<イスラム過激派の銃撃にも負けなかった不屈の少女が、大学進学を控えた19歳の今、将来の夢と不安を語った>(写真:世界一有名な10代になった少女ももうすぐ大人の世界へ)

大学への進学と高校最後の試験の話になると、普段の自信あふれる口調が変化した。「えっと」という言葉が多くなり、神経質そうに笑いだした。

マララ・ユサフザイ(19)は、これまでにさまざまな経験をしてきた。イスラム過激派による銃撃、ノーベル平和賞受賞、国連本部での演説。世界で最も有名な10代の1人だが、今は大学進学を前に迷う普通の高校生だ。

昨年12月には、オックスフォード大学で最初に女子教育を始めたカレッジであるレディー・マーガレット・ホールの教授面接を受けた。「人生で一番厳しいインタビューだった。今でも怖い」と、ユサフザイは12月下旬、取材に応じバーミンガム公共図書館で言った。

希望はオックスフォードで哲学、政治、経済を勉強すること。イギリスの多くの有力政治家と同じコースだ。07年に暗殺された憧れの人、パキスタンのベナジル・ブット元首相も、この3つをレディー・マーガレット・ホールで学んだ。

波瀾万丈の人生を歩んできた彼女の不安そうな様子を見るのは、新鮮な経験だった。パキスタン北西部のスワト渓谷で、パキスタン・タリバン運動(TTP)の武装民兵が彼女を乗せたスクールバスに乗り込んできたのは12年10月。銃を手にした男は、マララ・ユサフザイはどこだと女学生に尋ねた。友人たちが彼女のほうを振り向くと、男は頭部に向けて発砲した。

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ユサフザイは当時15歳。パキスタン北部のイスラム過激派、特に彼らの女子教育弾圧を手厳しく批判し、既にある程度名の知れた存在だった。

この銃撃事件をきっかけに、彼女は世界的なセレブになった。数百万の人々が容体を気に掛け、回復を信じた。

幸運にも一命を取り留めたユサフザイは、公の場で発言を開始。事件にひるむことなく、女子教育の拡大を訴え続けた。「病院で目を覚ましたとき、頭はとてもクリアだった。この人生には目標があると確信した。私は第2の人生をもらったと思った。以前の私よりもっと大きな何かを成し遂げるために」

欧米のアイドルではなく

この第2の人生で、彼女は多くを成し遂げた。13年設立のマララ基金は、これまでに8400万ドルの援助を実施。ノーベル平和賞受賞に加え、自伝『わたしはマララ──教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(邦訳・学研マーケティング)も多くの賞に輝いた。世界の女性たちにとって、彼女はフェミニズムの象徴になった。

「女性の活動家から、私たちの権利のために立ち上がってほしいと頼まれました。でも、これからは女性たちが自分で声を上げるのです」と、ユサフザイは16歳の誕生日に国連本部の演説で言った(国連はこの日を「マララの日」に制定した)。

だが3年後、彼女は自分の問題の解決を迫られた。世界の人権運動の「子役スター」から、プロの活動家や政治家になる最善の方法は何か、という問題だ。

[2017.2. 7号掲載]

ミレン・ギッダ