波瀾万丈の人生を歩んできた青木氏。サッカージャンキーには、そのイズムがそこかしこに散りばめられている。写真:茂木あきら

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 横浜FCのユニホームサプライヤーとなって話題を集め、最近はバルセロナやユベントスとのパートナーシップ契約を発表するなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。サッカーアパレルブランド、『サッカージャンキー』。その斬新なアイデアと、飽くなき探究心に迫る。

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 モノトーンで描かれた、可愛らしくも品があるフレンチブルドック。このロゴ、サッカーファンなら一度はどこかで見かけたことがあるだろう。
 
 奇抜な発想とデザインで次から次へと新商品を生み出し、いまや若者を中心に絶大な人気を誇っているのが、アパレルブランドの『サッカージャンキー』だ。サッカーダイジェストWebでもお馴染みのジェリーさんのイラストを前面に押し出したグッズをはじめ、いまでは野球やバスケットボール、陸上、バドミントンなどのウェアも手掛け、多様なアプローチでチャレンジを続けている。
 
 昨年春にはJ2・横浜FCとのユニホームサプライヤー契約を発表し、大きな話題を集めた。カジュアル系のみならず、ギア系での実績も積み重ねている。
 
 そんな新興ブランドを立ち上げたのが、社長の青木ハヤトさん。じつにユニークな経歴の持ち主だ。
 
 サッカーを始めたのは、中学の終わり頃。それまではテニス一筋でエリート街道を走っていたが、機会があってサッカーをしたとき、股抜きをされたうえに馬鹿にされ、「じゃあ巧くなってやる!!」と一念発起したという。人一倍の俊足を拠り所に独学でサッカーを学び、日体荏原高校のサッカー部に入部。3年時に東京都代表としてインターハイ出場を果たすなど、“野人”ばりのプレースタイルで活躍した。
 
 しかし、大学ではサッカー部に所属しなかった。のめり込んだのが、ストリートサッカーだ。
 
「乃木坂の青山墓地の横に金網でくくられた空き地があるんです。2点先に取ったら勝ち残れるルールで、それこそいろんな人が集まってましたね。のちにサッカージャンキーのコンセプトになる、ストリートサッカーブランドのきっかけとなった場所です」
 
 そんな大都会の路地裏で出会ったのが、元日本代表のレジェンド、ラモス瑠偉さんだった。ある日、紹介されたペルー出身の知人から、「いとこが監督になったんだけど行く?」と声をかけられる。「すごく軽いなぁと思いつつ、二つ返事で『行く』と答えました」。なんとストリートサッカーから、プロキャリアがスタートしたのだ。
 
 そして2002年9月、24歳でペルーに旅立つ。所属したのは1部リーグのクラブ、アリアンサ・リマだった。
 
「1年いまして、プライドというプライドの刃をバキバキに折られましたね。試合には出てましたけど、まるで歯が立たなくて。ホームゲームなんて2万人くらい入るんですが、緊張で視界がどんどん狭まっていくんですよ」
 
 首都リマでも合間を見てはストリートサッカーに興じるなど濃密な時間を過ごし、帰国。将来を模索するなかでひとつの出会いからサッカーアパレルブランドの世界に足を踏み入れ、紆余曲折を経て、2009年にサッカージャンキーを立ち上げた。
 
「ちょうど、これからどうしようかと考えている時期でしたね。毎週土日に『サッカージャンキーカップ』という大会をやっていたんですよ。そこで『景品ないの?』って訊かれて、『えっ?』となって。だから本当はしょうがなく始めました(笑)。サッカージャンキーは、高校時代から使っていたメールアドレスのフレーズです」


 ビームスやJUNグループとのコラボや、ロフト、東急ハンズでの販売など、既成概念にとらわれないアプローチで業務展開を続け、サッカーに興味のない一般の人びとの間で認知度を高めていった。
 
 創業当初はギア系が2割で、カジュアル系が8割だったという。後者で実績を積んでから前者を伸ばそうと考えていた矢先、横浜FCとのサプライヤー契約が決まった。
 
「サッカーで繋がった方々とのフットサルで、偶然横浜FCの方がいらしたんです。試合中ですよ。『来年やりません?』って言われて、『あ、いいですよ』と。そんな感じでしたね。最後はカズ(三浦知良)さんの『いいじゃん、ジャンキー!!』の一言で決まりました(笑)」
 
 ほかにも、現在はサイパン代表チームにもユニホームを提供している。海外に手を伸ばした背景には、「日本のサッカー文化を洋服を通じて伝えたい」との想いが、根底にあったという。
 
「あいかわらず海外での日本のイメージって、みんなメガネをかけてるとか中国や韓国のとまざってたりとか、残念ながら浸透していないんです。じゃあどういう風にしたら伝えやすいかを考えたら、世界中で愛されているカルチャー、サッカーを交えればいいじゃないかと。そして、相撲や歌舞伎、忍者、侍などをモチーフにしながら、エド・フットボールを作りました」
 
 さらに、イラストレーターのジェリーさんとの長きに渡るコラボが、意外なクラブの目に留まる。独特なタッチで描かれたメッシやイニエスタ、ピケらの似顔絵とグッズに感銘を受けたルセロナの関係者から、業務提携の正式オファーを受けたのだ。
 
「もうびっくりですよ。日本人ってちゃんとバルセロナのことを知っているんだと、初めて気づいたらしいんです。だったら一緒にやろうと言ってもらえたのがきっかけで、あとはとんとん拍子に話が進みました。バルセロナだけでなく、マンチェスター・シティ、リバプール、ユベントスともオフィシャル契約が決まっています」
 
 日本国内のアパレルブランドが、このような形で欧州メガクラブとオフィシャルグッズ契約を結ぶのは、きわめて稀なケースだ。ついに世界進出への大きな足掛かりを掴んだ青木氏だが、謙虚なスタンスを崩さない。バルセロナ側から当地でのグッズ販売を打診されても、「いずれはと思ってますが、まだまだ。こっちで実績を作ってからやらせてくださいと返事しました」と、しっかり足元を見つめている。
 
 多種多様なアイデアで周囲を驚かせる青木氏には、こんな夢もある。
 
「洋服を通じて、サッカー選手になるためのチャンスを与えていきたい。無名校出身だったり、サッカー選手として実績がなくても、プロを目ざしたい若者はたくさんいるんです。そういった選手たちにトライアウトの場や、海外のエージェントやスカウトに見てもらえる環境を提供したい。うねりを作っていければと考えています」
 
 ひとつの概念に縛られず、日本発のサッカーアパレルブランドとして、世界に乗り出すサッカージャンキー。最後に、なぜマスコットにフレンチブルドックを選んだのかを訊いた。これまた、面白い回答が返ってきた。
 
「スポーツブランドの動物ロゴはシャープなイメージのものが多いですよね。でも、あえて逆を行きたかった。スポーツブランドらしからぬ可愛くてポップな、言うなればキティちゃんみたいなのがいいなと。最初はずいぶん馬鹿にされましたけど、僕は、絶対にうまく行くと確信していました」
 
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)