仕事をしていると、「うまくやる人」って、時々いますよね。ここは踏ん張りどころ、とわかってる。逆にここはのんびりやってもいいところ、とわかっている。そういうふうに「うまくやる人」はがむしゃらな努力をしなくても、毎回ちゃんと結果を出せているものです。精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生によると、「うまくやる人」に共通するのは、「小さな技術」を意識的に使いこなしている点なのだそう。

先生の言う「小さな技術」とは、一体何なのでしょう?

「小さな技術」を大切にして

「君のおぼえた小さな技術をいつくしみ、その中にやすらえ」(マルクス・アウレーリウス)

古代ローマの皇帝・マルクス・アウレーリウスの著作『自省録』からの一節です。いわゆる「五賢帝」のひとりであり、学問を好み「哲人皇帝」と呼ばれた彼が、自分自身への戒めとして綴ったとされる有名な思想書の古典ですね。

これはね、結構難しい言葉だと思うんですよ。「君のおぼえた小さな技術」っていうのは、単に誰かから習ったり、教わって覚えたことではなくて、知らない間に自分が使いこなせるようになったもの。それを慈しみなさい、と。そして自分が本当に身につけたものは、他の分野にも応用できる場合があるってことですね。自分がすでに持っているもの、それを尊重しなさい、その価値を知りなさいっていう意味かなと、僕は解釈しているんですけども。

基本的に、その「小さな技術」――つまり自分が日々の生活や経験の中で積み上げてきたものっていうのは、わりと無意識の中で活かされることが多いと思うんです。

個性とは「活かしきった技術」のこと

たとえば会社のプロジェクトなんかに参加した時、チームそれぞれのメンバーに「君の個性を出せ」と要求される局面って、よくあるじゃないですか。

じゃあ「個性」とは、いったい何か。それは別に奇抜な発想とか、突出したカラーや斬新さとか、そういう派手なものではないと思うんです。つまり「君のおぼえた小さな技術」こそが「君の個性」であり、個々のオリジナリティーのもとになるもの。

自分が生まれ育った町とか、家族関係とか友だち関係とか、趣味とか部活とか、今まで生きてきた環境の中で培った、すでに活かしきった技術のことを、僕たちは「個性」と呼んでいるんだと思います。その人が自分の人生の中で、何度も繰り返し使いきっているような技術。
その「小さな技術」を活かしきった時に、違う分野で応用される、っていうことが往々にしてあるんですね。

たとえば料理が好きな女性だったら、一人暮らしでも、家族とか恋人と暮していても、料理を毎日当たり前のように作って、ちょっとあまったらタッパーに入れてお友だちにお裾分けしたりとか、そういう料理をめぐる日々の営為の中で、いろんな技術、あるいは知恵や人間関係上の恩恵をたくさん身につけてゆくと思うんです。

料理というひとつの課題を何度も何度も完遂しているわけだから、たまにカレーを作る程度の男性なんかと比べたら、そこの経験値とか学習の質と量は全然レベルが違うんですよ。

たとえば、美味しい食事を他人と分かち合うことで、関係がより深まるという感覚を身につけている人が、仕事でギスギスと煮詰まってきた時に、「みんなでごはんでも行きましょうよ」と抜群のタイミングで提案する。なぜってその人は食事の時間が与えてくれるいくつもの恩恵を知っているから。つまり結果をイメージできているから。その食事をきっかけに、一緒にやっているプロジェクトも円滑に回り出すんです。

これってもう完全に「小さな技術」を有効に応用しているわけですね。自分がちゃんとやりきった技術、何度も使い込んでいる技術というのは、別のジャンルでも無意識に応用されていることが多いんです。

「小さな技術」を自由自在に使いこなす

さらにこれを「無意識」じゃなく、意識して自由自在に使いこなせるようになれば、もっと応用力が増していくと思います。

たとえば自転車の長距離レースを趣味でやっている人なんかは、やっぱり独特の「小さな技術」を持っている。普通、20kmくらい走ってお尻が痛くなったら、「もうそろそろやめよう」とすぐ思うじゃないですか。でも長距離に慣れている人は、そこからふっと体勢を入れ替えることによって、もうあと10km快適に走れる。その10kmでは身体的な快感が非常に強く得られて、ナチュラルハイの状態に入ることをよく知っている。

そうすると、たとえばみんなで企画書なんかを練っている時に、「予定の時間は過ぎましたけど、もうあと一時間だけやってみません?」とか、逆に「今日はもうこのへんでやめましょう」とか具体的に提案できるんですね。レースの行程を何度も経験して、「長距離の走り方」のコツを会得しているから。

そういう「小さな技術」の意識的、確信的な応用は、非常に説得力があるんです。