『自由なサメと人間たちの夢』渡辺 優 集英社

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 昨今のサメのクローズアップぶりって何なの? 動物番組でもしょっちゅう取り上げられてるし、いつだったかテレビ東京でやってるお昼の映画枠でサメものに力を入れてたことがあって今週もサメ来週もサメみたいな月があったと記憶している。え、なんでみんな恐くないの? サメ番組やってるとうかつにチャンネル変えることもできないんですけど! そんな『ジョーズ』世代(スピルバーグ許すまじ)の私がどうしてこのような恐ろしげな本を手にとってしまったのか。それは本書が『ラメルノエリキサ』(集英社)の著者によるものだったから(このミステリアスな題名を持つ剣呑にして痛快な小説については、2016年3月16日更新のバックナンバーもあわせてお読みいただければ幸いです)。

 さて、実際のところサメが登場するのは、短編集である本書の最後の2編。それぞれの短編に共通しているのはサメではなく夢。死を夢見る女。強さを夢見る男。明晰夢を見る訓練をする大学生。「希望」や「理想」と同義の夢から、実際に眠っている間に見る夢まで、主人公たちが追い求める"夢"はさまざまだ。そして、希望を感じさせる物語もあれば、不穏なものもある。個人的に特に印象に残った作品は「ラスト・デイ」だった。精神科に入院している朋香が主人公。彼女は死の魅力に取り憑かれており、自殺未遂と入退院を繰り返してきた。しかし2週間の入院生活を経ての退院日、彼女はそれを最後の日と決めた。最後の瞬間に向けて高まる緊張、果たして彼女はどのように終わらせるつもりなのか...?

 さてさて、冒頭であれだけ騒いでおきながらサメ2編について触れないわけにはいくまい。「サメの話」の主人公は、サメに魅せられたキャバ嬢・涼香。彼女もやはり『ジョーズ』のせいでサメを恐がっていたのだが、水族館でただの海の生き物であるところのサメを見て、恐怖が憧れへと一転したのだという(私も水族館でサメを見たことがあるが、恐怖が増幅されただけだった)。サメを飼うために、部屋を借り水槽も買った。サメが来れば自分は変われる、ドラッグもやめられると信じて。「水槽を出たサメ」の主人公は、題名が示す通りサメだ。サメが主人公とはいったいどういうことなのかについては、ぜひお読みになって確かめていただきたい。結論としては、私は主人公のサメにすっかり心を奪われてしまった。このサメだけだが。そしてもし科学の進歩によって、小説の中のサメが映像化されたり、ましてや実体を伴ったりするようなことがあったら間違いなく失神(下手したらショック死)するが。

 サメの揺るぎなさにくらべて(「水槽を出たサメ」のサメは聡明であるし、自然界にいるサメは生物としての迷いがなさそう)、人間はなんと脆弱なことだろう。だが、自分の弱さと折り合いをつけながら人間は生きて行くしかないのだ。完全にはほど遠い存在だからこそのおもしろみや醍醐味を探し続けることが人生なのかもなあということを、渡辺優という若き気鋭の作家に教えられた気がする。はっとするような鋭い感性や言葉選び、クールさの中にも垣間見える他者に対する温かさ、控えめにいてノックアウトされました!

(松井ゆかり)