竹澤と同じ時期に服役していたロシア人が描いた所持品検査の様子(竹澤氏による)

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 2016年9月、ある日本人男性が14年ぶりに日本に帰ってきた。

 彼の名は、竹澤恒男、神戸出身の64歳だ。彼は2002年12月、タイから日本へ覚醒剤を密輸しようとして当時のタイの玄関だったドンムアン国際空港で逮捕された。ヤーバーというアンフェタミン系の覚醒剤の錠剤を1250錠ほど所持し、当初の求刑は、「死刑」だった――。

◆50歳にして一審判決は「終身刑」

 竹澤はどういうつもりで密輸をしてしまったのか。

「タイで麻薬事犯の罪が重いことは知っていましたが、あの所持量で死刑求刑されるとは思っていませんでした。元々は小遣い稼ぎのつもりですでに7、8回は密輸に成功していて、これで足を洗うつもりだったのですが、その最後で逮捕されてしまいました」

 当初は自前で販売ルートを確保し毎回2000〜3000錠を密輸していたが、地元の暴力団につけこまれてしまい、これが最後と思っていた矢先だった。裁判で密告があったため警察が竹澤をマークしていたことを初めて知った。だが、誰が密告したのかは竹澤には今も見当がつかない。

 竹澤は日本で3度の服役経験があり(パチンコの不正行為など)、1989年に最後の出所をした。そして、最初の妻(タイ人女性)と結婚して地元神戸に戻り、心を入れ替えてまじめに働いた。ところが、阪神大震災に遭遇して仕事を失い、妻とも離婚。すべてが変わってしまう。竹澤は実家の年老いた母を連れ、栃木県小山市に移住。2度目の結婚で再びタイ人の妻を娶り、一緒にアジア雑貨店を経営した。タイで逮捕されたとき、日本に母と妻を残したままの状態であった。

「求刑死刑でしたが1審の判決は終身刑。終わったと思いました。2審で減刑されましたが、当時すでに50歳になっていた身には懲役30年は終身刑と変わらないという思いでした」

 もしかしたら30年もの長い判決を受けずに済んだ可能性もあった。というのは、1審の初日にタイの国選弁護人が現れなかったのだ。

「その日たまたま日本語を少し話せる弁護士が裁判所にいたので、その場で国選弁護人として引き継がれ、打ち合わせもなしで公判が継続されました。その弁護士は罪状をすべて認めればタイでは刑期が半減され、私のケースでは重くても10年と言われました。しかし、結果は求刑死刑です。タイでは1級麻薬の営利目的密輸では求刑は死刑以外ないということを知らなかったようです。彼自身が求刑に驚いてました」

 タイの麻薬に関する法律「タイ国2545年(2002年)制定の麻薬・覚醒剤に関する刑法」ではアンフェタミン系の覚醒剤は1級に分類される。これは等級というよりもカテゴリーのことで、1級は違法となる成分の純物質が20gを超えているものを密輸入した場合、終身刑あるいは死刑となる。竹澤によればほかの日本人受刑者のほとんどが求刑死刑、判決が終身刑だったようで、むしろ有期刑で済んでまだよかったとはいえる。

 1審に立ってくれた弁護士も2審には現れず、私選弁護士を友人と竹澤の妻がつけてくれたものの、結局3審も2審判決を支持して30年で確定。もし2審で終わらせておけばタイミング的に恩赦がつき、2015年に釈放された可能性もあったかもしれなかった。結局裁判に2年を要し、公判中の2003年には母親も亡くなってしまい、死に目に会うことはできなかった。自業自得ではあるが、竹澤にとってすべてが不運だった。

 2004年になって竹澤は終身刑や死刑囚を含む、刑期が30年以上の囚人が入るバンクワン刑務所に移送された。バンコク近郊にある刑務所で、日本人受刑者が今でも数人ほど服役している。ここである意味、竹澤の性格が幸いした。

「私はどんな状況にも適応できる性格ですので2、3か月で刑務所生活には慣れました。刑務官は仲がよいというほどでもありませんが、日本人には親切でしたね」