予選を終えたこの日、すでに日没から数時間が経過していた。レースエアポート内にある各チームのハンガー(格納庫)も、ほとんどが”店じまい”。昼間の慌ただしさが嘘のように静まり返るなか、一ヵ所だけ煌々(こうこう)と闇に光を放つ場所があった。

 室屋義秀を擁する、チーム・ファルケンのハンガーである。


機体に不安を抱えたまま予選に臨んだ室屋 毎年恒例のUAE・アブダビで開幕戦を迎えた、レッドブルエアレース・ワールドチャンピオンシップ。2017年シーズンのスタートとなるレースで、室屋は思わぬ苦境に立たされていた。

 室屋は昨季最終戦が終わり、このシーズンオフにエンジンの冷却システムの改良を行なった。ところが、それが思うように機能せず、室屋のエンジンはアブダビ到着以来、ずっと不調を訴えていた。予選が行なわれる日を迎えてもなお、状態は改善の兆しを一向にみせず、室屋の機体は著しくスピードに欠けていた。

 予選の結果は10位。しかも、タイムではトップから2.5秒以上も後れをとっており、まったく勝負にならないお手上げ状態だった。

「エンジンが完全にオーバーヒートしている。なんか(原因は)よく分からないんだけど」

 チームスタッフと共に自らも工具を持ち、両手を真っ黒に汚して機体と向き合っていた室屋が、ひととき手を休め、引きつった笑いを浮かべて口を開く。

「今、(冷却システムの)セッティングを昨年の仕様に戻しているけど、(シーズンオフに)エンジンのシリンダーとピストンを全部替えているので、そっちが原因かもしれない。だとしたら、ここではもうどうしようもない。これを戻して調子がよくなればいいけど……、どうかな、これ……ちょっときついなって感じ。明日の朝テストフライトしてダメだったら、どうにもならない」

 話す言葉に力がない。だが、明日もこの状態で戦うしかないと、すでに腹をくくっているのだろう。表情は意外なほどさばけている。現状をひと通り話し終えると、室屋はすぐに作業に戻っていった。

 その後、パイロットである室屋は先にホテルへ引き上げたものの、チームスタッフの作業はほとんど徹夜に及んだという。

 そして迎えたレースデイ。室屋はラウンド・オブ・14で、前日までのもたつきが嘘のようなスーパーフライトを披露する。

 アブダビの強い日差しを浴び、キラキラと輝く機体は息を吹き返し、滑るように前へ前へと進んでいく。ラップタイムをいちいち確認しなくても、スピードが増していることは明らかだった。

 果たして、タイムは52秒126。前日の予選トップに肩を並べる好記録で、室屋はフィニッシュゲートに飛び込んだ。

 ところが、である。フィニッシュ直後に、このフライトがアンダーレビュー(判定確認中)であることが告げられた。ほどなくして下された判定は、DNF(ゴールせず)。フィニッシュゲートに入る直前の大きな水平ターンで、室屋は10Gの荷重制限を超える規定違反のオーバーGを犯していたのだ。


レースを終え、天を仰ぐ室屋 結局、室屋の今季開幕戦はラウンド・オブ・14敗退。最終順位は13位に終わった。

 レース当日の朝、冷却システムの再調整を終えた機体に乗り込んだ室屋は、5分ほどのテストフライトでエンジンの調子が回復していることを確認できた。だが、その回復がどの程度のものなのかまでは分からない。だから、「どれだけスピードが出ているかは分からないので、目一杯攻めるしかなかった」。
 
 その結果、「思った以上にスピードが上がっていて、しかも完璧に飛べていたので、それがオーバーGを引き起こしてしまった」のである。「昨日までなら起こるはずのないところで起きたオーバーG」だった。

 結果論を承知で言えば、タイムはラウンド・オブ・14を勝ち上がるのに十分すぎるものだっただけに、最後の水平ターンは無理をしなくてもよかった。仮にオーバーGを避けるため、1、2秒タイムが落ちたところで問題はないほどのフライトだった。

 だが、それを求めるのは酷というものだろう。いかにトップパイロットといえども、「いきなりエンジンパワーが上がり、練習なしで飛ぶのは難しかった」のは当然だ。室屋が続ける。

「(機体の調整が)もう1日早ければ、公式練習も飛べたし、予選でも結構(上の順位に)いけたと思うし、予選で目一杯飛べていれば本選もこんなに難しくはなかっただろうし……。でも、たらればを言っても始まらない。昨日の状態だったらレースにならなかったわけだし、今日のエンジンはホントよくなっていた。それは救いだった」

 最終的に13位に終わったことを考えれば、もしかするとエンジンが不調のままレースに臨んでもいたとしても、順位に大きな違いはなかったかもしれない。

 それでも、こうして自分なりに納得できるフライトでレースを終えられたかどうかは、気持ちの面ではずいぶんと満足感や納得感に差があるはずだ。

 もちろん、シーズン開幕戦でエンジントラブルを招いたことは猛省すべきだ。室屋自身、「冬場の準備に人手も時間も足りなかった。僕がアメリカへ行ってテストフライトをすればよかったが、行く時間もなく、テストをし切れないまま、ここまで来てしまったのが、結局は原因だと思う。そこはシーズンオフの課題として残った」と、反省の色が濃い。

 だが、不測の事態に遭遇しながらもチームとしてトラブルを切り抜けられたこと、さらには、十分に優勝争いができるだけのポテンシャルを示したことの意味は決して小さくない。室屋は前日の夜とは打って変わり、安堵の表情を浮かべて語る。

「エンジンのトラブルはあったけれど、フライトとしては、ある意味リスキーなコースを狙いながらも計算通りのところを完璧に行けていたし、極めて状態はよかった。周りもよく見えていて、自分のコンディションもよかったし、年間を通してこの状態をきちんと保っていければいいと思う」

 そして、室屋は「年間8戦のうち、2戦くらいはこういうこともあるだろうと想定していたし」とつけ加え、笑いながらこう話した。

「でも、初戦でいきなり、2戦のうちのひとつを使っちゃったからな。本当はもうちょっと先に取っておきたかったんだけど」

 結果だけをみれば、残念でもあり、もったいなくもあった今季開幕戦。だが、一時は最悪の事態に陥ったことを含めて考えれば、よく戦った。大健闘のレースだったと言っていいのではないだろうか。

 機体の解体作業が進み、騒がしいハンガー。いつもの笑顔を取り戻した室屋が、周囲の音にかき消されそうな声でつぶやいた。

「予選のときの状態のまま終わっていたら、『(第2戦の)サンディエゴでは期待してください』なんて、とても言えなかったな」

 年間総合優勝を考えれば手痛いノーポイントも、次への期待が高まる”惨敗”だった。


【フォトギャラリー】エアレース・今季を戦う14人の超人パイロット>>

■エアレース・その他記事一覧>>