小野 泰己投手(折尾愛真−富士大)「『夢実現』へ積み上げた成長の日々」【前編】

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 2016年10月20日「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で阪神タイガースからドラフト2位指名を受けた小野 泰己(富士大)。最速152キロのストレートの剛速球と落差抜群のフォークをウリに、大学選手権、神宮大会合わせて5回の全国舞台を経験。大学ラストシーズンとなった2016年秋の北東北大学野球連盟リーグ戦では5勝0敗、防御率0.49でMVP。東北3連盟明治神宮大会代表決定戦でも連投で再びMVPと最優秀投手賞を獲得し、プロ入りへ花を添えた。

 では、そんな小野の野球人生はどのようなものだったのか?前編では中学、高校、大学と一歩ずつ積み上げた成長の軌跡に迫る。

折尾愛真高で「夢」に一度は近づくも……

小野 泰己投手(富士大学)

 日本屈指の工業地帯・福岡県北九州市に生まれた小野 泰己。大原小ではソフトボールチーム・大原イーグルスでプレーし、上津役中学校で野球に転向。投手を始めた。 

 高校は兄の背中を追い折尾愛真への進学を決意。同時に「高校野球で活躍して、高卒でプロへいく」ことを意気込んでいた小野は軟式野球部引退後、ひたすらに硬式球で練習を重ねた。その成果は如実に表れる。入学直後、球速は中学時代の120キロ前後から、130キロ中盤まで飛躍的にアップする。

 180センチ60キロの細身で早くも才能の一端を示した小野。次に取り組んだのが食事トレーニングだった。1日に食べるお米の量は7合。加えてウエイトトレーニング、肩関節のストレッチ。「大きく強く柔軟な体」を身に付け、投手としての基礎を築いていくと、2年春には最速140キロに到達。2年秋にはエースナンバーを背負った。

 そして福岡県秋季北部大会1回戦の門司学園戦ではストレート主体で15奪三振。結果が練習、食トレの意欲につながる相乗効果はその後も続き3年春・福岡県大会準々決勝の九州国際大付戦ではついに145キロを計測。「『プロが近づいてきた』という感じがしてきました」。小野も手ごたえを感じながら最後の夏へ向かう。が……。 

 好事魔多し。6月第2週の練習試合で小野は打撃の際足を痛める。「打った後はまだ立てたんですけど、一塁ベースに向かうところで倒れてしまって……」診断結果は右ひざ半月板損傷。「自分の高校野球は終わったなと感じました」。最後の夏、小野の登板は1イニングのみ。チームも初戦敗退。夢は大きく遠ざかった。 

 直後に手術を行った小野は、膝周りの筋肉を強化するなどリハビリの日々を送りながらプロ志望届を提出するも指名漏れ。すぐに気持ちを入れ替え、大学4年間で指名される投手を目指すことを心に誓った。

富士大での「衝撃→刺激→成長」

小野 泰己投手(富士大学)

 大学は先輩も進学実績のある富士大進学を決めた小野。北九州から遠く離れた岩手県花巻市に足を踏み入れる。「高校も北九州の田舎、大学は花巻で遊ぶ場所が本当にありません」と苦笑いする小野。休日の楽しみもトレーニングであった。「お気に入りのウェアを着て、大学内にあるスポーツセンターで体を動かすか、寮でゆっくりしているぐらい」。その理由は入学時の「衝撃」がきっかけだ。

 入学時の1学年上は2015年に埼玉西武ライオンズからドラフト1位指名を受け、ルーキーイヤーで7勝をマークした多和田 真三郎(関連記事)。1年秋から明治神宮大会出場。国際武道大戦でノーヒットノーランと文字通り「大学全国トップクラス」を目の当たりにした小野は、これまで受けたことのない刺激を味わう。「ストレートも変化球も、今まで見たことがない凄さがありました。でも、あの投球を見て『多和田さんに近づきたい、超えたい』という思いになりました」

 こうして身近な、かつ偉大な先輩を目標とした小野は、「大学4年間は長いので、まずは1年間。活躍できる土台を築ければ」と目標を定めた。ウエイトトレーニングでは上半身・下半身をバランスよく鍛え、走り込みは中距離中心。この1年間で全ての器を一回り大きくしたことが2年生で開花する。

 2014年春季・北東北大学リーグ戦。4月27日の青森中央学院大戦で公式戦デビューにして先発マウンドを任された小野は6回1安打無失点8奪三振。「本当に緊張した試合で、うまく投げることができてよかったです」と振り返った初登板初勝利をきっかけに、小野は富士大の2枚看板への道を駆け上がる。

 2年秋の明治神宮大会東北地区代表決定戦・八戸学院大戦ではついに150キロを叩き出すことに。「何か1つ壁を破れた感じ」という剛腕の実感は3年秋の「エース」襲名となる。多和田を故障で欠く中にあっても4勝0敗・20イニングで34奪三振、防御率0.00。その原動力は新たに習得した「フォーク」である。 

「深めに挟んで握り、ストレートを投げるよりも強く腕を振って投げる」独特のイメージを、130キロ中盤で大きい変化を描く魔球で体現できるようになった小野。目標としてきたプロ入りは、もうすぐそこに迫っていた。

 後編では富士大学4年時の挫折と復活。さらに阪神タイガースでの意気込みをうかがいます。お楽しみに!

(インタビュー/河嶋 宗一)