ジャパンタイムズの一面を変えた、同紙初の女性執行役員 大門小百合

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働き続けるためにやむなくつくった「パートタイム・デスク」制度。記者やデスクに女性社員率が上がり、思った以上の変革が起きた。

一面記事は、新聞の顔である。ジャパンタイムズに女性デスクが増えたことで、そこに、ある変化が起きた。待機児童、子どもの貧困、介護といった生活に密着した社会問題が、大きく取り上げられるようになったのだ。そこには、長年のデスク業務を経て同紙初の女性執行役員となった大門小百合の功績が大きい。

デスクは、記者が書いた記事を精査し、編集するのが仕事だ。いわば記者、編集者の代表として、紙面構成の責任を担う。いくら記者がいいネタを見つけても、デスクの理解を得られなければ追いかけることができない。「こうして社会の問題は見過ごされることがある」と大門は言う。

例えば介護問題。女性に比べて自分ごととして捉える機会が少ないためか、男性デスクはなかなか取り上げたがらないそうだ。「今やらなくても」「先にこの経済ニュースを取材してこい」と言われ、中面に追いやられがちだという。

東日本大震災の時が顕著だった。犠牲者の数に報道が集中する中で、授乳する場所がない、生理用ナプキンが足りない、などの問題に光を当てたのは女性記者だった。女性記者には共感力が高く、当事者に寄り添うような取材を得意とする人が多いと、長年現場を見てきた大門は考えている。

デスクに新たな視点が加わったことは、予期せぬ効果もあった。男性記者の関心の幅が広がっているというのだ。養子縁組など、今まで深掘りしてこなかったテーマを追う記者も増えているという。「JKビジネスについて女子高生に取材し、彼女たちの状況を必死で伝えようとしている男性記者もいる」と、大門は語る。「世の中、男女は半数ずついるのだから、報道も両者の視点を持ってこそ」という信条が生きた紙面が、実現してきているのだ。

切実な思いが生んだパートタイム・デスク

今でこそ女性デスクが増えたジャパンタイムズだが、最初からそうだったわけではない。ネックとなっていたのは、デスク担当者のライフ・ワーク・バランスの取りづらさだ。それを変えたのが、他でもない大門なのである。

ジャパンタイムズは日本でもっとも歴史のある英字新聞だが、社員の数は150人弱ほどと新聞社としては少人数だ。デスクは各自1〜2ページを担当し、シフト制で回すが、人員に余裕はなく、ひとりでも抜けるとページに穴が開きかねない。大門が部長としてデスクを担当していた当時は、休日はおろか、昼も夜も関係なく仕事が舞い込んでくるようなシビアな環境だった。子育てとデスク業務の両立は難しく、多くの場合、家庭を持つ女性はデスク職から退く決断をする。

だが、大門は違った。業務体制を見直し、変えたのだ。まずは悩みのタネだったデスクのシフト。人を増やせないならと、急なシフト変更時には、ベテラン記者にデスクを担当してもらう「パートタイム・デスク」制度を導入した。

前代未聞のことだったが、大量の原稿を読むデスクの仕事は、記者たちの学びの場にもなり、皆、デスクの仕事を厭わず引き受けてくれた。ひとりが倒れたら、紙面が成立しなくなるという危うさも消えた。

結局、大門が機転を利かせつくった体制からは、男女ともが恩恵を受けた。「そんな高尚なものではなく、ただ、人の手を借りざるを得なかっただけ」と謙遜するが、この制度により多くの女性が「ママデスク」として大門に続くことになる。

これが、紙面の改革にも繋がったのは前述の通りである。

<Questions>
Q 仕事で一番つらかった経験は?
3.11の時。次々に困難な決断を迫られる中、娘の小学校入学準備も重なった。

Q 好きな言葉は?
上善如水。形がなくどんな器にもフィットする「水」のようにありたい。

Q 仕事をしていてよかったと思う瞬間は?
読者の方、世界中の人々から反応をいただいた時に、喜びを感じます。

Q 今後3年間で挑戦したいことは?
世の中の女性が、多様な考え、働き方を選べるようになるための活動。

大門小百合◎英字新聞社ジャパンタイムズ執行役員 編集・デジタル事業担当。上智大学外国語学部比較文化学科卒業後、ジャパンタイムズ入社。政治、経済担当の記者を経て、2006年より報道部長。13年より執行役員。00年、ハーバード大学のジャーナリストプログラム(ニーマンフェローシップ)に合格し1年留学。05年にはサウジアラビアの王立研究院に研究員として招聘される。著書に『ハーバードで語られる世界戦略』(光文社新書)など。

※フォーブス ジャパンは昨年12月19日、日本最大規模の女性アワード「JAPAN WOMEN AWARD 2016」を発表。”働きやすさ”ではなく”真の女性活躍”の促進・発信を目指す同アワードで、大門小百合氏は革新をもたらすリーダーとして「個人部門賞」を受賞した。