との交流はあったものの、当時、ドビュッシーやラヴェルが現れて輝きを増していたフランス作曲界との接触は不思議なことに、ほとんどありませんでした。

パリで、ドイツからやってきた画家、イェルカ・ローゼンと出会い、結婚することになります。母方の祖父がピアニストにして作曲家、イグナーツ・モシュレスだったイェルカは、画家としてフランスの画壇で活躍するだけでなく、言語に堪能で、文学にも造詣が深く、ディーリアスに歌曲のための詩を翻訳したり、彼のオペラ作品の舞台背景を担当したり、とパートナーとして重要な働きをすることになります。

結婚した二人は、パリを離れて、60キロほど南東に離れたグレ=シュル=ロワン村に住むことにし、第1次大戦の時、一時離れるものの、亡くなるまで、彼らはそののどかな村に暮らすことになります。名前もドイツ風のフリッツから、イギリス・フランス風のフレデリックに変え、現在は、フレデリック・ディーリアスと表記されます。

作曲家としては、世紀の変わり目のころから次第に、ドイツ、イギリスで評価されるようになり、作品が演奏されることも多くなりました。40代に入ってからやっと作曲家として注目されるようになったのです。

「春、初めてのカッコウを聞いて」は、1912年に作曲された「小管弦楽のための2つの作品」の1曲で、小さな交響詩ともいえる作品です。わかりやすくオーケストラで情景描写される聴きやすい音楽で、弦楽器の春を告げる優しいハーモニーの上に、木管楽器で鳥たちの鳴き声が重ねられます。あたかも印象派の絵を見ているような、穏やかな音楽です。

不思議なことに、あれだけ移住を繰り返し、様々な音楽を吸収し、この時期はフランスの小さな村に住んでいたディーリアスなのですが、この音楽を聴くと、遅い春を迎えるイングランドの田園風景が思い浮かびます。故郷イギリスにあまり帰らなったディーリアスの心の中の楽園の風景は、果たしてどの国の景色に似ていたのでしょうか・・・・?

本田聖嗣