ファン・ペルシー大歓迎!「Jリーグでプレーしたオランダ代表」

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先日、サンフレッチェ広島がオランダ代表FWファン・ペルシー(フェネルバフチェ)に接触しているとの情報がトルコから飛び込んできた。

既に広島の関係者は「あり得ない」と一笑に付しているが、今オフは神戸がポドルスキの獲得に近づくなど例年にはない動きがあり、 もしオランダ代表史上最多得点者(101試合50得点)の彼が本当にやってくることになれば、Jリーグ史に残るビッグニュースとなるだろう。

そこで、今回は「過去にJリーグでプレーしたオランダ代表の選手」をご紹介しよう。

ヘニー・マイヤー

オランダ代表
1試合0得点(1987年)

ヴェルディ川崎
11試合2得点(1993年)

オランダの1部リーグで5度も二桁得点を達成したストライカー。ローダ時代の1986-87シーズンに19得点を記録し、オランダ代表でデビューした。

そして、Jリーグ初年度の1993年にヴェルディ川崎へ加入。5月15日に行われた横浜マリノスとの開幕戦で「Jリーグ第一号ゴール」となる豪快なシュートを突き刺した。

いきなり強烈なインパクトを残したマイヤーだったが、シーズンを通しては活躍できず1年で退団している。

ヘラルト・ファネンブルグ

オランダ代表
42試合1得点(1982-1992年)

ジュビロ磐田
86試合14得点(1993-1996年)

過去Jリーグでプレーしたオランダ人の中で、最も実績のある選手といえばファネンブルグだろう。

名門アヤックスでデビューし、その宿敵PSVで黄金期を築いた彼は1986、1990年ワールドカップに出場するなど国際レベルで活躍したMFだった。

日本にはハンス・オフトに誘われ、J加入を翌年に控えるジュビロ磐田へ加入。当時の大物外国人はキャリアの晩年にやってくる選手がほとんどであったが、彼は30手前とまさに脂が乗っている時期であり、格の違いを見せつけた。

ちなみにオランダ語の発音では「ファネンブルフ」に近い。

ピーター・ハウストラ

オランダ代表
8試合0得点(1988-1991年)

サンフレッチェ広島
63試合13得点(1995-1996年)

フローニンゲンでデビューした後、トゥウェンテやスコットランドの名門レンジャーズなどで活躍。その時期にオランダ代表に招集されたが、1990年ワールドカップは有力な候補でありながら怪我で逃している。

その後、ビム・ヤンセン監督が指揮するサンフレッチェ広島で2季プレー。現役引退後は指導者となり、2016年1月、福島県社会人サッカーリーグ2部のいわきFC監督に就任した。

10戦全勝でクラブを1部昇格に導いたが、フロントとの方向性の違いにより1年で退任。オランダのインタビューでは「もっと高いレベルでやりたい」と語っていた。

ジョン・ファン・ルーン

オランダ代表
7試合1得点(1985-1990年) 

サンフレッチェ広島
36試合9得点(1995年)

地元ユトレヒトでデビューし、アヤックス、フェイエノールトなどで活躍した長身ストライカー。リーグ通算のゴール数は100を超える。

オランダ代表には1985年にデビューし、1990年ワールドカップではレオ・ベーンハッカー率いるチームに招集され1試合に出場した。

1995年にはハウストラと同じくビム・ヤンセン監督の誘いでサンフレッチェ広島に加入。同年7月1日の磐田戦でハットトリックを達成するなど、1シーズン36試合9得点を記録した。

ハンス・ヒルハウス

オランダ代表
9試合2得点(1987-1994年)

ガンバ大阪
60試合28得点(1995-1996年)

1990年のワールドカップにオランダ代表として出場したヒルハウス。

彼はあのルート・フリットがミランへ移籍した際の大金によってPSVに買われ、そのPSVでは初年度に二桁ゴールを記録したものの、今度はロマーリオの加入でポジションを失ったという逸話を持っている。

そんな“超大物”の名前が出てくることから分かるように実力は確かで、ガンバでの初年度には20得点を記録した。

ピーター・ボス

オランダ代表
8試合0得点(1991-1995年)

ジェフ市原
47試合3得点(1996-1997、1999年)

闘争心をみなぎらせたドゥンガタイプの選手で、1990年代にフェイエノールトの屋台骨として活躍。同時期にオランダ代表にも招集された。

晩年にジェフ市原(当時)に加入。一度は退団し欧州へ戻ったものの、1999年に市原へ復帰し現役最後のシーズンを過ごしている。

指導者としても成功しており、昨夏、フランク・デ・ブール監督の後任としてアヤックスの指揮官に就任した。

リチャード・ビチュヘ

オランダ代表
31試合1得点(1990-2000年)

大分トリニータ
9試合0得点(2004年)

1990年ワールドカップ、1996年の欧州選手権に出場したオランダ代表。バルセロナ、ボルドー、アヤックスなどでプレーした超一級品のMFで、左足は質の高いキックを持っていた。

アマチュアチームADO20でプレーしていたところを大分入り。しかし、日本ではファールの判定の違いからカードをよくもらい実力を発揮できなかった。