浦和レッズ阿部勇樹インタビュー(後編)

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 今季、6年連続でキャプテンを任された浦和レッズ阿部勇樹。2017年シーズンは、「集大成のシーズンになる」と語った。

 9月には36歳になるが、2012年にレスター(イングランド)からレッズに戻って以来、2013年に1試合出場停止となっただけで、その他の4シーズンはリーグ戦全34試合に出場。”鉄人”ぶりを見せつけており、老け込む様子はまったく感じられない。

「でも、今年にかける思いは強いです。別にやめるとかではないけど、集大成になると思うんですよ。なぜかっていうと、今年は(年男の)酉年でしょ。12年前のときは(ジェフユナイテッド)千葉にいて、シーズンベストの12得点を挙げて、ヤマザキナビスコカップでも優勝して、すごくいいシーズンだった。だから、今年も、という思いが強い。もうこの次の12年後なんて、考えられないですから。

 昨季からはまた年齢がひとつ上がって、自分のパフォーマンスを考えても”集大成”として、今年は最高のパフォーマンスを見せていきたい。そうしていかないといけないと思っている。

 自分にプレッシャーをかける意味もあります。昨年は、常に全力を出して戦ってきたけれど、それでも優勝できなかった。今年は、それ以上にやらないと優勝できない。それに、最近は自分にプレッシャーをかけることもしてこなかった、という思いがある。”集大成”と口に出して言うと、さらに責任が増すじゃないですか。それを受け止めてプレーし、飛躍の年にしたいんです」

 放つ言葉に力がこもった。

 30代半ばになれば、選手はいろいろなことを考えるようになる。しかし、近年のJリーグは、阿部と年齢が近いベテラン勢の活躍が目覚ましい。昨季も、36歳の中村憲剛(川崎フロンターレ)がJリーグのMVPを獲得。37歳の小笠原満男は、チャンピオンシップ、クラブW杯などで奮闘し、鹿島アントラーズの躍進に絶大な貢献を果たした。

「憲剛の活躍は刺激を受けた。他にも、ボンバー(中澤佑二/横浜F・マリノス)、シュンさん(中村俊輔/横浜→ジュビロ磐田)、ヤットさん(遠藤保仁/ガンバ大阪)、ナラさん(楢崎正剛/名古屋グランパス)とか、(日本代表でも)一緒に戦ってきた年上の選手がまだまだ元気にやっているし、そういう選手がしっかりプレーしている間は、自分も負けていられない。

 上の年齢の選手は、試合に出るための準備もしっかりやっている。だから、あれだけ長く、素晴らしいパフォーマンスを見せることが可能なんだと思う。そして、そういう人たちが僕自身を高めてくれる。(その姿を見て自分も)もっとやらないといけないって思いますもん」

 Jリーグで奮起しているベテラン勢の活躍が、阿部にプレーする活力と刺激を与えてくれている。それに応えるように、阿部もレッズの若手に何かを残したいと思っている。それが、レッズで優勝を目指すことと同じくらい、彼のやりがいになっている。

 やりがいを与えてくれるのは、何もピッチの中だけにあるものではない。

「やはり、家族の存在が大きいです。子どもは僕がサッカーをやっていることを理解しているし、(子どもに)自分がサッカーをやっている姿を少しでも長く見せたい。もちろん、自分も少しでも長くサッカーを続けたいと思っている。

 そう思えるのも、それが可能なのも、家族がいるから。キャンプなどで長い間、家にいないときでも、子どもの面倒をみてくれる奥さんがいる。普段も、栄養や健康などいろいろなことを考えて、食事を作ってくれている。そうして、試合に勝つと、奥さんも子どもも、家族みんなが喜んでくれる。その回数を1回でも多くしていって、優勝する姿を見せてあげたい。

 当然、サポーターのために、という気持ちも強い。ぶつかるときもあるけど、『一緒に戦っているなぁ』と思うし、目指す方向は一緒だからね。僕はレッズって、大きな家族だと思っている。だから、”家族”が喜ぶような結果を出していきたいんです」

 そのためにも、阿部はピッチに立ち続けなければならない。


「レッズという『大きな家族』みんなが喜ぶ結果を出したい」と語る阿部勇樹 ボランチのレギュラーは、阿部と柏木陽介が今季も鉄板だろう。それでも、浦和に来て4年目の青木拓矢が控え、期限付き移籍から矢島慎也(ファジアーノ岡山→)も戻ってきた。最終ラインを務める遠藤航も、ボランチでのプレーに意欲的だ。プレーの内容次第では、ベンチに座る可能性がないわけではない。

「レッズでベンチにいる姿……う〜ん、どうだろう。レスター時代では、試合に出られないとか、ベンチ外になった経験をしたことがある。でもそのとき、どうしたら試合に出られるかを考える、いいきっかけになった。いつ試合に出るか、どこのポジションで出るかわからないけど、そのために常に準備することを学んだ。

 レギュラーだろうが、サブだろうが、目の前の試合に出るために準備する。そこに、年齢は関係ないです。新しい選手を含めて、みんなが試合に出るためにレッズにいるわけだから、そういう選手と自分の気持ちも変わらない。レギュラーを奪われたら、奪い返すだけ。プロの世界では、普通のこと」

 淡々と語るが、「集大成」と位置づけた今季は、ボランチのポジションを譲るわけにはいかない。しかしながら、今年はやれたとしても来年以降、いつかポジションを失う時が来る。そうなったとき、潔く身を引くのか、それともサッカーを続けるための道を模索するのか。

 阿部は、自らの引き際について考えたことはあるのだろうか。

「まだ、やめる気はぜんぜんないけど(笑)、レッズでやれるなら、このままずっとレッズでやりたい。レッズというチームが好きだし、レッズのために戦いたい。それが、イギリスに行って(日本を)離れたことですごくよくわかったんです。今は、レッズのために、という思いしかない。ここでサッカー人生を終わらせることができたら、幸せだと思う」

 ちなみに、引退したあとの青写真は描いているのだろうか。解説者、指導者、クラブのフロント入り、あるいはタレントなど、いろいろな道がある。

「テレビ(の解説など)で話をするとか、1%も向いているとは思わないんで、進むなら指導者かな、と思っています。欧州でも有名なオシムさんをはじめ、ベルデニックやベングロシュ、それにミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)さんから教えてもらったものが自分の中で生きているし、大きな財産になっている。それを、どこかで生かしたいなっていう思いがあるし、伝えていかないといけないことかなって思っています」

 阿部が、選手として、またひとりの人間として、大きな影響を受けた指導者は、イビチャ・オシムである。千葉時代に21歳で主将に命じられ、チームをまとめていくうえではしんどい思いをしたが、その指導力と人間的な大きさに圧倒された。B級ライセンスを取得する際、練習メニューを組み立てるカリキュラムがあったが、そのときにもオシムの練習方法をベースに考えたという

「(B級ライセンス取得の際は)ちょうどオシムさんの練習のやり方が頭に残っていたんです。それに海外での練習をプラスして、自分なりに応用して練習メニューを作りました。オシムさんの練習は、本当にクタクタになるほどきつかった。特に(オシムが監督になった)1年目は、練習中、歩くことはなかったですからね。ひとつのグループが走っている間、もうひとつのグループはフルコートで5対5をやっていた。そうやって(千葉も)強くなっていったので、アメとムチをうまく使い分けながら、(自分も)オシムさんのような指導者になりたいですね」

 阿部はいい指導者になるだろう。

 若いときはケガが多く、苦しんだ。オシムには走ること、考えることの重要性を学んだ。海外や日本代表での経験があり、W杯にも出場し活躍した。浦和ではキャプテンとして現在まで6年間、チームをけん引してきている。指導者になるうえで、そうした経験はとても貴重であり、必ず生かされるに違いない。

「(自分は)チョー厳しい指導者になりそう」

 そう言って笑った阿部。だがその前に、まだやるべきことがある。

「優勝したい。最高の笑顔でサポーターがいるスタジアムを回りたいし、Jリーグアウォーズの絨毯の上を選手みんなで歩きたい。それが今、一番したいこと。そのために、自分は最高のパフォーマンスを出していかないといけない。すべてはレッズが勝つために」

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