国立情報学研究所教授・新井紀子氏

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■なぜ人工知能は東大に合格できないのか?(上)

 いずれ人工知能(AI)が人間の能力を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が訪れる、とまことしやかに語られる昨今。であればAIが東大に合格するなど簡単そうだが、挑戦してわかったのは、AIの弱点だった。プロジェクトを率いた新井紀子氏が明かす。

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 ロボット(AI)は東大に入れるか――。AIの東ロボくんが挑んできたプロジェクトに一区切りがついた。この5年間、毎年模擬試験を受け、偏差値も少しずつ高くなり、有名私大に合格できるレベルには達したが、東大合格レベルに届く見通しは立たないという。ある種の問題には対応できても、所詮AIには読み解けない問題が数多く残ることがわかったのだ。

国立情報学研究所教授・新井紀子氏

 むろん挑戦が無駄だったわけではない。新井教授によれば、浮き彫りになったのは近未来への意外な不安だったという。

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 人工知能(AI)には、できることとできないことがあると思っています。シンギュラリティは起きませんし、AIのおかげで人間が労働から解放されることもない。とはいえ今後、一定の仕事はAIが代替するようになるはずです。そのことをわかりやすく伝えるために「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトを始めたのです。

 事の始まりは2010年、私が『コンピュータが仕事を奪う』という本を書いたことです。国立情報学研究所(NII)には、画像処理や画像認識、音声認識や音声合成、自然言語処理、ロボティクスなど、今日AIとして一括りにされている分野の研究者が大勢います。09年当時、私は数学者としてこの人たちと話して、彼らの言うことが10%でも達成されれば、いまのホワイトカラーの仕事の半分程度はAIに代替されてもおかしくない、と思った。そこで1年かけて、そのことを本に書いたのです。

東ロボくんの成績推移

 実は、これは同様の予測としては世界で初めてのものでした。ところがこの本は書店で、ビジネス書ではなくSFの棚に置かれてしまった。10年にはまだ、日本人がだれもそんなことを考えなかったのです。しかし、私が書いたのは必ず訪れる未来像。日本人がAIに対して無策のままそういう状況に突入したらどうなるでしょうか。

 世界が今のまま続いていくと思っている教育界はもちろん、企業も政策も変わらない間に、お金もデータもAIを開発したところに集まってしまう。AIはどこでサービスをしてもインターネットを介して利益を得られるからです。日本の企業がそれに対応できなければ、買収または吸収されてしまう。サービスの対価として日本から吸い上げられたお金も、外国へ行ってしまいます。

■労働の二極化

 それでも労働は残ります。残るのはまず、AIを使いこなしてAIには不可能なことを実現する、高度なクリエイティビティ能力と重い責任を要する労働。残りは、KYすなわち空気が読めないAIにはできない労働。人間にしかできないことがあるので、それを低賃金で下働きさせる、という理由で残ります。

 つまり、今存在している仕事全体から真ん中部分がAIに奪われ、人間が担う労働は上と下とに二極化されると思います。結果、ただでさえ少子化なのに、失業と人手不足が同時に起こるという最悪のシナリオが現実になり、とくに高度なほうの仕事に就く人が不足するのではないか、と危惧を抱いたのです。

 AIには、実はたいしたことができませんが、データ分析や最適化はできます。つまり道具にすぎないけれど非常に高度な道具なので、AIには負えない責任を負いながら使いこなす人が不可欠です。ところが、このままではエネルギー問題を最適化したり、自動運転でリスクを分散したりするためにAIを使いこなす人がいなくなってしまうかもしれません。それは原発の説明書を読める人がいなくなるようなものです。

 そういうことを本に書いたのですが、だれも実用書だと思ってくれませんでした。そこで、毎年AIが勉強してそれなりの大学に入るようになったら、AIと人間の間になにが起こるのか、だれにでもわかるだろうと思ったのです。

■短文問題対策に500億語

 シンギュラリティに到達すれば全員が平等になれます。AIがあらゆる仕事を担い、人間は恋をしてダンスをして詩を作って暮らしましょう、というユートピアが訪れるというわけですが、私はそうはならないと予測しています。労働から解放された人間にはベーシックインカムを、と話す人もいますが、そんな状況が訪れるわけがない。そう思うのは、機械が意味を理解できない、ということがわかったからです。

 今のAIは、ビッグデータによる統計的手法を使って意味がわかったふりをしているだけで、本質的な意味はわかっていません。その証拠に、AIは何ギガとか何テラものデータを使いますが、人間は何ギガも何テラも見なくても意味を理解することができます。

「東ロボ」プロジェクトは5年間、各科目ごとにチームを作り、有名企業も含めて総がかりで対策してきました。私はその総括的なチームリーダーで、関わった延べ人数は100人くらいでしょうか。英語だけで30人、数学だけで20人はいます。当初からセンター試験模試では、順調に成績を上げていきましたが、予想通りでした。コツコツと努力を重ねた結果です。

 今年、東ロボくんが英語の短文問題を解けるように、英語チームが読ませた語数は500億語でした。短文問題とは「( ) front of」のように文章の1カ所が空欄で、該当する語を4択で答える問題と、文の順番を正しく並び替える整序問題で、その二つができるようになるために、文の数でいえば19億文勉強させた。それでようやく正答率が9割を超えたのですが、人間のやり方と明らかに違う。人間ならさすがに100文勉強すればわかります。

 AIが統計的に勉強して、わかっているようにふるまうためには、1文を解くのに500億もの単語が必要で、2文、3文、それに整序問題も解くとなると500億の掛け算になる。エッセイの問題なら500億のエッセイを読む必要がある。つまり、統計を使っても意味まではわかるようになりません。私が予想した通りで、だからシンギュラリティは来ないと思うのです。

■巷の「AI論」への疑問

 そもそもシンギュラリティに到達するという根拠がよくわかりません。全人類の脳のニューロンすべてを足したものより、コンピューターのチップひとつの容量のほうが大きくなる、とよく言われますが、なぜニューロンを足すという発想なのか。足したら論理的な帰結が導かれるという保証はなく、脳細胞の数で決まるという話自体に信憑性がありません。脳細胞の数は人間よりイルカのほうが多いという話もあります。それならイルカのほうが人間より賢いのでしょうか。

 計算処理が速ければいいのかどうかもよくわかりません。スーパーコンピューターの計算速度を競いだすと、横に原発を1基建てなければ電力が追いつかない、という話が中国で出ていますが、このように、AIをめぐって論理的に破綻していない議論は聞いたことがありません。今まで発達してきたのだから今後も発達する、という経験則にも疑問が残ります。たとえば人が移動する速度は、徒歩から馬車になり、自動車になり、ジェット機になりましたが、コンコルド以後は速くなっていません。

特別読物「なぜ人工知能は東大に合格できないのか――新井紀子(国立情報学研究所教授)」より

新井紀子(あらいのりこ)
1962年生まれ。一橋大学法学部卒、米・イリノイ大学大学院数学科修了。広島市立大学助手等を経て、2006年から現職。専門は数理論理学。主な著書に『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞出版社)。

「週刊新潮」2017年2月2日号 掲載