『安倍三代』青木理 (著) 朝日新聞出版

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■現政権とは真逆の地平に立つ政治家

安倍三代――こう書けば、誰もが岸信介氏、安倍晋太郎氏、そして現首相・晋三氏を思い浮かべるだろう。だが、著者でジャーナリストの青木理氏が取り上げる初代は母方の祖父・信介氏ではなく、父方の祖父である寛氏である。やはり政治家で、一般になじみは薄いが戦前から戦後にかけて二期連続で衆議院議員を務めた。

特筆すべきは、彼が筋金入りの反戦主義者だったことだろう。太平洋戦争遂行のために組織された大政翼賛会に真っ向から対峙して選挙戦を勝ち抜いている。そして、その目線はあくまでも低く保たれ、庶民感覚を大事にしていた。著者の言葉を借りれば「政治思想的にも、政治手法の面でも、現政権とはおそらく真逆の地平に立っていた」という政治家である。

しかし安倍首相の口から、この祖父の名を聞くことはほとんどない。むしろ頻繁に耳にするのは、母方の祖父である岸信介元首相だ。いうまでもなく、あのA級戦犯容疑者の烙印を押されながらも代議士に返り咲き“昭和の妖怪”と呼ばれた人物である。やがて、最高権力者の地位まで昇り詰め、1960年の安保改正に執念を燃やし、死の直前まで政界に君臨する。

では、二代目の晋太郎氏はどうだったのか……。寛氏と同じく東大を卒業し、毎日新聞を経て議席を得る。元新聞記者らしいリベラリズムと現場主義、そして絶妙なバランス感覚を備えていたという。軍部を敵に回し、戦争にも一貫して反対した寛氏の背中を見て育ったからだろう、彼は父と同じく穏健な考え方の持ち主だ。

■「岸信介の娘婿じゃない。安倍寛の息子」

おそらく、岳父である信介氏の威光もあったはずである。早くから自民党の“プリンス”と持ち上げられ、50歳で農林相として初入閣してからは、官房長官、外務大臣、党幹事長と要職を歴任する。だが、総理総裁の座を目前にして病に斃れてしまう。そんな晋太郎氏は常々、周囲の者に「オレは岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子なんだ」と漏らしていた。事実、言葉通りの政治姿勢を貫いたといっていい。

三代目の安倍首相は逆に、自分のことを「安倍晋太郎の息子」ではなく「岸信介の孫」と語っていた。彼の祖父に対する敬慕の念は強く、著者はこんなエピソードにも触れている。それは、彼が高校生時代、教壇に立った教師が日米安保条約を批判したときのことだ。晋三氏は「安保には経済条項もある。そこには両国間の経済協力も書かれている」と反論したという。

もちろん、いかに政治家として功成り名を遂げた祖父や父を持とうと、個人の思想・信条は自由である。ただ現首相の場合は、それが極端に岸信介氏に似ている。祖父が安保改正を力ずくで押し切ったように、集団的自衛権の行使容認をゴリ押し。さらに、憲法改正を数の力で推し進めようとしている。そのことを著者は、祖父を真似ただけの空疎さと書くが同感である。

とはいえ、いくらそれを手本にしたとしても、政治家としての力量は足元にもおよぶまい。そのことは寛氏、晋太郎氏に比べてもいえる。祖父、父、そして子と世襲を重ねていけば、志も能力も劣化していくのかもしれない。ただ、日本国民はそんな政治的リーダーが国の舵取りをしていることを忘れてはならないだろう。

(ジャーナリスト 岡村繁雄=文)