「働き方」問題は、労働者側の問題 〜僕たちは「賢い労働者」になれるか?

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■労働時間を制限すれば、競争は激化する

今、「働き方」の改革が、俗にいう「ホワイトワーカー」の世界でも盛んに叫ばれています。つまり、単に物理的に劣悪な労働環境の改善を言っているのではなく、社会的に「エリート」と呼ばれるような労働者の間においても、勤務スタイルや職場の人間関係などがテーマになってきています。しかし僕は、これは企業側の問題ではないんだと思っています。政府も世論も、やたらと「企業側の責任」を主張していますが……。

むしろ、この問題の本質は「労働者側」にあるんじゃないかと感じています。フランスでは、「就業時間外には仕事のメールを見なくてもいい権利」が労働者に認められたというニュースがありましたが、あくまで「見なくていい権利」なので、「見てもいい」。日本でこんなことをやっても、時間外で仕事メールを見ない人や会社が増えれば、逆にその時間に「仕事メールを見る」ことで他を出し抜くところが現れる。企業が労働時間を制限しても、エリートの世界では競争に勝つチャンスが生まれるだけです。

根本的な、「仕事≒時間」という考え方が変わらない限り、いつまでたっても長時間労働の問題からは解放されません。

こんな問題が起きてしまうのは、僕たちが「労働者として競争しているから」だと思います。人生をかけて。これは学校教育の段階から染み付いているものでしょう。最終的な出口として、「いかにして立派な労働者を育てるか?」というゴールを目指した教育を受けて勝ち抜いてきたエリートたちは、早く帰れとか、仕事減らしていいよ、という方針をつくられたとしても、なかなか立ち止まれません。

ちなみに、「労働契約」によって働いている労働者ではない人たち、たとえば経営者や投資家、独立した芸術家などは、いくら「時間外労働」をしても、それが原因で自殺に追い込まれたりはしないのだと思います。彼らは、自分で納得して時間を使っています。時間の長さの問題ではありません。自分の人生において「働く」がどのような位置づけのものであるのか、そこに本質があるのだと思います。

■「労働者のために」は、誰のため?

「働き方」を改革するには、労働者自身が、自分の人生におけるそのあり方を見直すしかありません。そもそも「労働者」というのは、世の中のシステムをつくっている側や資本家側からすれば「非支配者」を指す言葉になっています。もちろん、いい支配システムを選択し、その運用の中で生きることは賢い選択ですが、あくまで「労働者」という概念は、社会的に構築された機能的な仕組みの一部です。

これは、「消費者」という言葉も似ていると思います。だから、「労働者のために」とか、「消費者の皆さんのために」なんていう言葉は、なんかバカにされているような気分になるのです。それぞれの機能的なシステムを担っている側が、よりよいシステムの運用のためにチューニングしているにすぎないのですから。

ただし、システムが善意によって運用されつづければ、僕たちは「労働者」や「消費者」として一定の安全や幸せを手に入れることができます。戦後の経済成長期には、非常に賃金も安く、今では考えられないほどの危険で厳しい職場もたくさんあったようです。それでも、それぞれのシステムに適応することで、今日よりも明日豊かになれる。このような時代は、「よりよい労働者」という立場を得られることが喜ばしいことでした。

しかし、いずれどんなシステムにも限界がきます。なにも、みんながシステムから飛び出して、独立しろとか、労働をやめろ、と言っているわけではありません。労働者自身が、自分の人生における「労働」や「働く」ということの意味や価値を、立ち止まって考えなおすべき時が来たんでしょう。それが本当の「働き方改革」なんだと思います。

■「賢い消費者」のように

では、「労働者」であることについて、それをどのように見直せばいいのでしょうか。もちろん、これはまさに十人十色で、正解はありません。でも、「消費者」の立場や「消費」のあり方、その変化などを見ていくと、いろいろヒントがあると思います。

「消費」という行動に関しては、用意されたシステムの中にいながらも、みんな賢くなってきたように思います。企業の販売戦略に踊らされて、テレビCMなどを見て何でもかんでも買うような人は少なくなりました。お金への人気はまだまだ根強いですが、それでも、ただただそれを使って消費するのは“賢くない”という価値観が定着しているように感じます。

もちろん、消費そのものを排除したわけではありません。本当に必要なものはみんな買っています。

でも、大事なものなら古くなってもずっと使い続けますし、中古という概念もフリマアプリなどで随分発展しました。身につけるものも、流行りを追ってもいいし、自分のスタイルにこだわってもいい。ユニクロやH&Mのようなファストファッションで満足する人もたくさんいますし、高級ブランドにこだわる人もまだまだいます。しかし、「ユニクロ」や「H&M」は高級ブランドの下位互換に位置づけられたのではなく、「別の選択肢のひとつ」になったのだと考えられます。

つまり、消費者に「選択」と「個性」が生まれています。自分の人生における「消費」の意味や価値をちゃんと考えて、一定の距離を取り、自分なりに賢く自由に行為しています。

■労働との「適切な距離感」とは

「労働」についても、そのような距離の取り方ができるといいんだと思います。労働者からいきなり生産者や投資家になっても、それこそ幸せになれるとは限りません。向き不向きもあります。しかし、仕組みによってつくられた役務としての労働を、生活のなかにどのように取り入れるかを、自分なりに考えるということが大切です。

短時間労働は、長時間労働の下位互換ではありませんし、「スローキャリア」なるものが、バリバリの人生の下位互換になるわけでもありません。それは、選択と個性の問題のはずです。自分の時間や生活を大切にしたいのであれば、仕事のボリュームや重要度を絞ればいい。もちろん、それによって会社内での昇進などは遅くなるかもしれませんが、人生のステップアップが遅くなるわけではありません。その人なりに、賢く労働しているだけなのです。

言い換えれば、労働者がそこに自分の生活を取り入れ、「生活者になる」ということかもしれません。「生活者」と言われると、なんだか急にぼんやりしたイメージしか持てなくなってしまいます。もしかするとそこに、まだまだ僕たちの人生をおもしろくしていく余地が残っているのかもしれません。

(若新雄純=文)