NHK 大河ドラマ「おんな城主 直虎」(作:森下佳子/毎週日曜 総合テレビ午後8時 BSプレミアム 午後6時)
1月29日放送 第4回「女子(おなご)にこそあれ次郎法師」 演出:福井充広  視聴率16.0%(ビデオリサーチ調べ 関東地区)
2月5日放送 第5回「亀之丞帰る」演出:渡辺一貴  視聴率16.0%(ビデオリサーチ調べ 関東地区)


主人公直虎(柴咲コウ)の子供時代を描いた2、3話よりも、彼女が出家してから9年、行方不明だった幼なじみ(三浦春馬)が戻ってきた4、5話の視聴率はアップした。
今回、子役たちも評判がかなりよかったが、やっぱり成人してからに興味ある視聴者が多いのは大河ドラマの常。とはいえ、4話で成人になった主人公が出てきたのは終わりのほんの一瞬だった。

4話の冒頭にだじゃれ(井伊家はいい、みたいなべたなやつ)が出てきても脱落することなく、完全に成人編になった5話を、16%の視聴者たちが、4話から変わらず観たということは、柴咲コウのファンが16%は確実にいるってことか。そこに最近すっかり注目の的の高橋一生ファンが何%占めているか気になるところだ。

まずは4話を振り返り


3話でアシンメトリーだったおとわ(次郎法師、のちの直虎/新井美羽)の頭は、まだ俗世と仏門の間にいたことの表れだったのだろう。4話で完全に坊主になって俗世を絶った。
井伊家の男たちがふがいないばかりに、幼いおとわがお家存続のために頑張るしかない状況で、龍潭寺で修行に明け暮れる。
南渓和尚(小林薫)は、「あの子はたった10で、今川の下知をひっくり返した。ただならぬこととはこういうこと」「形こそ女子であれ、あれは次郎。少なくとも蝶や花よと育てるものじゃないとそう思うたのじゃ」と、次郎法師に厳しい教育を施す。

だが本人は、そう見えてじつは“女の子”。将来を約束した亀之丞(藤本哉汰)とこのまま仏門にいたら結婚できないことを心配する。もうひとりの幼馴染・鶴丸(小林颯)が「妻とならずとも、僧として竜宮小僧になればいい」と助言して、ようやく決意が固まる。
和尚にも「竜宮小僧になりたければ竜宮小僧のように振る舞えばいいのではないか」と言われ、次郎法師は、
ひとの役に立つことで食べ物を得るという托鉢の極意も会得する。
ヒントはもらうが、基本、体験から発見していく次郎法師が頼もしい。

お経を読みながら道を奥へと歩いていく次郎法師に荷車がシャッターして、それが画面を外れると、奥から手前に向かって、成人した次郎法師(柴咲コウ)がやってくる。
ときに天文23年(1554年)。
澄みきった湖面のような柴咲コウの声が歌うように唱えるお経が印象的で、つづきを観たくさせた。

ラブコメ化してきた5話


健気な子供時代を終えて成人した次郎法師の姿を描きはじめた5話は、ラブコメ要素満載。
「花燃ゆ」(15年)の再来のようだが、主人公が女を捨てる話なので若干ヒロイックになっている。

次郎法師は村人たちの人気者のようで、竜宮小僧の話をしたり、夫婦喧嘩を仲裁したりしている。
すりこ木とすり鉢に夫婦をたとえ「おまえたちはふたりでひとつではないか」と言わせることで、次郎が亀之丞の心の妻としてこの9年生きてきたように思える。次郎ってかなりのつくし型だと思う。

「もう10年じゃ。生きておったとしても亀には別の暮らしがあろうし」と半ばあきらめつつも、竜宮小僧としての力を磨きながら彼を待っていた次郎と文通を続けていた瀬名(菜々緒)は、今川氏真(尾上松也)に幼いころの約束を反故にされ、行き遅れた・・・と恨み節を手紙にしたためる。「ああ、めでたや めでたや」と能を舞うときの情念のほとばしりが迫力。

次郎も瀬名も待つ(った)女である。

次郎は、出家の身ゆえ、亀之丞を待つような煩悩は捨てなくてはいけないと必死になる。掃除、滝行・・・一連の煩悩を捨てるエピソードはコミカルで楽しく見ることができたが、いわゆる大河ドラマを期待する年配の男性視聴者はどう思って観たのか気になる。

朗らかな三浦春馬、ジト目の高橋一生


そしてドラマ開始33分、待ちに待った亀之丞(三浦春馬)登場。
すっかり背が伸びて凛々しくなり、でも笑顔は無邪気。最高ではないか。誰にとって? 次郎、および、テレビを観ている女性視聴者にとって。

「元服は井伊でと心に決めておりました」という発言は、井伊家のおじさま、及び、テレビを観ているおじさま視聴者の好感度も上げているといいなと思う。
武術の練習をしているときの動きも決まる三浦春馬。劇団☆新感線の活劇に出たときの切れ味鋭いアクションは「直虎」でも発揮されることを期待。

さてさて、そんないいとこだらけの直虎を、複雑な気持ちで見つめる鶴丸こと小野但馬守政次。高橋一生がなにかとジト目がちに演じ、三浦春馬の明るさと差異をつくる。
彼がどこか陰のある人物にならざるを得ないのは、父親・政直(吹越満)が今川に与して、亀之丞の家を混乱に陥れたからだ。
自分は父のようになるまいと思う政次に、政直は「おまえは必ずおれと同じ道をたどるぞ」と呪いのようなことを言う。ひどい・・・。

吹越満の芝居が目を引く。裏切りが理性ではなく本能であるかのように、気持ちの切り返しの瞬間がわからせない。歩くとき、左右の手足が交差して動くように自然にひとを裏切っていく。
弱ったカラダで、最後にまともなことを言う政直。
それを信じたのかそうではないのか次郎はこう返す。

「一本旗が揺れているのです。
それを見て、ある者は旗が揺れていると
ある者は風が揺れているといい、言い争いになった。
揺れているのは見る者の心だと
ものごとというのは見る者の心によって変わるものかと」

そのときの次郎や政次の表情と瞳の奥がどう見えるか、視聴者の心が試される。

次郎の帰ったあと、政直の態度は、政次の気持ちを落胆させる。
ラブコメ回かと見せて、意外とシビアな話だ。

政直が余計なことをしなかったら、次郎と亀之丞は結ばれていたわけで。
このことが次郎の数奇な生涯を規定しまったかと思うとたまらない。

主人公と彼女の許婚の男と、そのふたりを引き裂いてしまった人物の息子。3人は幼なじみ。
ドラマティックな恋愛ものとしては盤石な設定だ。
各々の役割はやや違うが、ベルばら的な盛り上がりを期待したい。
高橋一生、アンドレ役似合いそうだなあ・・・などとひとしきり妄想している間に、次郎と亀之丞の関係が一気に盛り上がる。
離れていてもふたりは相思相愛だったという感じで、亀之丞は次郎(おとわ)に還俗を提案し、
「おとわはおれの妻になるのだ」と熱っぽい視線で語るのだ。

間違いがあってはいけないと監視してる傑山(市原隼人)の存在も、恋愛もののいいアクセントになっている。
乳母(梅沢昌代)といい、傑山や昊天(小松和重)といい、偉い人に仕えているひとたちが生き生きしている。あと猫(井伊家と猫のご縁をちゃんと想起させる)も。

完全に大河恋愛ドラマって感じで、しつこいようだが、長らく大河ファンである年配の男性たちはこれをどう思って観ているのだろうか。
次なる6話が物語的にも視聴率的にも運命の分かれ目と見た。腹をくくって、女性視聴者にターゲットを絞ったロマンティック大河で突き進むのも悪くはない。
「木俣冬)