バンクーバー・ダウンタウン入り口。貧困撲滅や子どもの可能性拡大などのスローガンが旗で掲げられている

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 トランプ米大統領のイスラム圏7カ国からの入国禁止決定を受けた、カナダのジャスティン・トルドゥー首相のツイートが急速に拡散されている。

「迫害やテロ、戦争から逃れてきた人たちへ。あなた方の信仰にかかわらず、カナダ人は皆さんを歓迎します。多様性が私たちの強みです」

 同じ北米の、ヨーロッパ移民が建立した国で、どうしてこうも対応が違うのか。カナダの首相はなぜそこまではっきり断言できるのか。そこには、それぞれの国の社会を規定するアイデンティティの決定的違いがある。

◆「るつぼ」の米国と「モザイク」のカナダの違い

 よく米国社会のことを「人種のるつぼ」(メルティング・ポット)と表現する。それに対し、多くのカナダ人はみずからの社会を「モザイク」だと言い、米国との違いを意識する。

「るつぼ」は、ひとつの鍋(=国)の中ですべての具材(=人種や民族など)が混ざり合ってひとつに溶け合うイメージだ(実情はともかく、建前として)。つまり、「融合すること」が米国的価値観の中心をなしている。そこでは、何にも増して「アメリカ的であること」が第一に求められる。

 価値観の共有がナショナリティの帰属意識を形成するのはカナダも同様なのだが、過度な同化を求めないのがカナダ流だ。人種の雑多さは米国に勝るとも劣らないが、それはみずからの出自の誇りを失わせるものではない。「それぞれの色のピース(=人種、民族、宗教など)を、他の色と混ぜ合わせるのではなく、互いにつながりあってひとつのモザイク画を構成する」というのが、カナダ人自身が考えるカナダ社会のイメージなのだ。

◆「世界で最も住みやすい街」コスモポリス・バンクーバー

 西海岸最大の都市であるバンクーバーを歩いてみると、その特徴がよく分かる。目抜き通りのグランビル・ストリートでは、多種多様な肌、髪、目の色が違う人たちとすれ違う。そこから少し足を延ばすと、北米有数の規模を誇るチャイナタウンをはじめ、インド系のインディアンタウンや、イタリア系のイタリアンタウンなど、様々なコミュニティがある。

 彼らは、互いが「良き隣人」であるために、出自や言語、宗教、文化などによって独自のコミュニティを形成しつつ、ダウンタウンでは皆が混在して社会生活を営んでいる。同じ出自の人たちとのつながりを大切にするが、週末にはピザを食べにイタリアンタウンに行ったり、調味料を仕入れにインディアンタウンに行ったりもする。

 そういうスタイルをとることで、自分のアイデンティティは失わず、他人のアイデンティティも尊重できる。無理に同化することもなく共生できる。そこに見られるコスモポリタンな街こそ、彼らが求める平和な社会の姿なのだ。バンクーバーが「世界で最も住みやすい街」と言われるのは、このことと決して無縁ではない。

 ちなみに、かつてそこにはジャパニーズタウンも存在したのだが、第二次大戦の煽りを受けて完全になくなってしまった。それは現在でもバンクーバーの「黒歴史」のひとつとして語り継がれている。

◆多様性こそ強い社会の源だと考えるカナダ人

 このように、バンクーバーは多様性を重要視する街だ。たとえば、性的マイノリティの祭典である世界最大級のレインボー・パレードを毎年開催していることにも、それがよく表れている。

 そもそも、性的マイノリティの存在感は以前から圧倒的だった。筆者が四半世紀前にカナダ屈指の名門・ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)に留学してまず驚いたのは、大学のサークルの中で最も存在感が強い学内団体のひとつがLGBTサークルだったことだ。日本ではまだ性的マイノリティに関してオープンに議論することすら難しかった時代の話である。

 今では、レインボー・パレードはもはやバンクーバーの「プライド」となっており、毎年多くの予算と人員が投入されている。もちろんバンクーバー人はそれに誇りを感じている。

 出自や人種、民族、宗教などは、すべての人に備わる「属性」である。同様に、性も人の属性であり、「モザイク」のひとつのピースと考えられる。その色の種類が多ければ多いほど、そして複雑であればあるほど、全体としてのモザイク画は一層美しくなる。自分の性的属性に関わらず、他の性的属性が多様であれば、自分が属する社会はより強くなると考えているのだ。

 トルドゥー首相がさも当たり前であるかのように「多様性が私たちの強み」とツイートしたのは、そういう背景があるのだ。

<文・写真/足立力也(コスタリカ研究者。著書に『丸腰国家〜軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略〜』など。コスタリカツアー(年1〜2回)では企画から通訳、ガイドも務める)>