出生率や子育ての参加への積極性については、「西高東低」の傾向が見られるなど、地域構造の違いがある。国民的課題であるだけに、何らかの参考にしていく必要がありそうだ

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沖縄の出生率の高さは
米国統治と無縁ではない

 今回は出生率の地域構造の変化を取り上げたい。本題に入る前に、まず、全国の出生率の動きをおさらいしておこう。人口当たりの出生数で出生率を計算すると高齢化の影響などを受けるので、ここでの出生率は、年齢別の女性の出生率の合計である合計特殊出生率(近似的には女性が一生に生む子どもの数と考えられる)を指すものとする。

 図1に戦前からの推移を掲げたが、戦前には4〜5人台だった合計特殊出生率は、団塊の世代を生んだ戦後直後のベビーブームの時期にいったん4人台半ばまで高まった後、1950年代に人口置換水準といわれる2人レベルまで急落した。その後、ひのえうまの急落(1966年)を別にすれば横ばい傾向となったが、高度成長期を過ぎた1970年代半ばから、再度、低下傾向が顕著となった。

 過去最低だったひのえうま年の1.58を下回ったことから起こった1989年の「1.57ショック」をきっかけに少子化対策に本格的に関心が集まるようになった。近年の動向は、2005年の1.26を底に上昇傾向に転じ、2015年は1.45までに回復している。出産、子育てに関する状況は大きく改善されているとは言いがたいことから、このままのペースで順調に回復していくかどうかについては悲観的な見方が強いようである。

 地域別の出生率も基本的には全国の動きに沿ったものであるが、戦前と戦後で大きく変わったのは、いずれの地域で出生率が高いかという地域構造である。これを象徴的に示す青森と沖縄の出生率の動きを図1に併載した。

 戦前には青森が最も出生率の高い県であり、逆に、沖縄は出生率が最も低いグループの地域だったことを知る人は多くないだろう。現在、青森は都道府県順位が30位台とむしろ出生率の低い地域であり、沖縄は良く知られているように最も出生率の高い県であるが、戦前は全く逆のパターンだったのである。

 沖縄の出生率の動きは、終戦後、しばらく沖縄が米軍の統治下にあったことを抜きにして理解できない。本土の各地域が、経済の高度成長や家族制度など社会の近代化、社会保障制度の普及などの影響で急速に出生率を低下させていた頃、沖縄はそうした本土の動きからいわば「取り残されて」いたため、統計が開始された1975年、一気に全国首位に躍り出た訳なのである。このデータを見る度、私は、それまで沖縄の高い出生率を南国的な風土のせいだとばかり思っていた自らの不明を恥じることになる。

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