由布岳と由布院温泉の風景

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 大分県の由布院温泉は、国内屈指の人気温泉地だ。リクルートが運営する旅行サイト「じゃらんnet」で毎年発表される「人気温泉地ランキング」の2017年版で、「あこがれの温泉地」部門で11年連続1位に輝いた。全体でも箱根温泉、草津温泉に次いで3位となっている。

 その人気観光地が、昨年4月の熊本地震で建物などに被害を受けた。もっとも痛手となったのは、稼ぎ時のゴールデンウイーク時に起きた大量の予約キャンセルだった。地震から9カ月経過した今、どんな状況にあるのだろうか。

 熊本周辺に比べて報道が少ない由布院の実情を探るため、今年1月半ばに筆者は現地入りして、各方面で取材を行った。そのレポートを、別々の角度から3回に分けて報告したい。関係者の思いや取り組みこそが「あこがれの温泉地」であり続ける秘訣だと感じたからだ。

●客足は戻りつつあるが、「完全復活」ではない

「16年4月から6月までは客足も厳しかったのですが、今はかなり回復しました。日本人よりも外国人観光客の方の戻りが早かったです」

 宿泊したホテルのフロントマン、駅前商店街のラーメン店店主など、関係者は一様にこう語った。筆者が現地に降り立ったのは週明けの月曜日午前中で、JR由布院駅前や観光客が目立つ湯の坪街道も休日の大混雑ではなかったが、過去に何度も訪れた由布院の平日風景という感じだった。飲食店や土産店に入っても、人波を外して撮影した名所・金鱗湖でも、外国語の会話が目立った。

 ちなみに、由布市が発表した15年の統計データによると、日帰り客・宿泊客を含めた由布市を訪れた観光客数は411万412人、全体の約8割が由布院温泉の客だ。外国人観光客は20万9673人で、もっとも多いのが韓国人の14万5722人、次いで中国人(本土)の2万4508人、台湾人の1万4819人、香港人の1万4170人だ。由布院温泉観光協会事務局長、由布市まちづくり観光局事務局次長を兼任する生野敬嗣氏はこの数字について、「もう少し多いと感じており、今後精査していきたい」と言う。

 地震後の日本人観光客訪問を押し上げたのが、16年12月28日まで実施された「九州ふっこう割」だ。政府が行った助成制度で、旅行代金が最大70%割り引かれ、「せっかくだから由布院に行こうと思って訪れてくださる方が多かった」(同)。ふっこう割需要が終わった今年からが正念場である。筆者が話を聞いた限りでも、まだ関東地方からの観光客は少なかった。

「由布院が好きでよく訪れていましたが、今回は地震後、初めての訪問です。普段、家族の介護をしているので、気晴らしに温泉に入り、喫茶店も訪れて、いい気分転換になりました」(山口県山口市から訪れた60代の夫婦)

 こうした由布院ファンも戻りつつあるが、関係者にとって考えさせられる言葉もあった。地震後に、閑散とした光景を見た常連客が「昔の由布院みたいね」と言ったひとことだ。

 現在のような人気観光地になる前の由布院は、「奥別府」とも呼ばれた寒村だった。それが年間約330万人の観光客が訪れるようになると、道は混雑してのんびり滞在できない場所も増えた。復活と由布院らしさの両立は、なかなか難しいのだ。

●黒川×由布院の連携をスタート

 熊本地震後の由布院は、積極的な情報発信をしなかった。「しばらく余震が続いていたので、お客さまの安全を考えると『どうぞお越しください』とは言えませんでした。そんな由布院から人がいなくなった16年4月から6月の厳しい時期を支えてくださったのが、地元・大分県の方だったのです」(由布院温泉観光協会会長の桑野和泉氏)

「普段はにぎわいすぎて行きにくかったけれど、こんな時だから由布院に来ました」といった大分県民の声を至る所で耳にしたという。地元に支持されるのは、由布院の人柄ならぬ土地柄かもしれない。当地を訪れて感心するのが、無理強いしない「よろしかったらいかがですか」という姿勢だ。観光地にありがちな押し付けがましさが少ない。

 旅館・由布院玉の湯の社長でもある桑野氏は、国土交通省・観光庁が認定した「観光カリスマ」溝口薫平氏の長女として当地で生まれ育ち、1992年に東京から帰郷すると、暮らしと一体化した生活型観光地・由布院の町づくりに取り組んできた。地震後に桑野氏や前出の生野氏らが取り組んだのが、おもてなしの深掘りだ。

 たとえば、生野氏のアイデアによる「まち歩きガイドツアー」では、こんな時期に来てくれたJR利用客向けに、大分川沿いの道などを案内した。霧がかかっていなければ町のどこからでも見える名峰・由布岳(標高1583m)。そのなかでも、川沿いの景色は格別だ。冒頭の写真から少し歩いた場所にある、筆者が好きな景色を下記の写真で紹介してみたい。

 また、冬の閑散期に由布院が毎年行う「旅の扉 旅の鍵」という企画がある。旅館組合加盟施設に宿泊したすべてのお客に、各施設がそれぞれ足湯入浴の無料サービスや手荷物の一時預かり、授乳・おむつ交換の場所提供などを行うものだ(サービス内容は施設によって異なる)。今年は1月10日から2月28日まで実施されているが、この取り組みに熊本県の人気観光地である黒川温泉も加わり、「黒川・由布院 350のおもてなし」となった。

「もともと黒川温泉とは10年ほど前から青年部を通じて交流があったのですが、熊本県、大分県と県が違うこともあり、頻繁な行き来とはなっていなかった。それが地震後に、黒川の関係者が由布院に来られたのを機に話が盛り上がり、連携を始めたのです」(生野氏)

 当連載記事でも紹介したが、現在のビジネスキーワードのひとつは「協調」や「協働」だ。被害を受けた両県の人気観光地が手を携えるのは、民間の取り組みとして興味深い。

●「昔ながらの景色」を守り続ける努力

「どこか懐かしい」「昔ながらの自然が残る」として人気の由布院だが、高度成長期には何度も開発の大波にさらされ、それを住民が押し返してきたからこそ、現在の風景がある。

 当時、中心となって町づくりを進め、現在の由布院のご意見番的存在となっているのが、元由布院温泉観光協会会長の中谷健太郎氏と溝口薫平氏の2人だ。町づくりの企画者が中谷氏、調整役が溝口氏だったという。子供世代に社長の座を引き継いだが、それぞれが経営する「亀の井別荘」「玉の湯」は、「山荘無量塔(むらた)」とともに、「由布院御三家」と呼ばれる名旅館だ。

「由布院は女性的な町ですから、ほかの町から“お婿さん”として来る人や企業は大歓迎です。そうした交流で町は発展していくのです。ただし “家訓”らしきものがあるので、それは守っていただきたい」(中谷氏)

 家訓の基となったエピソードが2つある。ひとつは大正時代にまとめられた「由布院温泉発展策」で、もうひとつが71年に中谷氏、溝口氏、「山のホテル・夢想園」社長の故・志手康二氏による若手旅館主人3人が視察した欧州貧乏旅行の成果だ。現地視察の際に、ドイツのバーデンヴァイラーという田舎町の小さなホテルの主人で町会議員でもあったグラテボル氏が3人に語った、次の言葉が町づくりの大きなヒントとなった。

「町に大事なのは『静けさ』と『緑』と『空間』。私たちは、この3つを大切に守ってきた。私たちは100年の年月をかけて、町のあるべき姿をみんなで考えて守ってきた」

 この言葉に心を動かされて勇気づけられた3人を中心に、昔ながらの風景を守っていく。志半ばで倒れた志手氏の遺志は、妻で現在、山のホテル・夢想園会長の淑子氏が継いだ。

 大分県を代表する文化人でもある中谷氏と溝口氏は、地震後の由布院をどう感じているのだろうか。次回は2人へのインタビューをもとに「由布院ブランド」を再考察したい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)