ラグビーの取材へ行くと、サッカーについて考えさせられる。
 
 どちらの代表チームも、W杯で結果を残すことを目標にしている。個人的にはどうしてもサッカーと比較をしてしまうのだが、そのたびにラグビー選手のフィジカルとメンタルに驚きを覚え、彼らのひたむきさに胸を打たれる。
 
 身体のぶつかり合いが前提になっているとはいえ、ラグビー場では肉体の軋む音がスタンドまで届く。ボールの奪い合いで猛烈なタックルをやり取りし、巨体に押し潰されることもある選手たちは、どれほどの衝撃を感じ、どれぐらいのダメージを被るのだろう。僕にはまるで想像ができない。
 
 40分ハーフという時間でフィジカルコンタクトを繰り返しながら、ラグビー選手はプレーを止めない。相手の反則をアピールすることも、時間稼ぎをすることもない。相手のタックルでピッチに叩きつけられ、身体のどこかに痛みを感じても、できる限りすぐに立ち上がり、ゲームへ戻っていく。1月29日に行なわれた日本選手権の決勝では、脳震盪を起こしてもなおプレーを続けようとする選手がいた。
  
 日本選手権の決勝だけでなく、トップリーグのゲームでも、スーパーラグビーでも、相手の肉体を粉砕するようなフィジカルコンタクトが繰り出される。選手たちはそれを当然のものとして、黙々とボールを追いかける。

 スポーツにマリーシアは必要だ、と僕は考えている。ゲームを優位に進めるため、勝利を引き寄せるための駆け引きは、あってもいい。

 ラグビーにも駆け引きはある。ただ、マリーシアのなかでも嫌悪感を抱かれる意図的な時間稼ぎは皆無だ。ラグビーというゲームには、そういう種類のマリーシアが入り込みにくいのだろうが、そもそも選手の矜持がはね付けている気がする。それはまた、フィジカル的な耐性を磨くことにもつながっている。

 イングランドのFAカップ4回戦で、チャンピオンシップのブレントフォードがチェルシーと対戦した。2部相当のカテゴリーに属するクラブが、プレミアリーグで首位を快走するメガクラブに挑んだわけである。

 無名の監督が率いる無名の集団が、チェルシーを上回る要素は見当たらない。ブレントフォードにもできることがあるとすれば、ハードワークと呼ばれるものだっただろう。

 身体のぶつかり合いを嫌わない。競り合いに果敢に挑む。抜かれても追いかける。足を止めずにボールに食らいつく──どれも、難しいことではない。誰にでもできることだ。しかし、やり続けるのは簡単ではない。リードをしているゲームや同点の時間帯ならともかく、1点、2点と点差を広げられていくなかで、ハードワークし続けるのはメンタルの強い支えが不可欠だ。

 前半のうちに2失点したブレントフォードは、後半にも2つのゴールを許した。ジャイアントキリングの夢は早々に散り、相手ゴールへ迫ることもままならないなかで、ブレントフォードの選手たちはハードワークを貫いた。時間稼ぎもなく、質の悪い反則もなく、愚直で武骨なサッカーでチェルシーにぶつかり、何もできずに散った。

 それこそが、ブレントフォードが得た財産なのかもしれない。

 マリーシアを駆使してチェルシーにすがりついても、自分たちは何ができて何ができないのかを正確に測れなくなってしまう。中長期的な視野に立つと、自分たちの利益にならない。ブレントフォードは正しい負け方をした、と感じた。

 マリーシアという概念を寄せつけないラグビーは、自分たちの足元となる国内リーグから他者との比較を積み上げている。自分の力を等身大ではかっている。

 Jリーグはどうだろう。プレイングタイムを増やす、走行距離を伸ばす、といった取り組みが、数年前から進められている。その一方で、接触プレーにおける力強さには物足りなさがあり、ファウルを誘う意図的な転倒もある。

 それらはマリーシアの一部であり、勝つための駆け引きとして理解されているかもしれない。ただ、サッカーの純粋な追求によって競技力を上げていくことに、力を注ぐことも忘れてほしくないのである。