(写真提供=SPORTS KOREA)

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崔順実(チェ・スンシル)ゲートの影響をもろに受けて、盛り上がりに欠くものの、平昌(ピョンチャン)五輪の開幕まであと1年になった。2月3〜5日に行われたスキー距離のW杯を皮切りに、4月まで大小様々なテスト大会が行われることになっている。

こうした大会は、会場施設の点検、選手にとっては、実際の五輪会場に慣れるという意味があるが、韓国の人たちにとっては、競技に接する絶好の機会でもある。

韓国では最近、ボブスレーやスケルトンで好成績を収める選手が出ているものの、スピードスケートとフィギュアスケート以外の競技は、ほとんど馴染みがない。この機会に馴染んでおかなければ、大半の競技を知らないまま、五輪本番を迎えることになる。

(参考記事:羽生結弦が“本番”で舞う会場が完成もイメージ悪化が収まらない平昌五輪)

札幌も長野も開催前年は盛り上がったが…

日本では、1972年の札幌と98年の長野の2回冬季五輪が開催された。

当時私は小学生だったので、記憶は正確でないかもしれないが、72年の札幌大会の場合、2年前に大阪で万博があり、冬季五輪への関心はそんなに高くなかったような気がする。

しかし、五輪前年に開催されたプレ大会で関心が高まり、トワ・エ・モワらが歌った名曲『虹と雪のバラード』とともに、雰囲気が徐々に盛り上がったように記憶している。その意味でも、五輪の前年というのは、重要である。

ただ、それにしてもと思うのは、平昌五輪である。

招致決定時の支持率は90%を超えていたが…

招致に2回失敗し、2011年7月6日、南アフリカのダーバンで開催されたIOC総会でようやく開催地に決まった。

その翌日、韓国の『東亜日報』は、「平昌、3回目の涙は歓喜だった」という見出しを掲げ、『朝鮮日報』は、「平昌、偉大な勝利」という見出しを掲げた。

冬季五輪の開催について、同日の『朝鮮日報』は、「西欧先進国、日本だけが開いた富者オリンピック…韓国もその序列に立つ」という見出しを掲げ、『東亜日報』も「冬のスポーツは“富国の象徴”…アジア、辺境から主役に」という見出しを掲げている。

冬季五輪の開催で、先進国の仲間入りをしたという高揚感に溢れていた。経済効果についても、生産誘発効果は約20兆ウォン(約2兆円)、雇用創出効果が23万人などと書かれている。

五輪会場の建設や、交通などインフラ整備で雇用は生まれただろうが、経済効果の実感は、それほどないだろう。あの時の興奮はどこに行ったという気がする。

「国格けが上がっても個々の生活は良くならないという失望感

平昌五輪開催が決まる前、大会の招致を支持する人が、90%を超えていた。しかしそれは、冬季スポーツに対する関心が高いからではなく、韓国でよく使う「国格」、つまり国のブランド価値の上昇や、経済効果への期待によるものであった。

自然破壊が問題になるアルペンスキー・滑降会場の問題や、ボブスレーなどソリ種目の会場の維持費の問題など、冬季五輪を開催する時、必ずと言っていいほど問題になることがらは、招致が決まった後になって、ようやく懸念の声が上がった。

五輪開催賛成の世論があまりに高い時は、国民が五輪や競技種目に対する理解、人気が非常に高く、開催を待ち望んでいるケースと、競技種目のことはよく知らないけれども、五輪がもたらす様々な効果を期待しての2つのケースが考えられるが、平昌五輪は完全に後者の方である。

1988年のソウル五輪、2002年の日韓共催のサッカーW杯。韓国は大きな国際大会を開催するたびに、国のブランド価値を高めてきた。

そして2002年のW杯の成功の余韻がある時に、招致競争が始まった。そのうえ2度の落選により、時代の変化よりも、招致合戦に勝つことのみが目的化していった。

やっとの思いで五輪招致を勝ち取り、ソウル五輪や2002年のW杯の成果をもう一度という期待が高まっていたが、韓国を取り巻く状況は変わってきており、当時と同様の効果を今の韓国で望むのは無理がある。

過去の国際大会や「韓流」、韓国経済の発展などにより、韓国の知名度が高まった分、新たな国際大会を開催することによる宣伝効果は減少している。そのうえ、「国格」が上がっても、個々人の生活や良くならないという失望感が若者を中心にあり、閉塞感が高まっている。

平昌の現状から東京は何を学ぶべきか

これまでは、競技大会としての中身よりも、その大会が持つ波及効果の方が重視されていた部分もあった。

けれども今は、開催する以上は、競技大会としての中身が重要である。そのためにも、各競技に接することができる今は、本来なら大切な時期である。

もっとも、招致成功の時の歓声は今どこにというのは、2020年の東京五輪も同じである。

どこがお金を出すかという問題ばかりがクローズアップされる東京の状況は嘆かわしい。東京の場合はあと3年ある。何のための五輪なのか、足元からもう一度見つめ直す必要がある。

(文=大島 裕史)