元JFA会長の岡野俊一郎氏が肺がんのため死去…享年85歳

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▽日本サッカー協会(JFA)は3日、第9代会長を務め、現在は相談役だった岡野俊一郎氏が肺がんのために逝去したことを発表した。85歳だった。

▽JFAの発表によると、岡野氏は2日の22時56分に都内の病院で亡くなったとのことだ。なお、故人の遺志により、通夜、葬儀は近親者のみで執り行うこととなる。

▽岡野氏は東京都出身で、東京大学を卒業。1962年から日本代表のコーチを務めると、1964年の東京オリンピックではベスト8、1968年のメキシコ・オリンピックでは3位に導くなど功績を残した。

▽1970年から71年は日本代表監督を務め、1974年にJFA理事に就任。同時に、日本オリンピック委員会(JOC)の常任理事にも就任し、サッカーだけでなく日本のスポーツ界に影響を与えた。

▽1987年にJFA副会長に就任すると、1990年には国際オリンピック委員会(IOC)の委員に就任し、1998年の長野オリンピックを招致。1995年にはワールドカップ組織委員会委員に就任すると、1998年にJFA第9代会長に就任。2002年には日韓ワールドカップを成功に導いた。

▽岡野氏の逝去に際し、JFAの田嶋幸三会長や川淵三郎最高顧問、小倉純二最高顧問、大仁邦彌名誉会長がお悔やみの言葉を残している。

■田嶋幸三JFA会長

「昨年11月末に岡野さんからご連絡をいただき、入院されている病院に行きました。これまでのサッカーの話やこれからのこと、本当に色々なお話を伺いましたが、ご自分の死期を意識されているような話しぶりで、一抹の寂しさを感じました」

「若い頃、サッカーの勉強をしていると、必ず、岡野さんが訳された文献にあたり、岡野さんのお名前を見る度、日本サッカーの国際的な窓口であり、広く世界に扉を開いている方だと思っていました。今頃、クラマーさん、長沼さん、平木

さんと天国で会っているのかもしれません。心からのご冥福をお祈りします」

■川淵三郎JFA最高顧問

「東京オリンピック、メキシコオリンピックともにクラマーさんの教えは全て岡野さんを通じて、我々選手に伝えられました。そういう意味で、“日本サッカーの伝道師"と言えるでしょう。サッカー以外にもIOCやJOCの要職を務められ、また、教育にも携わるなど幅広く活動されました。日本サッカーの誇りというべき方でした。謹んでご冥福をお祈りします」

■小倉純二JFA最高顧問

「デッドマール・クラマーさんを招へいしたときから、岡野さんは長沼健さん、平木隆三さんとタッグを組み、日本サッカーの躍進に力を尽くされました。JSLの創設にも携わられたわけですが、JSLがなかったらJリーグもできなかったわけで、岡野さんは、まさに日本サッカーの黎明期を支え、日本サッカーの基礎を築いた偉大な方です。心からの感謝を申し上げます」

■大仁邦彌JFA名誉会長

「メキシコ大会後にスタートした『ダイヤモンドサッカー』は岡野さんの代名詞であり、サッカーの普及に大きく貢献しました。岡野さんの後を引き継ぐ際、岡野さんの解説があまりに評判がよかったため、大きな重圧を感じましたが、岡野さんの後を継ぐことができたことは光栄でした。日本サッカーにとってかけがえのない方でした。ご冥福をお祈りします」