ベツレヘムにあるイスラエルのユダヤ人入植地(田中美久 撮影)

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 イスラエルには10日間、そのうちの3日間はパレスチナ自治区に滞在していました。今回はパレスチナ滞在のことを取り上げ、現地で私が見聞きした一部始終をお伝えします。

 パレスチナに滞在して私が知りたかったことは、「イスラエル・パレスチナ問題」の現状についてでした。「イスラエル・パレスチナ問題」とは、一言で言うとイスラエルとパレスチナ間における領土争いです。現在の問題に発展した経緯については、過去の歴史があまりにも複雑すぎるのでここでの言及は控えます。現状として、現在ガザ地区とヨルダン川西岸地区がパレスチナ自治区とされています。世界では現在136カ国がパレスチナを国として認めています。しかし、日本を含むアメリカやヨーロッパ諸国などの多くの主要国は認めていません。

 この領土争いの大きな要因の1つであるのが、現在イスラエルの領土であるエルサレムの存在です。エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三大聖地です。エルサレムの帰属をめぐり、様々な紛争が起こりました。

 エルサレム旧市街を歩いていると、多くの人々が一心に祈りを捧げる光景を目にします。しばらくすると、1人の若い男性と出会いました。彼はデンマーク出身のユダヤ教徒です。彼は家族と共にデンマークからイスラエルへ移住し、イスラエル人になりました。移住した理由を尋ねると、デンマークではいまだユダヤ人に対する差別が根強く、生活しづらかったからだと言います。長い歴史の中で行われてきた壮絶なユダヤ人差別は、現代にも暗い影を落としているようです。思い切って彼に「パレスチナについてどう思っている?」と尋ねました。彼は、「パレスチナに行ったことがないから何も答えられない。だけどパレスチナ人は僕らのことを嫌っている」と答えました。

活気があるベツレヘムの街 日常風景はとても穏やか(田中美久 撮影)

 活気のあるベツレヘム

 

 そのエルサレムからバスで約1時間、パレスチナ自治区のベツレヘムにやってきました。イスラエルとパレスチナ自治区の境界にはチェックポイントが設けられています。私が行きに乗ったバスではチェックをされませんでした。しかしパレスチナ自治区からイスラエルへのバスでは必ずチェックをされます。アラブ人であれば、チェックに時間がかかるなど、嫌がらせをされることも多いそうです。

 ベツレヘムに到着しました。人々の活気、ひしめき合う店、雑然とした雰囲気。そこはまさにアラブの街です。治安はとても良く、すれ違う人が「ウェルカム トゥー パレステイン!(パレスチナにようこそ)」と明るく陽気に挨拶してくれます。市場に行くと、お店のおっちゃんが「持ってけ」と次々と野菜や果物をサービスしてくれました。ベツレヘムではAirb&bを利用して、パレスチナ人家族の家に宿泊しました。皆とても優しく、始終色々と気にかけてくれ、パレスチナ人の温かさに触れることができました。

 パレスチナ滞在初日は、タクシーをチャーターして「分離壁」を見にいきました。イスラエルとパレスチナ自治区の間には一応ボーダーがあるのですが、そのボーダーを超えてパレスチナの領土に食い込む形で「分離壁」という壁がイスラエルにより建設されています。イスラエルはこの壁の建設を「テロリストからの攻撃を防ぐため」だと言い、「セキュリティ・フェンス」と呼んでいます。

 分離壁を見に向かう途中、タクシーのおっちゃんが言いました。「マイ・フレンド。あれは、イスラエルが作っている入植地だよ」。イスラエルはパレスチナ自治区の領土内にユダヤ人居住区をあちこちに建設していて、パレスチナ人の領土を違法に奪い、彼らの生活を圧迫しているとおっちゃんは説明します。国連からも非難されていますが、一向に止める気配はないとのこと。

 分離壁に到着しました。様々な訴えのこもった言葉や絵が壁に描かれています。

 "Free Palestine"       "In war there is no winner"        "I want peace"

分離壁に描かれたパレスチナの人の訴えのメッセージ(田中美久 撮影)

 壁の上からはイスラエル兵がパレスチナ人たちを監視しています。パレスチナ人は常に監視の目にさらされた生活を送っているのです。分離壁のそばにも若いイスラエル兵たちが見張りとして立っています。18歳〜20歳くらいの彼らは、まだあどけない笑顔で私に手を振って挨拶をしてくれました。彼らは一体どんな気持ちでこの壁のそばでパレスチナ人たちを監視しているのでしょうか。

 難民キャンプ

 

 パレスチナ滞在2日目。滞在先でお世話になっているアサド24歳に、ベツレヘムにある難民キャンプを案内してもらうことになりました。キャンプに歩いて向かう途中、アサドが言いました。「下を見て。イスラエル兵から投げられた催涙弾が落ちているよ」。きっとこの催涙弾は、パレスチナがイスラエルに対するデモを行なった際に、イスラエル側から飛んできたものなのでしょう。

 「アイダキャンプ」と呼ばれる難民キャンプに着きました。中東戦争でアラブ人が敗北し、イスラエル建国の際に多くの人々が居住地パレスチナを追われ、パレスチナ難民となりました。難民キャンプと言ってもコンクリート建ての家が密集していて、店も普通にあり、他の住宅とさほど変わりません。しかし家を追われて貧しい生活を余儀なくされている人たちが多くいます。この難民キャンプでは光熱費などを払う必要はないそうです。比較的裕福で経済的余裕があり、難民としての生活にある程度満足している人も一定数いるそうです。

アイダ難民キャンプの壁画「元々住んでいた家に戻るためのカギは持っているのに」 というメッセージ
(田中美久 撮影)

 アサドが言いました。「パレスチナの人たちは、異常な生活に慣れてきてしまっているというのも事実なんだ。以前ほど話し合ったり抵抗運動もしなくなっている。これは大きな問題だ」

 パレスチナ滞在最終日はヘブロンという街に行きました。ヘブロンの街はムスリム一色です。アサド曰く、ヘブロンの人はとても優しく、彼にとって世界で1番好きな場所なのだそうです。しかし、ヘブロンは街の一部がイスラエルに占領され、分断されてしまった街でもあります。元々住んでいたパレスチナ人たちは強制的に追い出され、排除させられた区画はゴーストタウンと化しました。

 タラルとの出会い

 ヘブロンの街を歩いていると、1人のパレスチナ人男性に出会いました。彼にヘブロンの街のガイドを頼むことにしました。ガイドのタラルです。彼はウクライナに留学したり、横浜に2カ月間短期の仕事で来日したこともあるそうです。ヘブロンでは生活に苦しむ人たちを救済したり、積極的にパレスチナの状況をよくしたいと活動をしていたそうです。そんな彼を2カ月前に悲劇が襲いました。タラルがノルウェー人の観光客を連れてゴーストタウンを案内していた際、若いイスラエル兵が突然彼の指を鈍器で叩き重傷を負わせました。もちろんタラルは何も悪いことはしていません。兵士は、タラルの救済活動を良く思っていなかったのでしょう。

ガイドをしてくれたタラルは指に重傷を負っている(田中美久 撮影)

 タラルは指のケガのせいで2カ月間無職です。完治までにあと3カ月は要するそうです。39歳の彼には奥さんと幼い子供が2人います。現在は収入がなく、「今月の水道代と電気代は、多分払えない」と言いました。お金を払えなければ、イスラエルがライフラインを止めてしまうのだそうです。光熱費はさほど安くなく、月々8000円くらい。なぜ彼ら一家がこのような目に合わなければいけないのでしょうか。

 ゴーストタウンの中へ入ります。ゴーストタウンに入るにはチェックポイントを通過しなければなりません。タラルがイスラエル兵にIDカードを見せ、「中に入らせて欲しい」と交渉していますが、やけに時間がかかっています。観光客である私は問題ありません。しかしパレスチナ人であれば、長時間の尋問を受けることもよくあるのだそうです。元々パレスチナ人が住んでいた場所なのに彼らが入れないなんて、あまりにもおかしな話です。

 ゴーストタウンではあちこちにバリケードが張られています。そこはかつての活気があった頃の面影はなく、建物は廃墟と化し、店のシャッターは閉められています。頑張って営業を続けている店もありますが、ほとんどが閉鎖していました。至る所でイスラエル兵がウロウロし、監視の目を光らせています。

静まり返ったヘブロンのゴーストタウン(田中美久 撮影)

 荒廃したゴーストタウンにはユダヤ人居住区が作られました。上を見上げるとネットが張られています。これは、ユダヤ人が嫌がらせで投げてくるゴミや卵の落下を防止するためだそうです。

 信じられない光景

 

 歩いていると、突如パレスチナ人男性が兵士たちに取り押さえられました。驚いて一体何事なのかタラルに聞くと、彼曰く、兵士たちは彼がイスラエル兵と同じカーキ色のジャケットを着ているのが許せないのだと言います。正直言って訳が分かりません。「僕にだって分からないよ。彼らはクレイジーなんだ」とタラルは呟きました。

 幼い子の前で兵士がパレスチナ人のジャケットを取り上げています。異常な光景ですが、ここでは日常なのです。18歳そこそこの若い兵士たちに、善悪の判断がつくのでしょうか。そこには正当な理由なんてありません。単なる嫌がらせなのですから。

突如パレスチナ人を取り押さえる兵士たち(田中美久 撮影)

 タラルからその後もいろいろな話を聞きました。とにかく、彼の置かれている今の状況は過酷すぎます。その日の生活をしていくのも厳しいのです。話を聞いていて涙が出そうになりました。彼は英語が堪能で、世界情勢のこともよく知っています。優秀で、とても善良な人でした。しかし、私には、ガイド料を払い、彼にコーヒーを一杯ご馳走することしか出来ませんでした。

 タラルは言いました。「日本で働いていた時、日本人は凄くよくしてくれた。日本が大好きなんだ」。しかし、私の国はパレスチナを国として認めていません。パレスチナにきて思いました。イスラエルとパレスチナが1つの国としてやっていくのは不可能です。これだけの圧倒的な力の差が生まれてしまっていて、今イスラエルがしていることは弱いものイジメにしか見えません。ユダヤにいくら同情すべき過去があったとしても、イスラエルが今やっていることは、これまで彼らがされてきたことそのものです。私は、パレスチナは国として独立すべきだと思っています。

 タラルに別れを告げ、パレスチナ人が歩くことを禁じられているエリアを1人で歩きました。もしパレスチナ人がバリケードを超えてこのエリアに足を踏み入れたら、無条件で撃たれるのだそうです。

 ゴーストタウンのあちこちにはためくイスラエルの旗。「ここはイスラエルじゃない、パレスチナだ」と心の中でつぶやきました。

 途中でトイレに行きたくなり、ゴーストタウンの住民に声をかけると快く貸してくれました。どうやらここはユダヤ人入植者の家のようです。彼らはこんなゴーストタウンの中に住んでいて、一体どんな気持ちなのでしょうか。

 ユダヤ人入植者の彼らは、話してみると、とても親切で優しい人ばかりでした。お菓子や紅茶を振舞ってくれ、私の旅について話をしたり、楽しい時間を過ごしました。1人ひとりのイスラエル人と話すと、皆フレンドリーで親切で良い人ばかりなのです。

ゴーストタウンに住むユダヤ人入植者たち(田中美久 撮影)

 ヘブロンからベツレヘムの家に戻ると、広場でクリスマスイベントが開催されていました。いつも以上に賑わいをみせる活気ある雰囲気の中で、パレスチナの人々はそれぞれの時間を楽しんでいます。しかし私は身も心も疲れきっていました。打ち上がる花火を見ながら、今日ヘブロンで見聞きしたことを思い出していると、自然と涙が流れました。

 複雑な問題

 

 色々なことを感じたパレスチナ滞在は、こうして終わりました。私がパレスチナにいたのはたったの3日間です。現地で目の当たりにした現状はほんの一部に過ぎません。それでも分かります。どんなに過去に複雑な歴史があったにせよ、今のパレスチナで起きていることは「異常」です。私にはあまりにも理解し難いことが多過ぎました。

どこもかしこもパレスチナ人が中に入れないように封鎖されている(田中美久 撮影)

 今回、出来るだけイスラエル側、パレスチナ側の双方から平等に問題を見ようと努めたつもりでしたが、現状では私はどうしてもパレスチナ側を応援したくなってしまいます。私たち日本人も傍観するだけでなく、現実を知り、声をあげていくことが必要だと感じています。

 複雑なイスラエル・パレスチナ問題。日本を含めた世界にも責任があります。武力や圧力をもってしても何の解決にもなりません。世界中で知恵を出し合い、話し合わなければなりません。

 知恵を出し合うには知らなきゃいけない、学ばなければいけない。全てはそこからです。小さいことでいいから、私も自分のできることをしていこうと思っています。大好きなパレスチナの人たちに、1日でも早く平穏な日々が戻ってきますように。

(田中 美久)