愛へ

迷っている背中を押しにきました。きっかけはさっき見たテレビです。愛がバンビの頃から、今に至るまで24年ぶんの人生の振り返りでした。どれも一度は見た、同じ時間を生きてきた物語です。知っているような気がするし、懐かしいような気がする話です。素晴らしい時間もあったし、苦しい時間もあった。自分の人生と重ね合わせながら、お互いに幼く、若く、未来が定まっていなかった時間を思い出しました。

たくさんの人との出会いがあり、そして今は江くんという素晴らしいパートナーに恵まれ、愛の幸せはしっかりと結ばれていました。祝福が満ちていました。それはまるでディズニーの映画のような、苦しさを乗り越えて、清らかな幸せをつかむプリンセスのようでした。泣けそう、でした。

番組のエンディング、愛と関わった人たちがピンク色のリボンを結び、愛へのメッセージを贈りました。そして、愛もまた江クンと一緒にリボンを作っていた。きっと泣けるんでしょう。「尊敬できる先輩」「憧れていた」「勉強になる」そんな気持ちが、笑顔とともに送られているのだから、きっと泣けるのでしょう。

しかし、僕は今そんなにうれしくもあったかくもないのです。

何か、大きな世界の風のようなものが愛の物語を勝手に終わらせようとしているようで、不愉快な気分なのです。愛はきっと幸せになったのだろうけれど、これは映画じゃないだろうという気持ちでいっぱいなのです。あまりに永く同じ時間を生きてきたせいか、誰かが幸せの瞬間に差し込んだエンドロールで心の一部を畳まれるような気分なのです。

誰が終わったと決めたんだっけ。

プリンセスの物語なら王子様と結ばれたら終わりでもいいのでしょう。でも、愛はプリンセスになりたかったんだっけ。王子様と結ばれたら何かが終わるんだっけ。何かもう引退でもしたかのような気配の数々。24年の密着をここで締めくくるかのようなまとめ。もはや「敵」とは思っていないかのような後輩たちからの感謝。感動。祝福。グランドフィナーレ。

愛が終わらせるならそれはそれでいい。24年間も国民の目にさらされてきたのだから、この物語はロングランもいいところです。フィナーレを迎える時を決める権利は愛にある。いつ、どんな瞬間に終わっても不思議はない。誰かを愛し愛される、静かな人生へと移行していっても、それはもう時の定め。

ただ、もうここで終わりと決めつけるかのように、勝手にエンドロールを流されるのは許せない。納得ができない。プリンセスの物語ならばエンドロールを流すのにベストなタイミングなのかもしれないけれど、アスリートの物語はいつハッピーエンドになったんだっけ。

メダルも獲った。栄光も得た。五輪も四度出たし、よく戦った。ただ、心からそれをハッピーエンドと思えるような瞬間を僕はまだ探している。リオはチャンスだったし、「最後かもしれない」と僕も心に秘めていた大会でした。それだけに、悔しかった。遠くに逃げていった個人の銅が、つかみ損ねた団体の銀が。もしその1勝があったなら、きっと愛の涙も変わっていただろうから。

報せもなく欠席してしまった結婚式の非礼を詫びながら、心で「おめでとう」を繰り返すたび、あぁ僕は一番の「おめでとう」を言いそびれてしまったなと思うのです。愛の渾身の一球が台を叩き、サァーの声が大きく響く。立ち上がる仲間たちと星空のように瞬くフラッシュ。愛がそのまん真ん中にいて、すべての喝采を独占する瞬間のためにとっておいたままの「おめでとう」が、忘れられたボールのようにここにある。

ディズニーリゾートでの結婚式を前に、穏やかな日常生活のなかにある愛はこんなことを言っていました。

「続けるか、続けないかの二択のどっちかです」

「ものすごく難しい」

「もしかしたら人生のなかで一番大きな選択になるのかなと思います」

「何で次が東京なんだろうっていうのは思いますね」

「リオが東京ではなかった。そして8年後でもなく次が東京」

「タイミングとして恵まれているのか、恵まれていないのかすごくわからない」

「自分自身の選択ひとつで恵まれているにもなるし、恵まれていないにもなるような」

「すごく絶妙なタイミングだなって」

「もし次が東京じゃなかったら…」

「私はどういう選択をするのかなとか」

「家族をどういう風にしたら大切にできるか」

「それがお義父さんとかお義母さんの楽しみのひとつ、生活のなかの刺激になったらいいなぁと思うんですけど」

「台湾のお家に帰ってくると、やっぱりお義父さんお義母さんのそばにいてあげたいなって気持ちがすごく強くなるので…」

迷っているのはやり残したことがあるんじゃないのか。新しいステージだけでなく、振り返った場所にまだ何かを探しているんじゃないのか。迷っているのは終わっていないからでしょう。勝ったとしても負けたとしても、いけるところまでいってみたらいいじゃないか。誰の人生でもない。愛の人生なのだから、やりたいことを全部やったらいいじゃないか。

やりたいことが急に増えたので、全部を追いかけることが難しいとか、ひとつひとつが疎かになるように思っているのなら、人生の先達として伝えたい。1番やりたいことならば「全部できる」ということを。本当にやりたいと願ったことなら、全部できる。1番やりたいことが2つあるなら2つできる。3つあるなら3つできる。

結婚したら終わりとか、出産したら終わりとか、そういう考え方、僕は嫌いです。

そういう選択ももちろんあるのだけれど、それは結婚したから出産したから終わるんじゃなくて、より強い1番が誕生して心がもうそこに向いてしまっているのです。「何かが終わった」のではなくむしろ「何かが始まった」からこそ、新しい物語に切り替わっていくのです。迷っているのは切り替わっていない何よりの証拠。愛の1番はまだ2つある。どちらかが本当の1番になる瞬間まで、全部やってみたらいいじゃないか。好き勝手してみたらいいじゃないか。

迷ったら、やる。

ほかのことがやりたくなったら、やめる。

人生はその繰り返し。

愛の「1番」なら、それを自分の「1番」と思えるような、彼はそんな優しい人なんじゃないのかなぁと、僕は勝手に思っています。互いに気持ちよく東京を迎えられるように、一番の幸せをつかめるように、遠くで祈っています。幸せにおなり。僕も頑張ります。

「人生は一度きりだよ」