2016年10月14日(金) 午後6時

女社長、家族(母と娘)に告知する

乳がんの告知を受け、とりあえず外食をしようと自宅に電話した。電話に出たばーば(実母)は、結果を聞いて予想通り慌てふためいた。「どうしよう、どうしよう」と。

「あのね、今は乳がんでは死なないし、本当に大丈夫だから。それより、今日は外食にするから娘たちに近所のいつもの店で6時半に待ち合わせって言っておいてくれる?」

「どうしよう、どうするの?」「ママが死んじゃったら子供たちどうするの?」と、ばーばは私の話を聞いてるのか聞いていないのか。

「大丈夫。手術したら問題ない病気だから。子どもたちにまだ言わないでね。私から言うから」

いろいろこじらせていて、心配性で慌て者の母。彼女を安心させるための嘘を子どもの頃からどれだけついただろうか? 本当は手術してみないと解らないものだらけだけれど、今の医療の進歩と乳がんの生存率などをまくし立て「お願いね!」と言って電話を切った。

はたして、家の近所の和食屋さんに行くと、テンパったばーばに「ママが乳がんで大変なの!」とあっさり告知された娘二人が、どよーんとそこに座っているのだった。

想定内とは言え、せめて4歳の次女には私から、彼女が解るように、心配させないように説明したかったと後悔が止まらない。しかし、80歳という年齢のばーばに、子育てを全面的に手伝ってくれている高齢の実母に、新たな心配を投下してしまったのは私だ。

私が席に着くなり「ママ、しむ? ママ、しむの?」と、涙をぬぐう次女。長女も、「何も考えられない。どうなるの? ママ、大丈夫なの?」と、長女にしては珍しく気を弱くしている。

私は、死なないこと、手術すれば大丈夫なことを滾々(こんこん)と二人に説明した。そして、2週間入院をしなければならないので、今回のことを機に二人に成長してほしいこと、おばあちゃんを困らせたりしない、自分でできることは自分ですること。そして、甘えたくなったらいつでも病院に来れるということも。

私の説明を聞いて安心したのか、二人は元気を取り戻し、もりもりとお夕飯を平らげた。
そして、

長女「私も頑張るから、ママも頑張って」
次女「ひびきもがんばる!ままがんばって!」

と、エールをもらったのだった。

元気に食べる二人

2016年10月14日(金) 午後11時

女社長、夫に説明する

夜は夫へ説明しなければならなかった。子供二人を9時に寝かしつけてから2時間後に夫が帰宅。すでに検査結果が出る前に夫には、「多分7、8割方乳がんだと思う。で、いろいろ考えた結果、切って済むなら全摘出したいと思っている。その後再建するけど」という希望も伝え済みだった。

何故なら、夫は人一倍“不自然が嫌いな男”なのだ。かつてモデル業界にもいた彼は、整形や豊胸が日常茶飯事だったせいか、その類のことに異常な嫌悪を示す。一緒にテレビを見ていても「あ、この女優整形した!」と、同性の私でも解らないような小さな変化も見逃さない整形Gメンだ。

また、あれは5年前。次女の妊娠中に私にも「幻の巨乳期間」があったのだが、浮かれて自慢した私に夫は「確かに大きいけど……風情がない」とにべもなかった。

風情ってなんだ!

確かに私の非妊娠時のバストは「詫び寂び」が漂ってしまうサイズではあるし、長女の授乳後より「小さいのに垂れやがった」という趣のある形状をしているのであるが、妻のおっぱいに風情を求める男、それが夫なのである。よく解らないが。

私からすると、別におっぱいを丸出しにして生活するわけでもないし、新婚時のような「ラブラブな意味」での心配でもなく、どちらかと言えば「あのパジャマの下に人工物が!」と、共に生活する夫に生理的嫌悪感を抱かれるのが一番の懸念事項であった。特に、告知を受けた内容では、どうやら乳首も失うことになるらしいので、乳首も1年近くかけて再建しなければならない。夫にしてみたらなかなかの人造人間っぷりであろう。

帰宅した夫には、今の時点で解っていることと解らないこと、手術(外科と形成)の方向性を正直に伝えた。思いのほか、おっぱい形成の話にはまったく食いつかず、「再発率とか、死亡する確率は?」「小葉がんって転移しやすいの?」と、情報の少なさにいらだっているようだった。日本では比較的判例も少なく、私の検査結果も「詳しいことは手術してみないとステージも転移も解らない」という状況なので当然と言えば当然か。

「貴ちゃんが死ぬとか、俺はまったく考えられないから。これからいろいろ調べて、絶対死なない道を見つけていこう」

と、気を取り直した夫は宣言した。そんなことを言われたら、今さら「乳首が〜」とか「人造人間が〜」などと深追いできなくなってしまった。いくら「侘び寂びを愛する男」でも、シチュエーション的にふざけているとしか思われない。

女社長、ワクワクする

振り返れば今まで夫に、「話があるんだけど」と切り出す時は、大抵ロクでもない話か取り返しのつかない話(倒産とか横領とか借金とか、収入がなくなる話とか引っ越しとか取り立てとか、仲間の自殺や元夫の突然死とか)ばかりしてきたが、今回も相当なインパクトだったようだ。

改めて夫に申し訳ない気持でいっぱいになって、全摘出すれば大丈夫そうなことと、マメに検査することになるから転移も問題ないであろうことなどを徒然なるままに話すと、

「今まで、10年一緒にいて、見てきて、俺が貴ちゃんだったら10回はうつ病になって、3回は自殺してるようなことがいっぱいあって、でも、キミは全部乗り越えてきたから、また今回も絶対乗り越えるんだろうなって、俺は思ってるから」

と、ゆっくりと、自分自身に言い聞かせるように、少し涙ぐんで夫はそう言った。

だから、私も遠慮なく、本当の気持ちを夫に伝えた。

「実はがんになったこともこれから手術することも全部、嫌なことって言えば嫌なことで、98%は本当に嫌。でも、残りの2%だけ実はワクワクしてる自分がいるの。家族に心配かけておいて、こんなこと言うの申し訳ないのだけど」

それは嘘や強がりではなく、告知を受けてからずっと感じていたことだった。

私は元来、頑固で傲慢で面倒くさがりで、さらには素直さが欠けているために成長や変化が乏しい。

ところが、シャレにならない局面を迎えた時だけ、もがいて苦しんだ時だけ、後日大きな変化を実感することがあった。それは成果であり、感情であり、表情であり、行動であり、言葉となって、その都度私に表れてきたのだった。

だから、この「乳がんプロジェクト」で右乳房を失くした私が、今度はどんな生物になるのか。泥沼の中から息も絶え絶えに、今度はどんな色味の、どんな香りの蓮の花を摘んでくるのか。2%だけだが、本当のところ、私は楽しみなのだ。

女社長、家族の“成長”を噛み締める

真意を知ってか知らずか、夫は横顔で笑う。そして、「いつも貴ちゃんは潔いけど、不安とか、愚痴とか言っていいからね。俺はもう、川崎貴子の夫歴が長いから、頼って大丈夫だよ」と、夫からエールのようなサポート宣言を頂戴するのだった。

出会った頃の、アーティスト気質で線が細く、情緒不安定だった夫は、もうそこにはいない。
私は何を心配していたのだろうかと思う。

自分ががんの告知を受けるより、それを家族に告げることの方が何十倍も怖かった。

どんな時も私が家族を引っ張っていくものであり、精神的な支柱であらねばならないと思ってきた。でも、それは、何という思い上がりだったであろうか。

赤ちゃんだったはずの娘たちは順調に太く育っているし、夫はこの10年で人間的にも、父としても夫としても、多大な成長を遂げていたのだ。この10年、私は成長というより後退が激しかったし、余計なことをいっぱいやらかした上にがんまで携えて家族の皆に心配させまくっているけれど、娘たちと夫はそれぞれ確実に成長し、たくましい存在になっていたことを、皮肉にもこの「乳がんプロジェクト」が教えてくれたことになる。

女社長の家族。