衆議院インターネット審議中継より

写真拡大

 ジャーナリストの布施祐仁さんのスクープを端緒に、「南スーダン派遣部隊の日報隠蔽問題」は、ようやく国会でも活発な議論が展開するようになった。(参照:神奈川新聞)

 日報隠しの問題や、新たに「見つかった」日報の内容について質問に立った民進党・小山展弘の質問に対し、稲田朋美防衛大臣は、8日、衆院予算委員会で、

「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 と、答弁した。

 繰り返すが、答弁の内容は

「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 である。

 つまり稲田朋美防衛大臣は、「憲法9条の内容に抵触する事象は発生しているが、その事象をその事象として表現すると、憲法9条に違反する可能性があるから、そうとは言わず、別の言葉を使っている」と言っているわけだ。

 さらに端的に言えば、「現状と憲法が齟齬を来しているので、現状についてはなかったことにし、憲法の枠内に収まる表現にしておいた」と言っているのである。いや、もっと端的に言えば、「はいそうです。嘘をついてるんです」と開き直っているに等しい。「ふざけるな!」と言うしかなかろう。

◆言葉だけでのごまかし

 こうした国会での発言を批判的に検証するとき、必ずと言っていいほど寄せられるのが「マスコミは政治家の発言を切り貼りして批判する」という意見だが、今回ばかりはその言い訳は通用しない。

 神奈川新聞が公開した当該答弁の全文書き起こし(稲田防衛相「憲法9条上問題になるから『戦闘行為』ではない」南スーダン「日報」破棄問題)を見てみれば明らかのように、稲田朋美は、明確に、「『戦闘行為』ではない、ということになぜ意味があるかと言えば、憲法9条上の問題に関わるかどうか、ということです。」と言い切っている。

 さらに問題なのは、この質疑応答の一連の流れで、稲田が「国際的な武力紛争の一環」「国及び国に準ずる組織同士の武力衝突」を「戦闘行為かどうかの基準」であるという、従来の政府見解を踏襲しているにもかかわらず、「憲法9条上の問題に関わるかどうか」なるポイントをことさらに強調してしまっている点だ。

 一見、稲田の答弁と、従来の政府見解に齟齬はないように見える。が、従来の政府見解は、「国際的な武力紛争の一環でないのだから、当然、憲法9条の対象ではない」と言うものであって、決して(実運用はどうであれ)「憲法9条に抵触しないように、事態を表現する」ではない。つまり、従来の政府見解は「憲法を遵守することは政府の行為として当然であって、当然のことながら憲法9条に違反するようなことはしていない」と言う大前提に立つものであった。実態や実運用がどうであれ、立憲主義の元、国策を遂行する行政としては当然の認識だろう。だが、稲田の答弁は違う。稲田のレトリックは、どこをどう読んでも「実態はどうであれ、憲法に違反していないと言い張るために、言葉を選んだ」でしかない。

 確かに、政府従来見解も稲田答弁のロジックも「あくまで憲法の範囲内」を取り繕おうとする点で同じではある。が、稲田答弁の奇怪さは、「現実は政府の都合によっていかようにも『憲法の範囲内である』と規定できてしまう」と開き直っている点だ。これでは立憲主義を根本から否定しているに等しい。

◆ごまかしを弄する人間が望む新憲法

 滑稽なのは、この稲田が、生粋の改憲論者だと言うことだ。

 所謂「百人斬り訴訟」で法曹史上に残る大惨敗を喫した成績の悪い右翼弁護士時代から、防衛大臣となった今現在に至るまで、彼女は、「憲法改正」の旗をおろしたことがない。「中国の膨張主義などのリアリティーを直視した時、憲法9条は現実にそぐわないから、即刻、改正すべきである」と言う立場にずっと立ち続けてきた。しかし今、彼女は、「現実はいかようにも言い繕うことができ、憲法の枠内だと言い張れる」と開き直っている。だとするならば、「現実にそぐわない憲法を時代のリアリズムに合わせて変える」など、必要ないではないか。