「ドイツが愛した日本人」に出演した佐々木蔵之介/(C)YTV

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ドイツで活躍した日本人医師・肥沼信次の功績に迫る「ドイツが愛した日本人〜佐々木蔵之介が巡る、ある医師の物語〜」が、2月5日(日)に日本テレビ系で放送される。今回、番組に出演した佐々木蔵之介が会見に登場。肥沼の偉業やドイツロケの感想、番組の見どころなどについて語った。

【写真を見る】佐々木蔵之介は、当時の状況を描いた舞台に出演した経験から、強い思い入れを持ちドイツを旅したことを明かす/(C)YTV

海外で功績を残しながらも、日本ではあまり知られていない日本人にスポットを当てたドキュメンタリー特番の第2弾。佐々木がドイツに赴き、第二次世界大戦時のドイツで時代に翻弄(ほんろう)されながらも、自らの命と引き換えにヴリーツェンの人々を病から救った日本人医師・肥沼信次の足跡をたどる。

ノーベル賞受賞したアルベルト・アインシュタインに憧れた肥沼が、放射線医学の研究者としてドイツに留学したのは1937年。名門・フンボルト大学で懸命に学んだ肥沼は、アジア人初の教授資格を得るかと思われたが、1939年に開戦した第二次世界大戦の戦況が悪化し、その栄誉も戦争の混乱に消えることに。

現地の大使館から日本人に帰国を促す指示が出る中、肥沼はドイツに残ることを決断。そして、たどり着いたのはポーランドとの国境に近い古都・ヴリーツェンだった。

この街では「発疹チフス」という伝染病が猛威を振るっていた。戦火の中で十分な薬もない中、肥沼はチフスに苦しむ人々の治療に当たり、今も彼が救った命はヴリーツェンで紡がれている。番組では、再現VTRを交えて肥沼の功績をたどっていく。

佐々木が同番組の出演オファーを受けたのは'16年の秋ごろ。ナチス政権下のドイツの強制収容所を描いた舞台「ベント」に出演した直後だったという。

佐々木は「(ナチスに迫害される6000人のユダヤ人を救った外交官)杉原千畝さんのことは映画にもなっていたので知っていましたが、肥沼信次さんのことは存じ上げていませんでした。

今回のお話をいただいたのは、『ベント』という舞台を終わった直後でした。そういうご縁もあって、肥沼さんの足跡はぜひたどってみたいし、とても興味があったので、すぐに引き受けました。

ドイツの方々は、肥沼さんのことを忘れずにメモリアルとしてお墓を作り、“肥沼杯”という柔道大会をやり、日本人に感謝したという思いをちゃんと残してくださっている。そのことに感銘を受けました。

僕は表現者として、こういう偉業を成し遂げた方を紹介する立場にあるのではないかと思ったので、この仕事を受けさせていただきました」と、運命的なものを感じて引き受けたことを明かした。

実際に肥沼の生涯に触れ、佐々木は「彼は研究者だったんですけど、最終的には人の命を助ける。日本に帰れば、それなりの地位もあったと思うんですけど、ドイツに残った。彼は戦火、ライフラインもないボロボロの所、人がバタバタ死んでいく中に入っていって、本当に命を賭して人々を救ったんです。

そして、彼は半年後に亡くなりました。つまり、(ヴリーツェンに来て)半年しか生きられなかったんです。ドイツの人たちは彼に感謝してお墓を作ったんですけど、東西を隔てるベルリンの壁ができてしまい、社会主義の下ではそんな日本人がいたということが埋もれてしまった。

その後、ベルリンの壁が崩壊したことで徐々に情報が出てきた。だから亡くなって43年もたって('89年に)分かったんです。同じ日本人として、とても誇りに思います。

自分に何ができるか分からないですけど、今の僕の務めは、そういう方がいらっしゃったことをお伝えすることなのかなと思いました。ぜひ多くの方にこういう人がいたことを知ってほしいと思っています」と訴えた。

ドイツロケは昨年12月14日から19日にかけて行われ、佐々木はドイツの歴史、肥沼の足跡をたどり、ヴリーツェンやブランデンブルク門、ベルリンの壁などを訪れた。ヴリーツェンでは、肥沼に祖父の命を救ってもらった少年と出会う。

佐々木は「学校で『僕のおじいちゃんは肥沼さんに助けてもらったんです』という少年に出会いました。彼のおじいさんは、『お酒(ドイツの焼酎)に卵を入れて飲みなさい』と言われたそうです。まさに日本の玉子酒じゃないですか…。お薬ももらったけど、『それを飲んで元気になりなさい』って…。

彼が研究者としてではなく、最後は医者として命を賭して、そこにいた理由は何なのか。なかなかできることではない。肥沼さんは前年(1944年7月)に医者だった父を亡くされ、みとることもできなかったそうです。

やっぱり研究者でもあるんですけど、開業医の長男として生まれ、苦しんでいる人々を助けたかったのではと私は思っています」と、肥沼の生きざまに大いに感銘を受けたことを明かした。

今回の旅で佐々木が特に印象に残っているのはザクセンハウゼン強制収容所。舞台「ベント」で同性愛者として強制収容された囚人役を演じた佐々木は「僕も8、9月にダッハウ強制収容所に入れられる舞台をやっていたので…。

ザクセンハウゼン強制収容所はいろんな収容所に責任者を送り出すための司令塔。とても印象的だったのは壁と鉄条網があって、そこに電気が流れていて、労働している時は絶対に帽子をかぶっていないといけないんですけど、看守が囚人の帽子を壁に向かって投げるんです。

『取りに行け』『帽子がないとダメですか?』『ダメだ、取りに行け』って…。でも、壁に近づいたら逃亡とみなされて撃たれるんですよ。帽子を取りに行っても感電死。それを舞台でやっていたんですけど、まさにそれが残っていて、なんて言っていいのか…。震えました。

早く帰らないといけないのに、いつまでも資料館にいて、写真を撮ったり、説明を読んだりしていました」と実際の場所に立ち、いろいろ考えさせられたことを明かす。

プライベートでもドイツを訪れたことがある佐々木。ドイツの印象について「ドイツ人はことごとく日本人に似ている気がします。時間をきっちり守りますし、とても親切です。

それから街がきれいですね。公園もお墓も各家庭もクリスマスの時期だったのもありますが、とても美しかった。ものすごくきれいにされてましたね。すごくドイツが好きになりました」と今回の旅でも好印象だったことを明かす。

タイトなスケジュールのロケだったが、佐々木は「カイザー・ヴィルヘルム記念教会のクリスマスマーケットで今、ベルリンではやっているカレーソーセージをおいしくいただきました。

10月にオクトーバーフェストに行く予定だったんですけど、ちょっと行けなくて、そのリベンジで持つのさえ重い1リットルのジョッキもいきましたね。前回、ミュンヘンに行った時に食べた白ソーセージもまたいただきました」と、食事の時間はつかの間の休息を過ごせた様子。

そんな今回のロケだが、一歩間違えればテロに巻き込まれていたかもしれない状況だった。昨年12月19日、カイザー・ヴィルヘルム記念教会近くのクリスマスマーケットに大型トラックが突っ込むテロ事件が発生。佐々木たちがこのクリスマスマーケットを取材したのは、テロのわずか2日前だった。

佐々木は「クリスマスマーケットをあちこちでやっていて、本当にきれいなんですよ。マーケットを取材した日の夜、日本の大使館に行きまして、お話をさせていただいた。その時に『人混みは気を付けて』という話もして、その翌々日ですね。

ブランデンブルク門で最後のカットを撮って、夜の食事に行った時にコーディネーターが『あっ、テロがあった』と…。『あそこだ。どういうことだ』と…。翌日、帰路のフライトはお昼出発だったので、朝、起きてもう一度そこに行きました。警察、中継車が来ていて、各国からの報道陣もいっぱいいました。

あんなに楽しかった所でこんな残念な事件が起きるなんて…。なんでこんなことで人の命が…と思いました。悔しいです」と振り返った。命の尊さを考えさせられる出来事だったという。

最後に佐々木は、「肥沼さんはドイツの子供に薬をあげて、お母さんに『この子が声を出したら食べたいものを与えてください』って…。肥沼さんは子供が生き返るたびに『また一つ、小さな命が救われた』って口癖のように言っていて、小さな命をものすごく大切にしていた。

そして、現地の人たちは肥沼さんのお墓をずっときれいにして守り続けている。僕がここで何か言うことでもないですけど、番組を見ていただいたら、命の大切さ、命の尊さは感じていただけるのではないだろうかと思います」と視聴者へのメッセージを語った。