よく「失恋の痛手は、つきあった期間の1/3の時間が過ぎれば、どうにか収まる」と言われます。たとえば彼と3年つきあって別れたのであれば、1年間どうにか、しくしくと痛む気持ちを我慢していればOKということです。
ほかにも、「仕事に打ち込むといい」なんて方法も有名ですが、仕事がそんなに好きではない女子は、この方法が使えなかったりしますよね。
今回は、失恋の痛手から立ち直る方法についてご紹介します。
さっそく見ていきましょう!


1.「もっとお金を稼ぐ」


結局のところ、人が、失恋という暗い世界から、新しい世界に魅力を感じて「失恋して心が痛いけど、新しい世界に行ってみようか」と思えるのって、身も蓋もない言い方ですが、お金がそう思わせてくれることも多々あるのです。
家賃7万円で月収15万円だと、お金の力を活用して新しい世界に行くなんて、ほぼ無理でしょう。たとえば20万円のダウンコートを着ると、ふつうは「新しい女」になったような気になるかと思いますが、月収15万円だと、たぶん買えないですよね。
だからたとえば、今より仕事量を増やしてもっと稼ぐ努力をするとか、
これは極端な話ですが、Wワークが可能であれば、Wワークして、今までの倍くらい稼ぐ……なんてことが失恋から立ち直るために効果的だったりします。
お金が、あなたに新しい世界を見せてくれます。世の中、捨てたもんじゃないと思わせてくれます。稼ぐ過程で出会った人が、あなたの新しい人生の味方になってくれることがあるはずです。

この方法のコツは?


ただし、だからと言って稼ぎすぎないことがポイント。あまりにも仕事、仕事と稼ぎすぎると、お金の魔力に負けることのほうが多く、結果的に「お金しか信用しない女」になっちゃたり……。それはきっと、あなたが望む生き方ではないですよね? あくまで"失恋から立ち直るため"という目的だけは失わないようにしましょう。



2. 「WANT」をしてみる


たとえば失恋を機に小説を書きたくなって、実際に小説を書いた女子がいます。小説を書くという行為の中には、「自己治癒」が含まれていなくもないので、まぁこういうのも、ひとつの「失恋からの立ち直り方」ではあるのでしょう。
ほかにも、なんでもいいから「やりたいと思うことをやる」といいと思います。彼とつきあっていたときは朝までお酒を飲めなかったけど、朝まで飲んでやろうとか……なんでもいいので「WANT」をやってみることです。

この方法のコツは?


世の中には「完璧な恋愛」なんてないので、彼と別れてからやりたいことがいくつも浮かんでくるというのは、ごく当たり前のことだろうと思います(そもそも「完璧な恋愛」って、どんな恋愛なのか、という定義はさておき、です)。
だから、失恋してひとりになったときこそ、自分の気持ちに正直に暮らしてみるといいのではないでしょうか?
「WANT」がわからない人だって、そのうち心の泉の下のほうから、なにかが沸き上がってきますから、しばし待っていればいいと思います。
焦らないことです。



3. 「強い女」になりたいという発想を捨てる


わりとよく、女流作家さんが「強い女」というワードを、その作品の中に出してきます。
が、そもそも「強い女」って、どういう女子のことなのか、考えたこと、ありますか?
失恋しても心が痛まない女子のことを「強い女」というのであれば、それは「心が超鈍い、鈍感な女」の言い間違いでは?
あまりきれいな言い方ができず申し訳ないのですが、失恋女子は、二言目には「もっと強くなりたい」と言う傾向にあると思います。
が、強い女なんて、ふつうこの世にはいない、ということを、失恋を機に認識してみてはいかがでしょうか?

この方法のコツは?


一般的に言って「強い」人とは、なにかを信じている人のことです。
たとえば日本で宗教というと、なにやら非常に怪しいイメージがついてまわりますが、世界のスタンダードは「神様を信じていることによって、強く生きていられる」という考え方です。たとえば敬虔なクリスチャンとかって、そういう人のことです。
日本式に無難に言えば「神社を信じてみては?」ということは言えると思います。神社(神道)は宗教ではありませんが、誰もが知っているように、多くの日本人の心の支えになっています。
宗教に限らず、失恋を機に、自分はなにを信じて生きているのか、という問いの答えを考えるというのも、大切な時間の過ごし方ではないかと思います。



いかがでしょうか。
失恋の考え方として「神様が与えてくれた試練」というものがあります。たとえば有名歌手の歌詞に、そのようなことが書かれてあったと記憶しています。
失恋を機に、誰かとしたいだけエッチするのも結構。やけ食いするのも結構。
でも「この失恋がわたしに知らせてくれているもの」を、じっと考えるというのも、非常に重要なのです。
失恋ほど、人にものを考えさせてくれる出来事は、ほかにあまりないからです(あるとすれば破産するときとか、そういう「超」がつく究極の状況くらいではないかと思います)。
(ひとみしょう)