歴史に名を刻む作り手に迫る連載第3回は、バラエティーの常識を覆した土屋敏男が登場

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 週刊ザテレビジョン創刊35周年を記念して、ことし1月よりスタートしたインタビュー連載「テレビの開拓者たち」。毎号、テレビ界に多大な功績を残したトップクリエーターたちが登場しているが、週刊ザテレビジョン2月8日(水)発売号掲載の第3回には、「進め! 電波少年」('92〜'98年日本テレビ系)などのアグレッシブなお笑い番組を数多く手掛けてきた、日本テレビの“T部長”こと土屋敏男氏が登場する。

「人を楽しませることを将来の仕事にしたい」という思いを叶えるため、'79年に日本テレビに入社

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」('85〜'96年日本テレビ系)でバラエティー制作のイロハを学んだという土屋氏は、「あの番組は本当にひどかった(笑)」と当時を振り返る。

「テリー伊藤さんが総合演出だったんですが、黒を白と言ってそれが通っちゃうとか、もうメチャクチャ。でも、バラエティーとはそういうもんなんだと教わりました。面白いことが一番なんです」

 そして、バラエティー界の常識を覆した大ヒット番組「進め! 電波少年」を立ち上げたのは35歳のとき。

「実はそれまで、他局の人気番組のマネばかりやっていたのですが、今回は好きなことをやっていいと言われて、テレビの歴史の中で見たことない番組をやりたいと思って企画しました。僕は以前、ワイドショーを担当していて、アポなしで取材して怒られてばかりいたんですよ。そんな人が怒られている姿ってテレビでは見ることがないし、“怒られる”って面白いなと思ったんです。テレビの予定調和を崩したのが視聴者に響いたのかもしれません」

 常に“今までにない番組”にこだわり続けてきた土屋氏に、あえてこんな質問をぶつけてみた。「あなたにとって、テレビとは?」。

「実はテレビって、破壊を繰り返し次のモノが生まれて生き永らえたメディアだと思うんです。そういうものを作り続けるのがテレビなんじゃないかな? これからは、若い世代も怒られながら面白いものを作っていってほしいです(笑)」

 同誌では他にも、日本テレビに入社したころの思い出や、「―電波少年」の代名詞の一つとなった若手芸人のヒッチハイク企画の誕生秘話など、数々のエピソードを披露。土屋氏ならではのユニークなテレビ論は一読の価値ありだ。

 さらに、WEBサイト「ザテレビジョン」では、「テレビの開拓者たち」に登場したクリエーターたちの完全版インタビューを近日公開予定。乞うご期待!