【浦和】亡き母の"遺言"を胸に、ラファエル・シルバは「何があっても、前に突き進む」

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 パスを受けたラファエル・シルバが躊躇わずドリブルを仕掛けて、ゴールへ突き進む。日本に来て2年半、ひと回り大きくなって強靭さの増した身体を生かしてDF陣を振り切り、シュートまで最短距離で持ち込む。
 
 新天地の浦和ではこれまでセンターフォワードに固定され、沖縄のアマチュアクラブとJ1に昇格した札幌から、計4試合・7ゴールを決めている。
 
「前を向いた時に、僕の持ち味のスピードを出せる。常に前を向けるシャドーが最も合っている気はする。でも新潟ではCFとして徐々に慣れていったから(4-4-2の2トップが主戦場だった)、浦和でも1トップを任されれば、新たな挑戦になるし、やり甲斐につながると思う」
 
 R・シルバはそのように前を向いたプレーへのこだわりについて話していた。
 
 まっすぐ突き進む――。そのプレースタイルに結びつく16歳での出来事について、彼はインタビューの席で語ってくれた。
 
 大都市サンパウロの街中で生まれ育ったR・シルバだが、幼少の頃、両親は離婚している。その後、母と姉との3人で暮らし、消防士だった父親からの仕送りが生活費となった。
 
「でも、まだ父は若くて消防士としての階級が低くて、その仕送りが滞ったりもした。だから母がテレホンオペレーターなどの仕事をして、生活費を賄っていた時期もあった」
 
 フットサルで数えきれないほどのゴールを決めた活躍が認められ、コリンチャンスの下部組織にスカウトされた。ただ、その練習場までに行くバス代さえなく、途方に暮れたこともあったと言う。
 
「生活費が底を尽きそうになったら、どのように使うのか、みんなで考えなければいけなかった。だから母に『僕のバス代を食費に使おう。そのほうがみんなで楽しめるから』と申し出るんだ。母はそういったなかで必死に家計を切り盛りしてくれていた。僕らを育てるために、母は戦ってくれていた。僕らを守ってくれる最強であり、最も優しい掛け替えのない人だ」
 
 バス代がないことが、決して悲しいわけではない。むしろ、そんな些細なことによって、家族が傍にいることを実感できるのは幸せなことでもあった。そして彼は、「ただ……このことについて、もう少し説明させてもらっていいかな」と切り出した。
 
「その母のマルタは僕が16歳の時に亡くなってしまったんだ」 

 R・シルバはその人生の分岐点について話を続けた。
 
「慎ましくも笑顔の絶えなかった生活から、マルタはいなくなってしまった……。その母のためになんの力にもなれなかった自分の無力感に苛まれたよ。後悔の念は少なからず今もある」 

「とはいえ、僕にできることなんて限られていた。だから迷わなかった。何がなんでもプロサッカー選手になるんだと、そう心に誓ったんだ。今度は僕が姉であり、家族を支えなければいけない。現実を目の前にして、生きるための自覚を促されたんだ」
 
 その後、プロになるチャンスを掴み、スイスのクラブを経て「愛情に包まれた街」という新潟に来て成長を遂げ、日本で最も規模の大きな浦和でプレーすることになった。すべてが連鎖している。
 
「今こうしてサッカー選手という職業に就けているのも、母がいてくれたお陰だ。だからマルタが僕にしてくれたように、僕が“家族”のために恩返ししていきたいと思っている」
 
 そして尋ねてみた。今でも心に残っている、母からの言葉はあるだろうか?
 
 R・シルバは嬉しそうに言った。
 
「『あなたが選んだ道を信じ、自分はなんでもできるんだというぐらい心に余裕を持って、まっすぐ突き進んでほしい』と、マルタはサッカーばかりしていた僕に言っていたよ。それに『いつでも前向きにね』って。その言葉が今も、何か大切な決断をする際の人生の道しるべになっている」