文筆家としても注目を浴びている写真家の植本一子さんが『家族最後の日』(太田出版)を上梓しました。”良き妻”や”良き母”になれない思いをありのままにつづったエッセイ『かなわない』(タバブックス)から約1年。母との絶縁や義弟の自殺、夫(ラッパーのECDさん)のがん発覚など「家族」という「日常の終わり」をつづった植本さんに夫との関係の変化や母親への思い、「書くこと」について聞きました。

『家族最後の日』(太田出版)を出版した植本一子さん

「自分がしんどいことが伝わるって助かることなんです」


ーー『かなわない』から1年経ちました。「家族」をテーマにしたのは担当編集者からの提案と伺いましたが、いかがでしたか?

植本一子さん(以下、植本):最初は書くことがないなーって思っていたんです。他の人の家族をインタビューすることを考えていたんですが、あまり気分が乗らなくて。そんな時に夫のがんが発覚して「コレだ!」と思ったんです。やっぱり自分のことしか書けないですね。(夫のことを書こうと思ったら)バーっと一気に書けました。

ーー書くことは楽しいですか?

植本:誰かが読んでくれて自分がしんどいことが伝わるって助かることなんです。原稿書くのはしんどいけれど、人に伝わってわかってもらえるのは嬉しい。写真とは違いますね。

ーー写真を撮ることと文章を書くことの違いは?

植本:写真は、一瞬を一瞬を切り取るだけで、その間がないんです。場面のクライマックスを切り取る。でもそのクライマックスに至る間が面白かったりする。そこを文章で書く。シチュエーションや自分が表現したいことによって、この時は文章で残すとか、写真のほうが合うとか使い分けていますね。

ーー『かなわない』と今回の『家族最後の日』で植本さん自身の心境の変化など、違いはありますか?

植本:何が決定的に違うかな……。石田さん(夫)は「僕がよいものとして書かれているね」って言っていました。『かなわない』は石田さんが影を潜めているので。「僕をよく書きすぎじゃない?」とも言っていましたね(笑)。

今回、石田さんが死んじゃうかもって思った時にいろいろ考えたんです。石田さんを通じて自分のことがわかったというか、石田さんあっての自分だったなと思いました。1人でもやっていけるって思っていたけれど、やっぱり厳しいなって。石田さんが入院して稼げなくなって自分1人で家族を支えなきゃいけないってなった時に石田さんは私にとって精神的な“土台”だったんだなと思いました。

母だから「母性」があるとは限らない

ーー『家族最後の日』のタイトルはお母様と絶縁した日の話を書いた時に思いついたそうですね。「絶縁」に至るのはよっぽどのことですよね。

植本:耐えられなかったんです。今まで私に対してやられていたことを私の子どもにまで向けたのが許せなかったですね。この子たちが傷つけられるって思ったらそこにはいられなかった。子どもがいなかったら、嫌だなと思いつつ耐えていたんだろうなと思います。

世の中では「母」と言うと「母なる愛」とか「母性」とよく言われますが、母でも母性が湧きにくい人だっているし、母と娘の相性もある。人間ですから、親子でも合わないこともあります。「親子の間には愛情がある」というのは紋切り型ですよね。それぞれの形があります。

ーー「ウートピ」でも帰省の時期に「無理に実家に帰らなくてもいいよ」といった記事を掲載するとすごく反響があるんです。母と娘の関係で悩んでいる人は多いです。

植本:私もいつも、結局「お母さんだったらどう思うか?」という思いが頭のどこかにあったんです。うちの母は、自分が嫁姑でうまくいかなかったのもあって私に「結婚しなくていい」って言っていて。母は働いていたんですが、途中で会社が潰れて専業主婦になって。私には「手に職を」とも言っていました。自分ができなかったことや自分の願望を投影していたんでしょうね。

とはいえ、私が好き勝手しているのも面白くない。娘の幸せが許せないという母の思いをひしひしと感じていました。実家を出てから、妊娠してつわりで辛くて頼れる人がいなくて電話した時に「裏切られた」って言われたんです。そこで何かが決定的に壊れた気はしますね。

ずっと“お母さん”を探していた

ーー先ほど、石田さんは植本さんにとって精神的な「土台」だというお話がありましたが、詳しく教えてください。

植本:石田さんと家族になって、石田さんは私が私であることを何よりも最優先してくれたと思います。私に好きな人ができても怒られなかった。もちろん私が間違ったことをすれば正してくれるんですが、私に好きな人ができることは決して悪いことではないという姿勢で。私は、石田さんがどう思うかっていうことが気になって。つまり、判断の軸が母から石田さんという尊敬できるものに移ったんです。石田さんからは人として尊重されている感じがします。

石田さんのがんが発覚するまでは、唯一無二の恋人を探していたんです。石田さんという存在は自分にとって必要で、でももう1人パートナーがいてもいいなと思っていたんです。でも石田さんのがんが発覚したときに性欲がなくなりました。忙しすぎて(笑)

ーーえっ、性欲ってなくなるんですか?

植本:いや、なくならないですよ(笑)。でも、それまでは誰かいないと無理って考えていたんです。なんでも頼れるような石田さんとは別の人。「しんどいー」って言ったら受け止めてくれる誰か、ずっと”お母さん”のような存在を探していたんだなと思います。でもいらないんだって気づきました。

そんな人がいなくてもいろいろな友だちがいっぱいいて助けてくれる。1人の人に支えてもらわなくても、たくさんの人に支えられて立つということでいいんだなと思いました。今までは、自分のすべてを恋人に委ねようとしていたからうまくいかなかったんだってことがよくわかりました。

「私が自由であることを支えてくれていた」

ーー確かに自分に置き換えてみても、相手(恋人)からすべてを求められるのはしんどいですよね。

植本:「恋人がいる」ということを公言しても平気だったのは、石田さんという”土台”がいたから。石田さんが「いいよ」って言ってくれていたから。私が自由であることを支えてくれていたからだと石田さんが病気になって初めて気づきました。

例え、石田さんが死んでも石田さんの精神や支えはずっと続くのかなって。石田さんと一緒にいた時間は石田さんがいなくなったとしても続くとわかった今が、一番のびのびしています(笑)。

ーー植本さんの文章を読んでいると「自由でありたい」という叫びが聞こえてきます。

植本:自由にしている人は叩かれるんですよ。叩かれるのが嫌な人は黙っていると思うんですが、私は黙っていられないんで。自由に生きたい人の起爆剤になればいいなって思って。私の本を読んで1人でも楽になる人が増えることを願って書いています。

「家族」の形はどんどん変わる

ーー「家族」って何だと思いますか?

植本:自分自身の考えることが日々変わるように、自分の考える家族の形も変わっていくものだと思います。「絶対」を決めないことが柔軟性でもあるし、家族とは「『こうあるべき』から解放されるべきもの」だとも思います。

(聞き手、構成:編集部・堀池沙知子/写真:石川真魚)