ひとり旅とカメラをこよなく愛する編集者兼ライターの宇佐美里圭(うさみ・りか)さんの旅エッセイも、今回が最終回。世界中を見てきた宇佐美さんが、最後に選んだ場所はTOKYOでした。

夜のひとり歩きができる貴重な場所

私に走る習慣はありませんが、歩くのは好きです。「山手線の内側ならだいたい徒歩圏内」と思っているふしがあって、終電がなくなっても、家まで歩いて1時間くらいなら割と平気で歩いてしまいます(だからハイヒールは履けない)。

途中でガソリンスタンド(コンビニ)に寄って、ハイボール(濃いめ)を仕入れ、ちびちび飲みながら歩く楽しさよ。東京バンザイ。

つくづく思いますが、東京のすばらしいところの一つは、「好きな時間に、好きな場所を自由に歩けること」。当たり前すぎてつい忘れてしまいますが、この当たり前が世界では意外と難しい。「この時間はだめ」「この場所はだめ」「女一人はだめ」とけっこう制約があります。もちろん夜中の一人歩きは、日本でも安全とは言えませんが、他の国と比べると雲泥の差でしょう。

そんなわけで、東京では昼も夜もよく歩きます。考えごとをしている時、心が疲れているときは特に歩きます。とりあえず歩いると、何かに出会い、ぱっと視点が変わるから。下を向いてトボトボ歩いている時でさえ、かわいらしい“ハート”を見つけてほんわかすることも……。

ところで昔、何かの雑誌の対談で、解剖学者の三木成夫先生について、画家の堀越千秋さんと詩人の小川英晴さんが対談をしていました。その中で「なぜ人間は2本の足で立ったか」というテーマについてこんな話をしていました。

「(三木)先生が『なぜ人間が2本の足で立ったかわかるか』と僕に問いかけたことがありました。『今の学者はこれこれこんなふうに言っているけれど、それは心が目覚めたから2本の足で立ったのだよ。遠くの美しい風景を見ようとして立ったのだ』ということをおっしゃった」(小川英晴さん)
 <中略>
「かならず子どもが満一歳になると、人差し指を出して何かを指すというんですよね。サルとかチンパンジーは満一歳になっても指はささないというんですね。これは眼差しだよね。これゆえに立ったんだよね」(堀越千秋さん)

このやりとりが、なぜだかずっと心に残っています。心が目覚めたから、人間は立ち上がった。眼差しがあったから、人間は立ち上がった。街を歩く時、旅に出る時、いつもこの言葉を思い出します。

美しいものを見たからといって、お金がもうかるわけでもない。得するわけでもない。ただ静かなうれしさがこみ上げるだけ。なぜだか幸せな気持ちになるだけ。でも、それ以上に何を人生に求めようか? まだ見ぬ風景を求め、どんどん前へ歩かなきゃ。そんなふうに思う今日この頃です。

宇佐美さんのエッセイは今回が最終回となります。みなさま、ご愛読ありがとうございました。