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現在、米国の貿易赤字相手国のトップスリーである中国、日本、ドイツに対するトランプ政権の貿易赤字削減要求が強まっており、特に、中国と日本に対しては、通貨安を誘導する為替政策を行っているとも、同大統領から批判されています。

この機会に、過去に為替政策に関してどのようなことが起きたか、その代表例である「プラザ合意」について、検証してみたいと思います。

○ロンドン駐在時に「プラザ合意」

1980年代半ば、日本の貿易収支は大幅に黒字になりましたが、一方で米国の貿易赤字は増えるばかりで、米国の不満は相当なものになりました。

そうした背景から、ニューヨークのホテルであるプラザホテルで、G5(先進5カ国財務相、中央銀行総裁会議)が開かれました。議題は、各国の貿易不均衡の是正でしたが、実質的には、為替調整による日米貿易不均衡是正をもくろむものでした。

なお、この合意については、前週、既にマーケットでは、まことしやかに伝わっておりました。当時、私はロンドンにいましたが、ニューヨークのチーフディーラーから、ロンドンのチーフディーラーに連絡がありました。

もちろん、私のような下っ端には、どんな話かは具体的にはわかりませんでしたが、柔和なロンドンのチーフディーラーの顔がこわばっていくのがわかりました。そして、電話の後、チーフディーラーが意を決してドル/円を売っていった姿は、今でも目に焼き付いています。

○10年も続いた為替調整

プラザ合意は、1985年9月22日の日曜日に合意され、翌日月曜は一日で、ドル/円は20円急落しました。政府・日銀は、ドル売り円買い介入を実施し、更に日銀は金利を高めに誘導し、円高を加速させました。

こうして、ドル/円が急落していく中でも、石油会社に代表される輸入企業は、以前より輸入には有利になった為替レートに飛びつき買っていましたが、その後のことを考えると時期尚早な決断でした。

当時、本邦の通貨当局が、ドル売り介入や円金利の高めにして、あえて同胞の犠牲を甘受したかといえば、やはり、日本の立場はまだまだ弱く、米国はじめ、G5各国の要求を、飲まざるを得なかったと言えます。

このプラザ合意の為替調整は、一過性のものではなく、何と10年間も続きました。

1985年のプラザ合意の当時のドル/円レートは、240円近辺でした。それが、10年後の1995年には、何と80円近辺まで下落しました。つまり、10年間で160円ものドル安円高になったわけです。最近のニュースで、ドル/円が1円ぐらい動いても大騒ぎするどころの話ではありませんでした。

もちろん、この超円高にすべての企業が耐えきれたわけではありませんが、これに耐えた企業の努力には頭が下がる思いです。当時、トヨタでは、乾いた雑巾を絞るようにして、経費節減努力をしたと言われていました。

しかし、この160円もの円高にも関わらず、日本の貿易黒字は横ばいを続け、通貨調整による貿易不均衡の是正の難しさを証明する形となりました。

したがいまして、トランプ大統領からの為替政策の避難と通貨調整を匂わす発言には抵抗感があります。やはり、米国の貿易赤字体質を改善する自助努力がない限り、貿易赤字はなくならないものと思います。

○プラザ合意後、ディーラーの気質は変化

なお、プラザ合意後の下げ続けた相場によって、ディーラーの気質は変わりました。要するに、上がれば絶好の売り場、下がればこの水準で売れる最後のチャンス、つまり、上がっても下がっても売ることしか考えられないディーラーが続出しました。

10年がたち、相場は上がったり下がったりのレンジ相場となったことで、ドル売り先行のディーラーの多くが淘汰されていきました。

やはり、どんなマーケットにも対応できる全天候型のディーラーでなくては、長生きはできないという教訓にしたいと思います。

○執筆者プロフィール : 水上 紀行(みずかみ のりゆき)

バーニャ マーケット フォーカスト代表。1978年三和銀行(現、三菱東京UFJ銀行)入行。1983年よりロンドン、東京、ニューヨークで為替ディーラーとして活躍。 東京外国為替市場で「三和の水上」の名を轟かす。1995年より在日外銀に於いて為替ディーラー及び外国為替部長として要職を経て、現在、外国為替ストラテジストとして広く活躍中。長年の経験と知識に基づく精度の高い相場予測には定評がある。なお、長年FXに携わって得た経験と知識をもとにした初の著書『ガッツリ稼いで図太く生き残る! FX』が2016年1月21日に発売される。詳しくはこちら。

(ストラテジスト 水上紀行)