作品賞にノミネートされたデンゼル・ワシントンの監督第3作『フェンシズ(原題)』
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 『トレーニング デイ』(2001・主演男優賞)と『グローリー』(1989・助演男優賞)で二度アカデミー賞を受賞している名優デンゼル・ワシントン。ハリウッドで、黒人俳優として、これ以上望めないほどの成功と名声を手にした大スターは、新作『フェンシズ(原題)』で、監督と主演を兼任。役者として、アカデミー賞の主演男優賞に再びノミネートされたが、それ以上に、3本目の監督作とは思えない堂々とした演出ぶりで、監督として大きな飛躍を遂げている。(文・細谷佳史)

 ワシントンが新作に選んだ題材は、彼自身が2010年にブロードウェイで主役を演じた、アメリカを代表する黒人劇作家オーガスト・ウィルソンの、ピュリツァー賞とトニー賞を受賞した傑作戯曲「フェンシズ」だ。物語の舞台は、1950年代のピッツバーグ。ワシントン演じるトロイは、清掃員として地道に働きながら家族を養っている。かつて黒人リーグで野球選手として非凡な才能を評価されながらも、黒人であることや、年齢的なことで、メジャーリーグでプレーする夢が叶わなかったトロイは、自分の過去に苦い思いを抱いている。そして、高校生の息子がフットボールの才能を買われて大学からスカウトの話が来ているにもかかわらず、フットボール選手になる夢を完全否定。黒人がプロ選手になることが出来るとは信じていないトロイは、息子にフットボールを辞めるように促し、父親と息子の対立が、大きなドラマとなっていく。

 しかし、映画の一番の見どころは、映画の後半、父親と息子の間に立ち、常に家族の潤滑油となっていたヴィオラ・デイヴィス演じる妻のローズが、夫の浮気を知る場面だ。デイヴィスとワシントンはブロードウェイの舞台でも共演しており、息の合った芝居を見せるが、とりわけこの場面でのデイヴィスの鬼気迫る演技は圧巻だ。鼻水を垂らしながら怒りを爆発させるデイヴィスは全てが真実味に満ちており、とても演技とは思えない。こんな芝居はきっと数テイクしかやれなかったに違いないと思っていたら、あるインタビューで彼女が「あの芝居は20回以上やったわ」と話しているのを聞いて驚いた。デイヴィスの女優としての力量にも驚くが、あの芝居を大女優に20回以上も強いたワシントンの監督としての凄さにもうならされる。

 映画は、舞台の脚本を基にしていることもあり、物語のほとんどが家の中と裏庭で起こる。しかし、時折当時のピッツバーグを再現した街を挟むことで、舞台にはない開放感やリアリティーを与えている。会話劇の多い前半はややスローな展開だが、物語が進むにつれ家族間の複雑な人間ドラマが大きな波となり、深い感動がラストにやってくる。等身大の家族ドラマを描いていて、決して人種差別問題を大上段に掲げた内容にはなっていないが、会話や登場人物の行動の端々に、人種差別の影響が感じられるのは興味深い。1950年代のアメリカ社会の黒人たちを、人種差別抜きに描くことはありえないのだ。そういう意味では、これほどリアルに当時の黒人たちの日常の葛藤や苦労を描いたハリウッド映画はなかったのではなかろうか。

 10年後、20年後に見ても、全く色褪せることのないクラシックな作品となるであろう『フェンシズ』。プロデューサーは、アカデミー賞作品賞に輝いた『ノーカントリー』(2007)や、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2013)などを手掛けた大物スコット・ルーディン。映画ファンとしては、こういった秀作がドラマ作品の製作に消極的になっている今のスタジオの傾向を変えることになるのを期待せずにいられない。