【ニッポンの名車】レースで勝つべく生まれた日産スカイラインGT-R(R32型)

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ケンメリ以来16年振りに復活したGT-Rの名

スカイラインR32GT-Rの功績を一言で言えば、「国産車のパフォーマンスとクオリティを一気に10年分進歩させたクルマ」ということではなかろうか。

デビューは昭和が終わり、平成がはじまった1989年(平成元年)。初代スカイラインGT-R(PGC10)のデビューからちょうど20年後。2代目のケンメリGT-R(KPGC110)の生産終了から16年後、待望のカムバックだった。

歴代スカイライン開発者からすれば、きっとR30スカイラインから、GT-Rを復活させたかったはず。しかし、R30ではツインカムエンジン(FJ20)こそ復活させたが、FJ20エンジンは、スカイラインのトップモデルの伝統、直列6気筒ではなく直4エンジンだったために、GT-Rではなく「RS」という名称に!?

R31も、グループAレースのホモロゲモデルとして限定800台の「GTS-R」が登場したが、「GT-R」の名は見送りに(レースで最強と言えるパフォーマンスを持ち合わせていなかったから?)。

「いい加減、GT-Rを復活させたい」「レースで圧勝するスカイラインにしたい」という飢餓感が、稀代の名車、R32GT-R誕生の原動力になったのは間違いない。

事実、R32GT-Rの開発主管を務めた伊藤修令氏は、R30がレースでボルボなどの欧州車に歯が立たないのを見て、「スカイラインがレースに負ける姿は見たくない」と思い、GT-R復活を決意したとのこと。

というわけで、GT-Rは最初から「市販車でレース勝てるクルマ」というのが命題で、そのために当時のグループAレギュレーションで、最も有利なパッケージになるよう設計された。

2.6リッターという半端に見える排気量もグループAで勝つためのもの

グループAでは、排気量ごとに最低重量とタイヤの幅が決まる規定だったので、ターボ係数1.7をかけた排気量が、ギリギリ4.5リッターになるように、他に例のない2.6リッター(2,568cc)+ツインターボのRB26DETTというエンジンが搭載された。結果、グループA GT-Rの最低重量は1260圓如▲薀ぅ丱襪3リッターターボ車の最低重量(1420圈砲紡个掘160圓離▲疋丱鵐董璽犬鯑世襪海箸棒功。

また、直6ゆえに長くて重いと言われたRB26DETTエンジンだが、その鋳鉄ブロックは頑丈で、国産車ではじめて、1000馬力の大台に耐えられるタフネスさを誇っていた(グループA仕様では、MAX600〜650馬力)。

ピークパワーだけでなく、4000〜8000回転まで使える広いパワーバンドがある市販車ベースのターボエンジンも、他には見当たらない時代だった。

しかし、グループAでは、タイヤサイズはノーマルの2インチアップまで、幅は11インチまでという規定があったので、FRで600馬力のパワーは受け止められない。

そこで、FRベースのトルクスプリット4WDシステム、「ATTESA E-TS」を投入。4WDのレーシングカーで、はじめて大成功を収めた一台となった。

ロードゴーイングカーとしては、走りのために、ボディを先代よりもコンパクトにしたというのは大英断だった。

国産車にとってハードルの高かったニュルブルクリンクで鍛え上げた

そして、日産の901運動(「1990年代までに技術の世界一を目指す」運動)の集大成として、国産車で初めて、ドイツ・ニュルブルクリンクで本格的な開発テストを行い、市販車として当時のニュルの最速タイム、8分22秒38を記録したというのは、歴史的な快挙といえる。

一方で、ニュルでは、ブレーキが1/3周しかもたなかったなど、ブレーキの弱点が指摘されたが、それでも当時の最先端、四輪アルミ対向キャリパーを採用し、従来の国産車よりも何段階もブレーキに対する意識は高かった。ちなみに当時は、タイヤの扁平率が50%までしか認可されていなかったのも、ブレーキのキャパ不足に影響している。

マイナーチェンジで、Vスペックにブレンボ製ブレーキを採用したのもトピックだったし、Vスペック兇任蓮解禁になった45タイヤ=245/45R17も装着している。

また、スポーツ走行に重点を置いた本格的に本革ステアリングや、セミバケットシートを純正パーツとして投入した功績も特筆できる。

さらに言えば、ニュルでのテスト、そしてグループAレースで、ハンドリングはボディ剛性で決まるということを気付かせてくれたのも、このR32GT-Rだった。

前出の伊藤修令氏は、「2年間はグループAレースで勝ち続ける」ことを開発目標に掲げていたが、結果として、R32GT-Rは、グループAレースで29戦29勝無敗。N1耐久レース32勝の金字塔を達成。

デビューからもうすぐ30年。さすがにパフォーマンス(経済学の使用価値)は、一線級とはいえなくなったが、そのブランド力と、実績と伝統に裏打ちされた物語性の共有(経済学の象徴価値)に関しては、R32GT-Rに並ぶクルマは出てきていない。

経済学のもうひとつの価値=交換価値に関しても、海外のオークションで700万とか1000万円のプライスがついたというのがニュースになったのは、記憶に新しいところ。

そういう意味で、今 のところ国産車史上、ナンバーワンの名車といっても、異論はないだろう。