2月18日放送の「じゅん散歩 純ちゃん生誕70年DX」で高田純次と柄本明が東京・新宿を歩く/(C)テレビ朝日

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2月18日(土)に「じゅん散歩 純ちゃん生誕70年DX 〜思い出の街歩きで見つけた爆笑人生一歩一会〜」(朝10:00-11:40テレビ朝日)が放送される。3代目散歩人・高田純次の70歳を記念した「じゅん散歩」(毎週月〜金曜朝9:55-10:25テレビ朝日系)スペシャル企画で、“タレント・高田純次”の原点ともいえる街、東京・新宿をスペシャルゲストの柄本明と共に歩く。

【写真を見る】タレント・高田純次の誕生のきっかけは柄本明!?/(C)テレビ朝日

高田は「昔は“人生50年”っていわれていたから、70歳からの人生はもはや付録みたいなもの。これからは、人間じゃないような生き方をしたいね。人間を超えるのか、はたまた退化していくのかは分からないけど、とにかくハチャメチャに生きたいと思います(笑)」と告白。

高田とって新宿は劇団時代の思い出が詰まった街。東京都庁近くで待ち合わせた2人は、「『じゅん散歩』、よく見てるよ。出世したなと思ってさー」という柄本に、「大御所たちの後を継ぐからプレッシャーが強かったんだよ」と高田が答えると、「…なんであなたの言うことは全部ウソに聞こえるんだろうね(笑)」と柄本が即座にツッコんだ。

高田と柄本の出会いは、高田が「自由劇場」の研究生だった'72年頃。家族を養うために演劇の道を諦めた高田は宝飾会社に就職し、宝飾デザイナーとして活躍するが、偶然にも新宿の居酒屋で「自由劇場」時代の仲間だった柄本と再会する。その出会いを機に、高田は会社を辞め、'77年に柄本が率いる「劇団東京乾電池」に入団し、再び俳優人生を歩み出す。新宿は“タレント・高田純次”が誕生した地だという。

40年前、2人が再会した運命の居酒屋を訪れると、高田は「ここは、私にとっては革命的な場所だよ」と振り返り、「本当は(安定した生活を捨てて、演劇の世界に)戻ってくるなんで、やめた方がいいと心配していたんだよ」と柄本は当時の心境を初めて明かした。

また、「劇団東京乾電池」の結成に深く関わった思い出のビルの前では、当時の柄本やベンガルがアルバイトで出演していたコントショーの話題に。「笑ってる場合ですよ!」や「笑っていいとも!」のレギュラー出演時に通っていた「新宿アルタ」前でも、思い出を語り合う。そして、最後にはよく訪れていたという中華料理店も訪ね、懐かしい味を堪能した。

散歩を終えた柄本は「今回の散歩の感想ですか? …特にないですね(笑)。久々に純次さんと話しましたが、やっぱりそんなに話すことないんだなってことが、ハッキリ分かりました(笑)。知り合ってから40年以上がたちますが、24、25歳で出会った時から純次さんはこの調子ですから。何も変わらないよね」と笑顔を見せた。

一方、高田は「えもっちゃん(=柄本)は、“わが師匠”ともいうべき存在。ちょうど僕が30歳になる年の夏休み、得意先の受付のおネエちゃんをなんとかダマしちゃおうと思って居酒屋に連れて行ったら、そこに偶然えもっちゃんとベンガルが来て、一緒に飲むことになって…。かつての仲間がみんな、まだ演劇を続けていたことに揺れ動かされて、会社を辞めて芝居の世界に舞い戻ってしまったんだよね」と振り返った。

さらに高田は「だから、えもっちゃんは、違う世界に踏み出そうとする僕の背中を押してくれた人。正直言って、あの時えもっちゃんたちに出会わなければ、今頃はえもっちゃんに1000万円の宝石を売りつけていると思います(笑)」と冗談交じりに感謝した。

柄本は「純次さんは、絶対に暑苦しい話をしないんです。たとえば『大丈夫なの?』って彼のことを心配して聞いたとしても、そういう話には乗ってこない。芝居について語ったこともないんです。でも、今回の思い出の居酒屋で語り合ったことはすべて真実です! こういう人だから、僕と出会わなくてもどこで何をしていたとしても、やっぱり彼は最終的には芸能界で活躍していたと思いますよ」と語った。

70歳を迎えた高田に向けて柄本は「…エールなんてないよ(笑)。でもまぁ、70歳おめでというって言っておこうかな。健康が一番だよね」と激励した。

そんな高田は「1年半、『じゅん散歩』を続けてきましたが、今、ようやく番組として地に足が着いたところかな。これからどうステップアップしていくかだよねぇ。今までは前を向いて歩いていたけど、これからは後ろを向いて歩いてみようかな(笑)」と“高田節”で抱負を語った。

かつての同志の高田と柄本が新宿の街を語り歩く今回の散歩では、下積み時代のハチャメチャ秘話に加え、番組でこれまでに放送した思い出の街での散歩を軸に波瀾(はらん)万丈の高田の半生をたどる。