『アイヒマンの後継者 ミルグラム 博士の恐るべき告発』 (C)2014 Experimenter Productions, LLC. All rights reserved.

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【映画を聴く】
前編/『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』から考える
ナチス映画の音楽のトーン&マナー

虚無を音像化した、異例なほどにドライな音楽

今回取り上げる『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は、社会心理学者のスタンレー・ミルグラム博士が1961年に行なった“アイヒマン実験”を中心に据えつつ、彼の半生を追った作品。博士自身が語り部としてカメラに向かって話しかけるスタイルで、物議を醸した数々の実験の動機から心臓発作による自らの死までを“神の視点”で解説していく。昔ながらのスクリーン・プロセスを使って人物と背景を意図的に分断したり、現実と非現実を普通にひとつの空間に共存させるなど、どこか『アニー・ホール』あたりに通じる半ドキュメンタリー風のアプローチも見られ、ナチスやホロコーストに関連する映画としては音楽の使い方も含めて異色の仕上がりとなっている。

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1960年、ホロコーストに関与した大物戦犯であるアドルフ・アイヒマンの身柄が潜伏先のアルゼンチンで拘束され、翌61年にはその裁判の模様が世界37ヵ国で放映。アウシュヴィッツ強制収容所での殺戮行為の実態が初めて明らかにされた。と同時に、それを指示する立場にあった人物とは思えないアイヒマンの凡人ぶりにも世界中で驚きの声が上がった。本作で描かれるアイヒマン実験は、この裁判の翌年から実施されており、“なぜ人間は権力に服従してしまうのか”、“なぜごく普通の人間が一定の条件下では非人道的な行為に手を染めてしまうのか”の検証を目的としている。

実験は2人の被験者が先生役と生徒役に分かれて別室に入り、生徒が問題の答えを間違えるたび、先生が電気ショックを与えるというもの(実は生徒役は実験の協力者で、別室で電気ショックを受けるフリをしているに過ぎない)。答えを間違えるたびに電圧が上げられ、生徒のうめき声も大きくなる中、被験者の先生役がどこまで電気ショックを与え続けることができるかを通して“権力への服従”のシステムを明らかにしようというものだ。

最大電圧の450ボルトまでスイッチを押すものはごくわずかだろうと推測された実験結果は大きく外れ、450ボルトまでスイッチを押し続けた被験者は全体の60%以上。当然この実験には多くの批判が集まったが、被験者は実験後、口を揃えて“やれと言われたからやった”、“自分の意志ではない”と答え、どこにでもいる普通の人間が権力へ服従する瞬間を浮き彫りにする結果となった。

本作ではこのアイヒマン実験のほか、“スモールワールド現象”や“メンタルマップ”、“見知らぬ他人”など、ミルグラム博士の行なったさまざまな実験が紹介されるが、彼は多くの人にとっては最後まで“アイヒマン実験のミルグラム”であり、そのイメージに対する苦悩や落胆のトーンが作品全体を覆っている。

音楽を担当するブライアン・センティは、ドキュメンタリー作品を中心に2014年の『アナーキー』などの映画作品にも関わってきた音楽家で、ショーン・レノンやボーイ・ジョージらとステージで共演した経験もあるという。本作ではいかにも劇伴らしいスコアではなく、アブストラクトな音の断片を散りばめるプロダクションを徹底しており、結果的にドキュメンタリーに近い作風がいっそう引き立てられている。ナチス政権下のドイツやその“後遺症”を描いた映画としては異例なほどドライで、悲しみや怒りといった感情をドラマティックに煽ることはほとんどない。それはミルグラム教授の空虚な心情の音像化であり、彼が実験を通して目にした“権力と服従”の間に横たわる無意識の空恐ろしさを現代の我々にも投げかけてくるものだ。

後編「巨匠をもストイックにさせたテーマに変化の兆し〜」に続く…

『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は2月25日より全国順次公開。