窓の向こうに広がる青い地球と、その手前に浮かぶ1個のサッカーボールの写真。すこし古びたこのサッカーボールは、1986年1月28日に打ち上げられたスペースシャトル「チャレンジャー号」に載せられ、エリソン・オニヅカ宇宙飛行士ら7人の乗組員と一緒に宇宙に行くはずだったサッカーボールです。

この写真を公開したのは、NASAでスペースシャトルをはじめとする重要なミッションに大きな役割を果たしているジョンソン宇宙センター。国際宇宙ステーション(ISS)の一角にある「キューポラ」と呼ばれる観測施設の中で撮影されたこのサッカーボールは、30年前に事故を起こしたチャレンジャー号に載せられて一度は宇宙を目指したものの歴史に残る大事故に巻き込まれ、その後の数奇な運命をたどることになりました。

iss050e033912 | iss050e033912 (01/21/2017) --- A soccer ball… | Flickr

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サッカーボールのかつての持ち主であるオニヅカ氏(写真左端)は、ミッション名「STS-51-L」の宇宙飛行士としてチャレンジャー号に搭乗しました。チャレンジャー号に搭乗する際、ジョンソン宇宙センターに近いクリアレイク高校のサッカー選手たちは、サッカーボールにそれぞれのサインを寄せ、オニヅカ氏に贈りました。これこそが、今回宇宙へ飛び立ったサッカーボールであり、そのサインの中にはオニヅカ氏の娘のサインも含まれていました。サッカーボールを贈られたオニヅカ氏はスペースシャトルに乗り込む際、サッカーボールと高校生たちの夢も一緒に乗せ、宇宙を目指しました。



By NASA Johnson

オニヅカ氏ら7名のクルーとサッカーボール、そしてミッションで用いる人工衛星を載せたチャレンジャー号は、1986年1月28日午前11時38分にフロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられて一路宇宙を目指します。しかしそのわずか73秒後、右補助ブースターロケットに生じた不具合が原因でチャレンジャー号は打ち上げ中に急激に分解、後にチャレンジャー号爆発事故と呼ばれる大惨事が発生しました。

この事故を語る際、よく「チャレンジャー号が爆発した」と表現されるのですが、実は事故における主な出来事は「爆発」ではなく、「分解」だったことが調査によって判明しています。不具合を起こした右ブースターがシャトル全体の姿勢を乱し、超音速で上昇を続けていたスペースシャトルは空力バランスを失ったことで機体に急激な負荷を受け、一瞬の間にバラバラに分解されてしまったというのが事故の主な出来事です。

この写真はチャレンジャー号の事故写真としてよく目にする写真ですが、実は白く見えているのは爆発による煙ではなく、外部燃料タンクに充填されていた液体水素が飛散・燃焼したことで発生した「雲」。分解直後には大きな火球を生じた事故でしたが、その様子は「急激な燃焼」と呼ぶのが適切と考えられています。そして、超音速状態の中で分解してしまったスペースシャトルですが、この時点ではまだ乗組員の少なくとも数人は意識がある状態だったことが有力視されています。



By NASA Johnson

スペースシャトルの乗組員が搭乗する区画は強化アルミニウムで作られており、機体の中でも特に強固な構造体となっています。そのため、急激な機体分解が起こった時にも乗員区画だけは元の形をとどめていたことが後の調査によって判明しています。しかし、推進力も操縦系統も失った乗組員にはなすすべもありません。一部の乗組員は必死の操作を行っていたことも後に明らかになっていますが、機体分解から2分45秒後、乗組員とサッカーボールを載せた乗員区画は、時速およそ300kmで大西洋に落下しました。

事故後、海に沈んでいたチャレンジャー号の機体が次々に回収されました。そしてその中で、オニヅカ氏が持ち込んでいたサッカーボールが奇跡的に無事に回収されていました。



By NASA Johnson

その後、ボールはクリアレイク高校に返還され、30年にわたって校内に展示されていたとのこと。月日が流れる中で次第に忘れ去られようとしていたサッカーボールでしたが、同校のカレン・エングル校長がその歴史をひもときました。同校には、かつてスペースシャトルのミッションで宇宙に行き、今もISSのミッションに参加しているロバート・S・キンブロー宇宙飛行士の息子が在籍しています。オニヅカ氏の話を耳にしたキンブロー氏がオニヅカ氏の遺品を自分のミッションで宇宙へと持って行くことを提案したことから、サッカーボールを再び宇宙へ届けることが実現したというわけです。



By NASA Johnson

この写真が公開されたのは、2017年1月21日のこと。NASAでは毎年、1月31日を宇宙開発の中で殉職した職員を追悼する「Day of Remembrance(追悼の日)」としており、キンブロー氏はその日に先立ってこの写真を収めています。

なお、機体が分解してしまったチャレンジャー号の一部の乗組員は、最後まで事態改善に向けた努力を行っていた痕跡が残されています。フライトデッキ内にある4個の個人用空気供給パックのうち3個が作動状態になっていたことや、マイケル・スミス飛行士の右手側パネルにある電力系統のスイッチのうちのいくつかが、通常の打ち上げ用位置から動かされていたことが事故後の調査で明らかになっています。

調査に携わっていたNASA主任調査官ロバート・オーバーマイヤー氏は「スコビー船長は生き残るためにあらゆる努力をした。彼は落下する間ずっと翼も持たずにあの船を飛ばしていた。彼らは生きていたんだ」と後にインタビューの中で語っています。宇宙開発はさまざまな危険が隣り合わせですが、今わたしたちが持っている技術や知識は、このような多くの犠牲者なくしては成し遂げられなかったものなのです。