主演男優賞本命とされているケイシー・アフレック。ようやく“ベンアフの弟”から脱却なるか
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 2016年度の賞レースに早々と名を挙げた、ケイシー・アフレック主演の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。サンダンス映画祭で話題となり、ナショナル・ボード・オブ・レビューに輝く本作は、今回のアカデミー賞で作品賞を筆頭に6部門でノミネートされている。その華々しい受賞歴が念頭にあると、実際には驚くほどに地味な作風ではあるが、こうした映画にスポットライトを当てる役割を果たしているのかと思うと、映画賞の意義を改めて考えさせられる作品でもあるだろう。(今祥枝)

 ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)は、漁師の兄ジョーの死をきっかけに、生まれ故郷の“マンチェスター・バイ・ザ・シー”に戻ってくる。映画は、事前に何の相談もなく、兄の16歳の息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人を引き受けなければならなくなったリーが、パトリックと関わる中で、なぜ街を出ていったのか、頑なに心を閉ざして孤独に生きる理由と再生を描く。

 兄ジョーの死から始まる物語は、冒頭から静かな中にも張り詰めたムードが漂い、感情を表に出さないリーの姿に、一体彼に何が起きたのかと不安をかき立てられる。そんな現代のリーと、妻子とともに暮らしていた過去が交互に描かれるのだが、無間地獄に堕ちてからのリーと過去との対比は、あまりに悲痛だ。だが、物語は終始一貫してドラマティックな緩急とは無縁で、圧倒的な悲しみの中にも笑いがありつつ淡々と進む。すでに類似点を指摘する声もあるが、映画ファンなら小津安二郎や山田洋次を連想する人も少なくないだろう。

 監督は、優秀な劇作家でピュリツァー賞候補歴もある才人ケネス・ロナーガン。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001)などの脚本家としても知られ、映画監督としては今作が3作目となる寡作の人でもある。日本では過去2本の監督作、『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』(2000)と『マーガレット』(2011)のいずれも未公開だが、特に非常に高く評価された前者は田舎町が舞台の家族の物語に、善悪併せ持つ人間という生き物の悲しさとおかしみを切なくも巧みに伝えて『マンチェスター〜』との共通点も多い。今作でもオスカー候補になっている脚本の完成度の高さはロナーガンの真骨頂とも言えるが、舞台劇の要素を強く感じさせる過去作とは趣が異なり、本作では視覚的なもの、映像へのこだわりを強く見せている点に監督としてのチャレンジを感じる。特に、誰もが聞いたことがあるであろうレモ・ジャゾットの「アルビノーニのアダージョ」を丸々使って、リーの「なぜ」を台詞なしで描くシーンには圧倒される。

 アメリカのマサチューセッツ州の北東部にある海岸部の街マンチェスターを捉えた映像も印象的だ。寒々しくも美しく、しんと澄んだ空気を伝えて、本作のもう一つの主役とも言えるほど。もう一つマンチェスターに関して言えば、実際に9割以上を白人が占めるというこの地域で、白人の中低所得者層の閉塞感と失意に満ちた現実を描くことは、知性派のロナーガンらしい現代社会の見つめ方なのかもしれない。これもまた分断するアメリカの重要な一面なのだ。

 賞レースを席巻しているケイシーは、さしたる娯楽もない街で生きる労働者を見事に体現している。そのケイシーの静の演技に対して、出番は少ないが元妻役のミシェル・ウィリアムズが感情を吐露するシーンのインパクトは絶大。そして、本作における最大の発見は、全編を通してユーモアを提供するパトリック役のルーカス・ヘッジズだろう。前哨戦からすれば、最もオスカーに近いのはケイシーだが、作品賞ほかの受賞もあり得る圧巻の137分は、間違いなく今シーズンを代表する一本と言えるだろう。