「欽ちゃんのドーンとプラチナ!」は“原点回帰”の番組だという萩本。「やっぱり他と違うことをやらないと。それこそがテレビだよ」

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 ことし創刊35周年を迎える週刊ザテレビジョンでは、これを記念して、テレビ界に多大な功績を残したトップクリエーターたちのインタビュー連載「テレビの開拓者たち」がスタート。週刊ザテレビジョン2月1日(水)発売号掲載の第2回には、’80年代に数々のヒット番組を生み出した“欽ちゃん”こと萩本欽一が登場する。

80年代半ば、「欽ちゃんのどこまでやるの!」「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんの週刊(欽)曜日」とヒット番組を連発し、“視聴率100%男”と呼ばれた萩本

 浅草時代を経て、坂上二郎と共にコント55号を結成し、バラエティー番組に進出した萩本。当時の人気番組「コント55号の世界は笑う」(’68〜’70年フジテレビ系)を、こんな風に振り返る。

「何度も練習するテレビ界のルールがずっと窮屈でさ。リハーサル、ランスルー、通し稽古に本番って合計4回も。ところがね、生放送中にステージの幕のスイッチが故障してね。舞台が終わって幕が下りて、二郎さんが衣装を脱いで帰り支度を始めたときに、急に幕が上がっちゃったの(笑)。でも、慌てる二郎さんを見たお客さんはバカ受け! 稽古で積み重ねたものじゃなくて、今起きている状況を見せるのがテレビの面白さだって気が付いたよ」

 そのときの経験を活かして立ち上げたのが、単独の冠番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(’75〜’80年フジテレビ系)だ。

「投稿されたはがきを基に、出演者と僕が掛け合いをする構成だったから、稽古は20回以上したね。でも、僕が本番と違うことをするから、出演者も予定外の動きをしちゃったり。急なアドリブの連続でカメラマンも焦ったりして。その面白さこそがテレビ。あと、CMも楽しく見てもらうために間に10秒くらいの短いコントを入れたりね。最初はスタッフから『できない!』って言われたりしたけど、言い続けると意識が変わって、みんなが新しいことをするようになった」

 同誌では他にも、「欽ちゃんのどこまでやるの!」(’76〜’86年テレビ朝日系)の制作秘話や、現在出演中のネット番組「欽ちゃんのドーンとプラチナ!」(FRESH! by AbemaTV)への意気込みなど、日本のバラエティーの“中興の祖”である萩本が、唯一無二のテレビ論を展開。今のテレビ界に対する偽らざる思いも語っている。

 さらに、WEBサイト「ザテレビジョン」では、「テレビの開拓者たち」に登場したクリエーターたちの完全版インタビューを近日公開予定。乞うご期待!