(写真提供=SPORTS KOREA)

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韓国では旧正月の連休最後の日である1月30日、オリックスやソフトバンクでも活躍したイ・デホ(李大浩)の、韓国・ロッテ復帰の記者会見が行われた。キャンプインを2日後に控えた時点での、超大物の復帰会見である。

その実力は、多くを語る必要がないだろう。

ロッテ・ジャイアンツがイ・デホに提示した破格条件とは?

2010年、韓国のプロ野球で、本塁打、打率、打点など、盗塁を除く攻撃のタイトルを独占し、MVPにも選ばれた。2012年にオリックスに入団すると、91打点で打点王のタイトルを獲得した。

李承菀(現サムスン)、李鍾範(元KIA)ら、鳴り物入りで日本球界に入った打者も1年目は、配球の違いや、日本の投手の制球の良さに戸惑い、結果を残していないが、李大浩は、体重が100キロ強の巨漢にもかかわらず、打撃はパワフルかつ柔らかく、抜群の対応能力を示した。

その威力はソフトバンクに移籍してからも続き、2015年の日本シリーズでは、MVPにも輝いている。昨年はアメリカに渡り、最初はマリナーズとのマイナー契約だったが、メジャー契約に切り替わり、公式戦で代打サヨナラ弾を含め、14本塁打を放つなど、1年目としては、まずまずの成績を残した。

「釜山ロッテは日本の阪神のような存在」と言われているが…

今年については去就が注目されていたが、李が選んだのは、元の所属チームである韓国のロッテであった。

総額150億ウォン(約15億円)の4年契約。昨年、打率と打点のタイトルを獲得し、サムスンからKIAにFA移籍した崔炯宇が4年100億ウォンだから、韓国としては、破格の扱いだ。逆に言えば、ロッテとしては、それほどの待遇であっても、迎え入れたい存在であった。

ロッテの本拠地・釜山は、球都と呼ばれ、韓国を代表する野球どころである。日本に近く、日本の植民地時代から野球が盛んで、テレビの放送が始まると、アンテナを日本に向けて、日本のプロ野球を観ていた。

1982年に韓国でもプロ野球が誕生すると、釜山を本拠地とするロッテは、韓国球界を代表する人気球団となった。

その熱狂ぶりから、韓国の野球関係者の中には、「ロッテは日本の阪神のような存在です」という人もいる。けれども阪神の場合は、弱い時でも、観客数が極端に落ちることはない。それに対して釜山のロッテは、弱いと客足は一気に遠のく。

入れ替わってきたイ・デホとイ・スンヨプ

李大浩が在籍していた時は、上位にいることが多かったロッテであるが、2013年以降は、下位に甘んじている。それにつれ、2012年まで1試合平均2万人を上回っていた観客動員数は、1万1000〜2000人台に落ち込み、スタンドには空席も目立つようになった。近年韓国プロ野球全体の人気は高まっているが、ロッテだけが取り残された格好だ。

それだけに、今年は主将も務めることになった李大浩に、チームの成績アップと、観客数増加の期待がかかっているわけだ。

しかも李大浩は、生まれも育ちも釜山。高校は金泳三元大統領の母校でもある、釜山の名門・慶南高校である。高校時代は、釜山高校のエースで4番であった秋信守(レンジャーズ)と、釜山の高校球界を二分し、秋信守、金泰均(ハンファ)らとともに、18歳以下の世界選手権で優勝したこともあった。

高校時代からの釜山の英雄であるだけに、地元ファンの期待も大きい。そして今回の移籍により、李承菀との韓国を代表する巨砲の対決が、韓国のプロ野球で事実上初めて実現する。

「拍手を受けているうちに去れ」

2003年、李承菀は当時のアジア記録である56本の本塁打を放ち、翌年千葉ロッテに移籍した。一方李大浩は、2001年に韓国のロッテに入っているが、試合に本格的に出るようになったのは、李承菀が去った後の2004年から。李承菀は2011年にオリックスでプレーした後、2012年にサムスンに復帰しているが、李大浩は入れ替わるようにして、オリックスに入団している。

李承菀と李大浩は、韓国代表チームで一緒にプレーしたことはあるものの、韓国球界では常に入れ違いになっている。

そして李承菀は、今シーズンを最後に引退することを発表している。まだもう数年できるような気もするが、韓国には「拍手を受けているうちに去れ」という言葉もある。惜しまれつつ去るのが、「国民的打者」と呼ばれた李承菀の美学なのだろう。

(参考記事:韓国野球の申し子イ・スンヨプが達成した日韓通算600号ホームランの意義)

ともかく、李承菀が引退するその年に、李大浩が復帰する。ロッテとサムスンはもともとライバル意識が強い。この両チームの対決は、例年以上に熱を帯び、韓国のプロ野球を盛り上げるに違いない。

(文=大島 裕史)