短期連載・今こそ「ジュビロ磐田のN-BOX」を考える(5)

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「N-BOX」のネーミングに込められた思い

 すべての事象は名付けられることによってその存在が認識できるものだが、『週刊サッカーマガジン』の編集長だった伊東武彦が試みたのも、まさにそういうことだった。


ジダン、フィーゴらが名を連ねた銀河系レアルと戦うために生まれたN-BOX Photo by Getty Images 磐田が2001年にトライした新戦術・新システムは、「N-BOX」との名前を授けられたことで、のちに語り継がれる伝説になったのだ。

「今ある現象を何らかの形で残す際に、言葉というのは非常に有効で、それは極めて雑誌的なことなんですが、コピーというか、ワーディングみたいなものは、こだわっていました。すべてが成功したわけでなく、失敗もいろいろとありましたけどね」

 今は朝日新聞社に所属する伊東が『週刊サッカーマガジン』の編集長を務めていたのは、1998年から2003年までの約5年間である。日本代表が初めてワールドカップに出場したフランス大会から、地元開催で空前のサッカーブームに沸く日韓大会へと続く、日本サッカー界に最も熱のあった時代。まだインターネットの波が本格的に押し寄せる前で、雑誌が人々の興味を引きつけるパワーを持っていた時代だった。

「ネーミングについて何をヒントにしたのかは覚えていないんですけど、名波(浩)のNと、中盤の5人を結ぶとNに見えるということを意識していたのは確かです。ともすれば、言葉遊びになってしまうのだけれど、彼らがやっていることの本質をコンパクトにバシッと表現できるかどうかが勝負。編集部のみんなと話し合って、ああでもない、こうでもないと言いながら、生まれてきた言葉だったと思います」

 2001年シーズンを迎えて、磐田が何やら面白いトライをしているということは、編集部の人間から聞いていた。この年、磐田が初めて関東で試合を行なったのが第4節の鹿島戦で、国立競技場の記者席からその試合をみつめていた伊東が想起したのは、1995年1月にキング・ファハド・カップ(現コンフェデレーションズカップ)で初陣を飾った加茂ジャパンのことだった。

「初戦でナイジェリアと戦ったんですが、そのとき、山口敏弘が1トップ、左にカズ(三浦知良)、右に北澤豪、ダブルボランチに山口素弘と柱谷哲二、その真ん中にラモス(瑠偉)さんが配置されたんです。当時、加茂(周)さんが『ラモスの能力を最大限に生かすために周りを固めてプロテクトするんだ』と言っていて、なるほど、テクニシャンが潰されず、存分に指揮を執れるようにするために周りを固めるという考えがあるんだなと。磐田を見て、それを思い出した記憶があります」

 だが、15年ぶりにあらためて磐田の試合映像を見てもらうと、その印象が異なることに気づくあたり、やはり、伊東はサッカーのすぐれた目利きだ。

「名波をプロテクトして攻めるというのは、攻撃の考え方なんですが、あらためて見ると、これは守りの考え方から来ているんだということが分かりました。中山(雅史)まで下りてきて、3人で囲みにいって、最後に名波が奪っている。これなんて、まさにハイプレッシング。どう奪ってどう攻めるか、今でいうショートカウンターが多いですね」

 その完成度に時おり驚きながら、伊東が続ける。

「よく言われるバランスみたいなものを崩さないで、これを90分やったんだから、一人ひとりのサッカー観というか、判断力というか、その集積でしょうね。名波も(藤田)俊哉も独自のサッカー観を持っているし、奥(大介)もモノを言うタイプだったし、福西(崇史)も服部(年宏)も、みんな一家言を持っている選手たちだった。彼らが主張し、話し合って、あるいは練習の積み重ねの中で修正しながら、これを作り上げたんだろうな、という気がします」

日本に初めて登場した本物のレフティ

 伊東にとって、名波は特別な選手だった。

 最初に見たのは、まだ清水商業高校の学生の頃だった。とりわけ強く印象に残っているのが、名波が最終学年を迎えた1991年1月に行われた第69回全国高等学校サッカー選手権である。

 スター軍団として知られ、レギュラー11人中9人がのちにJリーガーとなる超高校級のチームを中盤で操っていたのが、名波だった。

「とんでもない選手が現れたなと。決してスピードがあるわけではないけれど、周りに目を配れて、タメを作れるという意味では、昔の、70年代でいうゲームメーカーという感じ。左足のテクニックは超一流だし、サッカーを見る目も独特で、確固たるサッカー観を持っているというのは、その後もずっと思っていました」

 順天堂大学を卒業した名波が磐田に加入したとき、磐田の担当だった伊東は、当時の誌面にあった各チームの情報コーナーのひと言コラムに「ファーストタッチが微妙に浮く。これではプロで通用しないぞ」と書いた。

「それを見た名波が、『この野郎、と思って心がけるようになった』という話をあとから聞いた。それぐらい鼻っ柱が強いんだけど、情報をしっかり入れて修正すべきところは修正するという判断ができる人。だから、いろいろなシステムに対応できたと思うんですよね。単にうまいだけじゃなかった。僕は左利きが大好きなので、日本にも本物の左利きが現れたな、って思っていました」

 伊東によって「N-BOX」と名付けられたことで、永遠の命を吹き込まれた磐田の新戦術・新システムは後世に語り継がれることになった。

 だが、もうひとつ「N-BOX」を伝説たらしめているものがあるとすれば、クラブ世界選手権が中止となり、レアル・マドリードにぶつける機会が失われ、名波の離脱と共に終焉したからだろう。

「だから、ロマンというか、伝説になっているんでしょうね。実際にやっていたら、どうなっていたのか、見てみたかったといえば、見てみたかったけど、1-4ぐらいで負けていたんじゃないかな、きっと……」

幻のレアル戦を当時のメンバーが推測

 机に置かれたノートパソコンでは、画面に収まりきらないほどの躍動感をもってレアル・マドリードの選手たちが相手陣内に攻め込んでいる。

 画面に映し出されているのは、2000年11月28日、東京の国立競技場で行なわれたトヨタカップ、レアル・マドリード対ボカ・ジュニアーズの試合映像である。

「これ、おまえのサイドだよ。どう、止められる? こんなの」

 名波が鈴木秀人に問いかける。画面には、ペナルティエリア内、ゴール左斜め前でロベルト・カルロスの左足が捉えたボールが、ボカ・ジュニアーズのゴール天井に突き刺さった12分のシーンが流れていた。

「いやあ、無理ですよ、これ、強烈だなあ」

 頭の中でロベルト・カルロスと対峙する自身の姿を思い浮かべたのか、鈴木秀人はひと呼吸置いてからつぶやいた。

 完成したN-BOXをたずさえてスペインに乗り込んだジュビロ磐田は、果たして、レアル・マドリードとどのような勝負を繰り広げたか――。


幻に終わった磐田vsレアル・マドリードの仮想スタメン graphic by Unno Satoru 今は監督として磐田を率いる名波の答えは「うーん、シミュレーションをしてみても、『お、いい試合じゃん』とはならないよね」というものだった。

 今はトップチームのコーチとして名波を支える鈴木秀人も、「フィーゴもラウールも強烈だけど、グティだって相当うまい。やっぱり甘くないと思います」と彼我の差を冷静に分析した。

 相手は世界を代表するビッグクラブのレアル・マドリードである。実力を考えれば、当然のことながら大きな差がある。

 さらに、加味すべき要件もある。

 ひとつは、ジネディーヌ・ジダンの存在だ。2000年にレアル・マドリードの会長に就任したフロレンティーノ・ペレスは、毎年ビッグネームを獲得するという公約を掲げ、その年にバルセロナからフィーゴの獲得に成功。2001年夏にはユベントスからジダンを獲得し、「銀河系軍団」の色を強めていた。

 クラブ世界選手権での磐田との一戦は、レアル・マドリードにおけるジダンのお披露目試合になった可能性が高く、おそらくスタジアムは満員に膨れ上がっただろう。だが、連係面はまったく築かれていない。そこに磐田のつけ入る隙があったかもしれない。

 実際、レアル・マドリードはこの後8月25日に開幕した2001-2002シーズンのリーガ・エスパニョーラでジダンをうまくチームに組み込めず、開幕から10試合で3勝しかあげられていないのだ。

 さらに、クラブ世界選手権はまだ第2回と歴史が浅く、”イベント”としての趣が少なくなかった。開催が予定されていた時期はレアル・マドリードにとってプレシーズンにあたり、磐田戦は大会初戦でもある。果たして、彼らがどれだけ本気で臨んだだろうか……。

 一発勝負の2000年トヨタカップでさえ、レアル・マドリードの選手たちは――むろん、長距離移動や時差ボケの影響があったに違いないが――どこか試合に入りきれずに隙を突かれ、アルゼンチン代表FWのマルティン・パレルモに、試合開始から6分間で2ゴールを奪われている。


仮想レアル戦について話す、現磐田の名波監督(左)と、同コーチの鈴木氏 Photo by sportiva いずれにしても、地元開催での優勝を狙うなら、大会初戦からベストパフォーマンスを発揮することはないだろう。ましてや、未知のチームに対して、前半は様子を見るようにして慎重に試合に入ることが予想できた。

「ベストメンバーでこないということも含めて、狙うとするならそこだよね。60分ぐらいまで0-0でいって1点取る。それで向こうに火がついて逆転されても、それはストライクゾーン。逆に守って0-0、0-1では意味がない。ベタ引きしてミス待ちのサッカーなんて、やるつもりはないから」

 名波の言葉に同調するように、鈴木秀人が言う。

「そうですね。持っているものをぶつける。下がって守っても何も得るものはない。せっかくレアルとやるからには何かを得たいので、どれだけやられようが、普通にプレーしていたと思います」

 今は解説者として活躍する福西の意見も、名波に近いものだった。

「チャンスがあるとしたら、やっぱり出鼻をくじくこと。ほら、こんな感じで試合に入り切れないことがあるから」

 視線の先にはボカ・ジュニアーズの10番、ファン・ロマン・リケルメがフリーの状態でパスを散らす、トヨタカップ序盤のシーンが流れていた。

「そうしたら、レアルは本気を出してくるでしょうね。一人ひとりの能力では絶対にかなわない。なにせ銀河系だものね。ただ、あの頃の僕らには内容と結果の両方を求めて磨かれた組織力があった。僕らの距離感でやれたら、多少は対抗できるんじゃないかっていう期待はありましたよね。でも、マサくん(鈴木政一監督)は当時、『やられていい』と言っていた。今の実力を測るんだって」

<つづく>

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