13日、台湾メディア・中央社によると、日本の喫茶店の「第1号」は台湾と密接な関係があったという。資料写真。

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2017年2月13日、台湾メディア・中央社によると、日本の喫茶店の「第1号」は台湾と密接な関係があったという。

台湾の歴史学者・胡川安(フー・チュワンアン)氏は著書の中で、台湾で英雄とされている明(1368〜1644年)の遺臣・鄭成功の子孫を名乗り、代々長崎で通訳を務めてきた鄭氏出身の鄭永慶氏が1888年に東京で開いた「可否茶館」が日本初の喫茶店であると紹介している。

鄭永慶氏は若かりし頃に米イェール大学に留学したほか、ロンドンやパリで生活した経験を持つ。帰国後は代々の家業であった通訳の仕事に就かず、西洋で見たカフェを日本に持ち込んだという。知識人の集う西洋のカフェを意識した「可否茶館」には多くの雑誌や西洋の目新しい雑貨が並べられたが、「時代が追いついていなかったうえ、鄭永慶氏に経営の才がなかったため」に、やがて閉店を余儀なくされたという。

胡氏によると、「可否茶館」は成功しなかったものの、その閉店から十数年が経過した20世紀初めには、東京、横浜、大阪、神戸など西洋化が比較的早かった都市で雨後の筍の如く喫茶店が生まれ、流行り出したとのことである。(翻訳・編集/川尻)